第59話




木の壁に遮られてよく見えなかったが、確かに左の方にも横道があった。蛇行した通路でパッと見では先がどれくらい続いているか分からない。

ジャブジャブと蛇行した通路を歩いていくと突然開けた景色が見えてきた。


夕日が沈む空、と一面の海。

温水が岩場から流れ出て、段々になった岩場を沢のようにサラサラと伝わって落ちていく。

海の水と温水が交わり煙のような蒸気がもくもくと発生している。

この島のもやの正体は大部分がこれだったのか。


息を飲む光景だ。


見たことの無い絶景だ。


呆然と眺めを見ていたが、絶景を見るために来たわけでもないんだった。俺は沢を降りて周囲に風船が置いてないか調べてみる事にした。


岩場の沢はツルツルとして滑りやすい。気をつけて歩かなければ。


ソロリソロリと腰を低くして歩く俺。


ふと後ろから声をかけられビックリして振り向いた。


「いい景色ですね。夕焼けは他の景色と違って感情を昂らせます。なぜでしょうね?勇者さん。」


そこにはキシリアが立っていた。


「暮れていく太陽に思いを馳せるからかな。」


俺は何故かカッコいいセリフを決めた。

中腰でバスタオル一枚の格好でなければもっと決まっていただろう。


「ウフフ。馳せる思いの中身を伺いたいですね。そちらに行ってもよろしいですか?」

「どうぞ。足元滑りやすいですから気をつけて。」

「じゃあお邪魔しまーす。」


キシリアの後ろからミネバも出てきた。

がに股で土手になっている岩場をまた越すミネバ。

腰を下ろし片足ずつ上げて乗り越えるキシリア。


「ごめんなさい。ルカさんとエルさんから勇者さんがこっちに行ったと聞いて追いかけて来たんです。」

「え?そうだったんですか?それは何故?」


何故か俺もつられて丁寧語になっている。


「風船を持ち逃げされるのを防ぐためじゃないよ。」


ミネバがいらない情報をはさむ。


「わたくし達はまだ勇者さんとそれほどお近づきになったわけではないでしょう?セイラさんとは随分親しくなったみたいですけど。わたくし達とも親しくしていただきたいなって思いまして。」


キシリアは足元に気を付けながらゆっくり歩いてくる。


「親しいというわけでもないですけどね。城で会った時から思ってましたがセイラさんはリーダーシップをよく取れています。都合話す相手がセイラさんになってしまうというだけで。」

「まあ、勇者さんまでセイラさんって呼ばなくてもいいんですよ?」


しまった。つられ過ぎたか。

ウフフと笑うキシリア。笑った拍子に足元を滑らせてしまう。


「あ!」


前のめりになって俺に突っ込んでくるキシリア。

それを抱き止める俺。

なんとか俺は踏ん張った。


「ごめんなさい。わたくしったら、足を滑らせて・・・。」

「ええ。危なかった。でも大丈夫です。」


彼女の顔がすぐ近くの鼻先にある。

上気した頬で目を見開いて俺を見つめている。

一糸纏わぬ姿を抱き寄せている。か細い、風で飛んでしまいそうな華奢な身体だ。微かに良い匂いが嗅ぐわってくる。鼻孔を刺激し頭が冴え渡ってきそうだ。


「勇者さん。お綺麗な目をしているのですね。こうして近くで見つめていると吸い込まれてしまいそう。」

「夕日が写っているからじゃないですかね。いや、俺の目にはもう夕日は写ってないか・・・。」


写っているのはと続きを言おうとしたら。


「ぎゃーっ滑ったー!!」


ミネバが勢い良くこちらに突っ込んできた。


なにー!


さすがに支えきれずに突っ込まれて倒れる俺達。

岩の沢に仰向けに倒れてしまう。

しかし彼女達は抱き止めて俺の体がクッションになるようにする。

尻から落ちたからいいものの下手すれば大怪我だ。


「勇者さん!」

「いたたー。お?」

「勇者さん。大丈夫ですか?ミネバさんも気をつけてと言われたばかりなのに。」

「ごめんよー。」


「大丈夫です。あはは。それよりお二人お怪我は?」

「わたくし達の事なんて気になさらなくても良いのに。」


キシリアは俺の言葉で少し安心したようだ。

俺達は3人抱き合って倒れている。

沢を流れる温水が体を伝って流れて、くすぐられるようだ。


「あら?勇者さんの腰のタオルがほどけそうですね。流れてしまう前に結び直しておきましょうね。」


え?俺の両手は彼女達を支えて塞がっている。


キシリアはイタズラ坊主のずれた服を直すように、優しい笑顔を俺に向けて、俺の腰のタオルを結び直し始める。


それはちょっとヤバい。


当然両手を使うので全体重を俺に乗せている。

そして腰の辺りにモゾモゾと手を伸ばし動かす。


冷静になれ冷静になれ冷静に。


「はい、終わりましたよ。」


キシリアが腰の辺りをポンと叩く。

体がビクッとする俺。


「あ、ごめんなさい。上に乗ったままで。さあ、立てますか?」


キシリアが体を起こし、俺に手を差しのべる。

俺は上半身を起こしてその手を取ろうとしたが。


「うん。立てるよ。」


その手を横から奪い取るようにミネバが手に取った。

思い切り引っ張ったので、またバランスを崩した。


「あ!」

「また滑ったっー!」


キシリアが俺の頭を抱えるように崩れてきた。

どういうわけかミネバも滑って転んで俺の腹に尻餅をついた。


「うぐっ!」


ボディブローを食らったようにズシリと腹にダメージを負った。


「あらあら。また転んでしまいました。ホントにごめんなさいね。」


キシリアの胸が俺の顔に当たっている。目の前は真っ暗だ。


「ごめんなさい。恥ずかしいのですけれど、足元がまだおぼつきませんので、しばらくこのままでいさせて下さい。」

「ええ。足元気をつけて。」


俺は無の境地を見開いた。


「本当に滑りやすいんですね。ここ。」

「長い年月何かの成分を含んだ温水が流れていたんでしょうから。岩肌がツルツルに削られ、非常に滑りやすくなっているんでしょうね。」

「ウフフ。なんだか話をされると胸がくすぐったいです。」

「こ、これは失礼を。」


膝を付き足を伸ばしながら安定した立てる場所を探るキシリア。


「きゃっ!」


再び足を滑らし俺の頭を強く抱き締める。


「立てません。どうしましょう。」

「立たなきゃいいのよ。座ったまま滑っていどー。」


そう言ってミネバが尻をソリのようにして沢を段々と降りていった。


「あー。逆転の発想ですね。あれをやるのはさすがに恥ずかしいですが・・・。でも座ったまま移動すれば転ぶことはないですね。」


キシリアが俺の頭から離れ沢に座る。


「お手間をおかけして申し訳ありませんでした。さぞ、はしたない女とお思いになったでしょう?」

「とんでもない。賑やかで楽しいひとときでしたよ。」

「ウフフ。それよりお怪我の方は本当に大丈夫ですか?お尻を打ったのではありません?」

「大丈夫。大丈夫です。」


なんだかこちらも恥ずかしくなる。


「はぁー。ため息が出るくらい綺麗な景色ですね。」


キシリアは夕日を眺めた。


夕焼けに染まる彼女の姿はまるでどこかのお嬢様だ。

服を纏っていなくとも上品さが損なわれることはなく、芸術作品の計算された美の黄金率を導き出している。


俺の視線に気付いて顔をこちらに向けニッコリと微笑むキシリア。


「そういえば何と言おうとしたんですか?さっき。」

「え?」


俺はドキリとした。タイミングをずらされて言うのはかなりキツイ言葉のような気がする。まあいいや。笑いの種にはなるだろう。


「もし俺の目が綺麗な目をしているのだと言うなら・・・、それは目の前にお綺麗な方が立っているからじゃないですかね。と。」

「ウフフフフ。」


キシリアが笑い出した。まあそうなるよな。


「勇者さんってそういう詩的な事をよく言うんですか?」

「いえいえ、まさか。柄にもないですよ。きっとこの雄大な景色がそうさせるんでしょう。いや、お恥ずかしい。」

「いいえ。わたくしとても嬉しいです。」


お互いの顔を見つめ合う。

だが、俺はこんな事をしている場合ではない。

そろそろ探し始めないと。


「それでは俺は風船を探さなければいけませんので、失礼。」


よっこらせと、中腰で立ち上がり、滑らないよう手を地面スレスレに置きながら辺りを歩き出す。

沢は左右に広い。そこに何もないのは一目瞭然だが、両端の木の影やらには何があってもおかしくない。


俺がゆっくり端の方へ歩くと、キシリアも俺について四つん這いになりながら追ってきた。


「わたくしもご一緒したいです。」

「そんな。その歩き方では辛いでしょう。」

「大丈夫です。お気になさらずに探して下さい。」


俺は出来るだけゆっくり歩いた。自分が滑らないようにするためでもある。

キシリアは四つん這いで歩いていても、美の黄金率を一時も崩さない。あるときはひたむきさに心を打たれ、あるときは扇情的でさえあり、また違う意味で心を射たれる。


「こうしていると子供の頃に返ったような気がします。身体中ビショビショに濡らして水遊びしたり、泥にまみれたり。」

「あなたがですか?想像つかないな。」

「ウフフ。わたくしおてんばでしたから。」

「へー。そうですか。勝手な想像で申し訳ないが、あなたはどこかの箱入りのお嬢様で、服を汚すような事なんてしないとばかり。」

「どちらかと言うと、箱の外を飛び回っておりましたね。いつか勇者さんにもわたくしのおてんばっぷりを見せてご覧に入れますね。」


俺の視線は半分以上彼女に向けられているような気がする。


「どうですか?何かありますか?」

「いや、残念ながら。」


一応左側は見た。何も無いだろう。

だが、これから右側に移って彼女を連れ回すのは不憫だ。


「勇者さんはお優しいのですね。」

「え?何故また突然。」

「ずっとわたくしの事を気にかけておいででしたね。放っておけばもっと効率よく探し終えたでしょうに。」

「アハハ。それは優しさからではありませんよ。あなたが美しいからだ。」


自分でも驚くほど歯の浮くセリフが出る。

これは夕日のせいではなく、キシリアが放つオーラのせいだと気付いた。

ここにルーシーやクリスが居たら冷ややかな目で見られていたろう。


「まあ、勇者さんはお上手なのですね。」


キシリアは立ち上がろうとする。どうやらこの端の方はあまり滑らないようだ。


「わたくしも風船を探して商品を頂きたかったです。そうしたら勇者さんともっとご一緒出来たのに。」

「俺もあなたともっと一緒に居られたらどんなに嬉しいか。だから・・・。」


ミネバが尻で滑りながら向こうの方からやって来た。


「あいた!ここ滑らない!」


近くでもんぞり打っている。


「ミネバさん。どうしたんですか?」

「あー、うん。向こうの端には何も落ちてないみたいだよ。」

「あらそうでしたか。ではここには風船は無かったということですね。」


探してくれてたのか。くれたと言うか。あったら持ち逃げするつもりだったんだろうが。


「そういえば変なメイクは落としたんだな。いつの間にか。」

「変なメイクって言うな!だいぶ前に落としてるし!」

「勝負メイクだったんですって。勇者さんに会うのにめかしこんで来たんですね。」

「そうなのか。笑わせるつもりなのかと思った。」

「ふゅがぁ!こころおれた!」


「でも素顔の方がかわいいよ。」

「え?あたしを拐かす気?」

「お尻大丈夫か?」

「あ、うん。お尻はいつでもいけるけど。」

「ん?」

「ん?」

「ごめんなさい。ミネバさんはたまによく分からないリアクションをしますので。」


たまにかな。


「ここに居たいのは山々だが、風船がないのなら俺は別の場所に行ってみることにするよ。」

「それがいいでしょうね。わたくし達も戻ります。」

「そいじゃ行こうか。」


スタスタと沢を歩いているミネバ。

ぜんぜん滑ってないじゃないか・・・。


滑らないのかと思って普通に立って歩いてみたらやっぱり滑ってずっこけそうになった。

キシリアが俺を支えてくれる。


「大丈夫ですか?」

「すまない。もう大丈夫。」

「わたくし達はゆっくり参りましょうか。」


腕を組み一歩一歩踏み締めながらできるだけ端の方を歩く俺とキシリア。

たまに滑りそうになってお互いの顔を見合い笑い合う。


沢を抜け蛇行した通路に戻る。

ホッとしてブラブラとちょうど二人が並んで歩ける幅の道を横にくっついて歩く。

キシリアはまだ俺と腕を組んでいる。


広い浴場に戻った。

先に戻っていたミネバとルーシーがそこにいた。

思わずドキッとしてしまう。

キシリアはまだ俺と腕を組んでいる。


俺を横目で見つけたルーシーが話しかけてくる。


「勇者様そこに居たの。風船は見つかった?」

「いや、こっちには無かった。と言うとそっちもまだ見つからないのか?」

「そうなのよ。それにセイラもここに居ないし。」

「さっき脱衣場に居たようだが。」


チラリと覗いたが、確かに居ない。


「暇だからクリスとお散歩でも行ったんじゃない。」


ミネバが言う。


「それなら良いんだけど。それより、随分仲良くなったのね。キシリアと。」


ルーシーが俺達をジロリと見る。

キシリアは腕に隠れるようにさらに俺に身体を寄せる。


「お陰さまで。セイラさんには感謝しないと。こんな機会を作って頂けたんですから。」

「なるほどねー。」

「わたくしはルーシーさんがうらやましいです。そんなにお綺麗なのに、強くて、勇者さんのような仲間にも恵まれて、何でも持っていらっしゃる。」

「強くて綺麗かは分からないけど、仲間になら今からでもなれるんじゃないの?」


俺はキシリアを見た。


「それはどうでしょうね。セイラさんが許してくれるでしょうか。」

「セイラなんて関係ないでしょう。」

「ニュフフ。怒ると思うけどなー。」


ミネバが間に入った。


「考えておきます。」


キシリアはそうとだけ言った。


「そう。良い答えを期待しているわ。それじゃ、私は北側の陸地の方を探してみる。」


ジャブジャブ歩きながら脱衣場の方に行くルーシー。

陸地か。確かに島にと言ったからには温泉のある場所とは限らないのか。


「そうそう。勇者。島全体が見たいなら脱衣場の横から狭い道を通って緩やかな崖を登れば、高台から全体を見渡せるよ。」


ミネバが教えてくれる。

脱衣場の上の岩場にはそれに続く高い崖がある。ここからでは道具無しで登るのは困難だが、緩やかと言う話が本当なら行ってみる価値はありそうだ。

日はほとんど落ちている。最後のチャンスかもしれない。


「行ってみるよ。」

「はい。わたくしはここでお待ちしています。お気をつけて。」


キシリアが名残惜しそうに手を離す。最後に指先だけを残しながら。

名残惜しいのは俺の方かもしれない。


俺も脱衣場に上がると、奥の方でルーシーがまだ見ていた。

特に表情は変わった所はなかったのだが、無表情の視線が痛い。

声をかけようとしたが、振り向いて岩場を登っていった。

バスタオル一枚で。


「危ないから、気をつけて。」


後ろからそれだけ声をかけた。危ないというのは、もちろんタオルが取れそうという意味だ。


俺はそれを見送ってミネバが言う狭い道を探した。

ここも岩と木と岩で一見通れないように見えるが人一人入れる通路があるようだ。

そこに入ってみる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る