第2話 時の止まった部屋

 柔らかくて暖かい布団の匂い。

お日様の香りに包まれる。

目覚まし時計は鳴っていない。

今日は仕事は休みだったかな。

こんなにいい天気の日はゆっくりと寝ていたい。

寝返りをうつ。

「起きてください。お嬢様」

「ううん。あと少し。五分だけ寝かせてぇ」

「かしこまりました。五分ですね」

夢の中に戻る寸前で疑問に思う。

一人暮らしなのに誰が返事をしているのだろう。

昨日はいつ寝たっけ。昨日は…。

目を開けたら小説の中だったんだ。

「うわぁっ!」

飛び起きると目の前にいたのは。

目が覚めるようなピンク色の髪の毛をしたメイド服の少女。

周りを見渡すと金色に輝く装飾で飾られた広いベットに横になっていたようだ。

心配そうにこちらを見つめているピンクの髪の少女。

「どうかいたしましたか。お嬢様」

昨夜のまま『愛の終わり』の世界なのだとしたら、

作中に出てくるピンクの髪は一人しか思い当たらない。

嫌われ者だったマディアの唯一の味方。

「ロゼ?」

「そうですロゼです!覚えていてくださったんですね」

感極まった表情の侍女。

「聖女を亡き者にしようとしたなんて。心優しいお嬢様がそんなことするわけないのに」

本当にロゼだったみたいだ。

「婚約者の他に女を作った挙句。お嬢様を処刑しようとするなんて最低な男」

「あなたが王子にそんなことを言ったら不敬罪になってしまうわ」

処刑しようとしたのではなく処刑されたのだけれどこの子は知らないのだろうか。

今ここに五体満足でいることがあり得ない状況なのに無邪気に笑うロゼを見て、

私ではなく本物のマディアだったらよかったのにと思う。

確か小説では城下町で奴隷だった少女の髪の色を気に入り。

父親に許可も取らずに連れて帰った。

薔薇のような色だからとロゼと名付け。

文字も読めない者を侍女に選んだ。

マディアにとってはただの気まぐれだった行為も、

ロゼから見れば希望の光に錯覚したのだろう。

彼女は身も心もマディアに捧げることも厭わず従順に従った。

最後にはラスボスとして退治される魔物がマディアだと気がつき、

身を挺して守ろうとし騎士に切り殺されたほどの忠臣。

「そうだロゼ。鏡が見たい」

「はい!鏡ですね。すぐさまお持ちいたします!」

持ってきたのは手のひらほどの宝石があしらわれた手鏡。

「高そうな鏡…」

重みのある鏡に恐る恐る顔を近づける。

もし自分ではなかったら。

マディアになってしまったのだとしたら。

私はこれからどうしたらいいのだろう。

鏡に写り込んだのは艶のある亜麻色の髪。

大きな緑の瞳が特徴的な整った美しい顔だった。

「…やっぱり」

「どうかいたしましたかお嬢様」

「私が誰に見える?」

「それはもちろんクラック家の一輪の花。マディア・クラック様に決まっているじゃないですか」

「そうだよね」

思っていた通りの結果に肩を落とす。

異世界転生と言えば。

神から授かった選ばれし能力とか。

この先の内容を知っているので防ぐことができるとか。

あちらでの知識が役に立つとか。

過去に戻ったので人生をやり直すとか。

他にもやり方はたくさんあるだろうに。

処刑され頭と体が離れ離れになった後、

その時間軸のまま蘇ったりしたら。

それこそただのアンデッドの魔物ではないか。

人間だなんて誰も信じてくれないだろう。

誰にも知られずに蘇ったならまだしも。

大勢の人が頭が切り落とされる瞬間を目の当たりにしたのだ。

処刑された次の日に遺体を埋葬している途中で起き上がるなんて。

悪魔狩りか魔物として討伐対象になる予感しかしない。

しかもこの小説ではマディアは冤罪で処刑され恨みから魔物になる。

絶対絶命だ。もうこの体は魔物なのかもしれない。

ここから一刻も早く離れないと。

ロゼがマディアが起きたことを報告に行く間ひとりになった。

今なら部屋を調べられる。

逃げるためにマディアの部屋を見て回ることにした。

どこからならバレずに出られるだろう。

本で読んだだけだったから実感は湧かなかったが。

当主のホバストと血の繋がらない娘マディア。

そのことを理由に教師や使用人たちから厳しい折檻を受け。

服に隠れる部分は鞭で撃たれた傷が多く残る。

彼女はここでどんな気持ちで日々を生きていたのだろう。

産まれてすぐ引き取られてからずっと暮らしている部屋だとは思えない、

生活感の無い部屋。

あつらえられた高級家具なのに子供用の低さのまま。

必要とされておらず気にされることもない。

時の止まった場所。

姿見の中にいるマディアと目が合う。

そっと鏡の向こうの彼女と手と合わせる。

「あなたはもっと生きたかったよね」

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