第7話 慕情にサヨナラ
果実ジュースで乾杯をした晩餐後、シャワーを浴びたケイトはクリスロードたちの部屋へ入り浸っていた。一度着替えを取りに部屋へ戻ったとき、ジュリオンの姿はなかった。
それにしても、シャワールームが各階にあるのはありがたい。おかげで、某先輩と鉢合わせしなくて済む。
「おやすみ」
「じゃあなー」
「おー」
楽しい時間はあっという間だ。
割り当てられた部屋のドアを前に、ケイトはポケットに手を突っ込み、固まった。
――鍵、忘れた?
どうやら、着替えを取りに来たとき、机の上に置いてそのまま出てきてしまったようだ。
「うそだろ……」
ルームメイトはあのアヲイ――じゃなかった、ジュリオンだ。
肩を落としたケイトは、ドアにごつりと頭をぶつけた。
彼とて、ノックをすれば開けに来てくれるだろう。しかし、開けてもらってなんと言おう。うっかり鍵を忘れちゃって。テヘッ。
――ありえない。
不意にドアに押し付けていた頭が押された。内側からドアが開かれたのだ。
ケイトは驚いて横へ避け、顔を上げる。
当然ながら、ドアを開けたのはジュリオンで。
「あ、……」
硬質な瞳を見ると様々な思考が駆け巡り、言葉にならない。その上、彼の纏う静かな威圧感は会話を
しかしそれは一瞬のことだった。
ジュリオンはすぐさま雰囲気を和らげ、作ったような微笑を浮かべたのだ。
「音がしたから開けてみたんだ。また驚かせてしまったか?」
「いや、……助かった。鍵、机に忘れて」
「それならよかった」
涼やかな声は心地良く耳に馴染んで、ケイトのこんがらがった思考を
ドアを開いたままで待っているジュリオンの脇をそろりと通り抜け、ケイトは机に向かった。少しして、ジュリオンも椅子に座ったらしい音が聞こえた。
どうしても、後ろに意識がいってしまう。
聞きたいことがある。しかし、聞いてどうする。記憶にない自分のことを、他の誰かが知っている。そんな事、あるのだろうか。
――小さい頃のことなら、覚えてないかも。
ケイトがクリスロードと出会ったのは、八歳の頃である。
ある日、母の友人がクリスロードを連れて家に遊びに来たのだ。それより前の記憶となるとおぼろげで、クリスロードが知らなくても不思議はない。
「あのさ、」
ケイトは思い切って振り返った。
思いがけずサファイアのような瞳と目が合い、息を呑む。
「なに?」
瞬き一つですっかり感情を隠した瞳に、いっそ感心した。
「前にどこかで会ったことある?」
「……どうして」
「どうしてって、あんな風にハグされたら気になるだろ」
ケイトはめげずに眉根を寄せて言葉を続けた。力が入り、ケンカ腰になってしまっても止められない。
するとジュリオンはやんわりとした微笑を浮かべ、なんでもない風に答えた。
「人違いだったみたいだ」
「探している人と、最後に会ったのはいつなんだ?」
「誰のこと?」
「だから、ケイだよ」
それは単なる勘に違いなかった。
苛烈に煌めいたサファイアの瞳に捉えられ、ケイトは身震いする。
「ケイ」
彼が呼ぶと胸の奥がキュッとして、息が出来ないほど苦しくなった。
ケイトは思わず胸に手をやる。見間違えだろうか。彼の瞳が一瞬、パパラチアサファイアの煌めきを放ったように見えた。
ジュリオンは睫毛を伏せて、ゆっくりと息を吐き出した。
「……俺がケイと最後に会ったのは、八才の誕生日」
「そんなに前のことなのに、今も?」
「ケイと初めて会ったとき、パッと世界が華やいだ。それ以来、心の中にずっとケイがいた」
それは世に言う一目惚れというやつだろうか。
今さらだけど、聞いてもいい話だったのか。
恋愛に不慣れなケイトは、ソワソワして目をそらす。そしてハッとした。
――その惚れた相手が俺!?
「人違いだと言っただろ」
「本当にそう思って……」
いや、やめよう。
世の中には、知らない方がいいこともある。
「そろそろ寝ようかな」
ケイトはわざとらしく伸びをして、椅子から立ち上がった。
「ケイト、」
早くベッドに入ってしまいたかったが、掬い取るような声に呼ばれて動きを止める。
ジュリオンからそう呼ばれたのは、初めてだと気がついた。
「君の言う通りだ。俺も、そんなに前のこと、だと思う。今では本当に、過去のことだと」
「それは……吹っ切れたってこと?」
「ああ。だから気にしないでくれ」
誠実そうな瞳に嘘はなさそうだ。
「わかった。もう気にしない」
ケイトは考えることを放棄し、全てを追いやるように眠りに就いた。
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