第8話 ヴィヴィッドに手を伸ばせ

 午前最後のオウル理論の講義が終わると、クリスロードが落ち着かない雰囲気になった。


「なにソワソワしてんだよ」


 ジョーニォが片眉を上げてクリスロードを見やる。


「えっと、その……」


 クリスロードは言いづらそうに目を彷徨わせた。

 ケイトは半目になって眉を上げ、口を開く。


「メイリーちゃんのところに行くんだろ」

「あー、ケイトは?」

「ん? んー、図書館で課題の参考文献でも探そうかな。いいから行けって」

「……うん。じゃあ、後で」


 行くのを渋るような素振りを見せたわりに、クリスロードは素晴らしいスピードで教室から消えた。二人はしばし無言で開けっぱなしのドアを眺めてしまう。あの穏やかで朗らかで、いつも余裕がある感じの彼が別人のようだ。


「飯行こうぜ」


 ジョーニォが後ろ頭を掻いて立ち上がった。

 ケイトもノートを小脇に抱えて続く。


「今日もトビの見習い?」

「おう。クラブ活動の時間までやってくる。文献さ、いいのあったらあとで教えろよ」


 自分で探す気皆無な眼差しを向けられ、ケイトは息を吐く。


「しょうがないなぁ」

「持つべきものは友だぜ」


 石造りの階段を降りながら、肩を組んできたジョーニォはいい笑顔。


「っぶな、」

「落ちたら治癒すりゃいい」

「その前に痛いだろっ」


 どこまで本気か分からないジョーニォの脇を、肘で小突いた。


「った、冗談だよ。クリスのヤツも怖ェしな」

「なんでクリスが出てくるんだ?」


 ケイトは首を傾げつつ、屋外に足を踏み出した。

 この出入り口は、学問所の敷地内にあるオープンカフェに近い。ちょっとした庭園を抜ければすぐだ。

 咲き誇る花々を横目に、ジョーニォが口を開く。


「お前は俺にとっても、カンナの次に大切な友だちなんだぜ」

「あー、そもそも道具以下だと」

「なんでそうなる⁉ カンナってのは、俺の人生みたいなものでだな、」


 慌てて弁解する様子が面白く、木漏れ日のなか、ケイトはクツクツ笑った。


「わかってるって」

「……ったく。あっちに座ろうぜ」


 少し低い位置にある橙色の猫っ毛を撫で、ジョーニォは空いているテーブルを親指で示した。


「ジョーは午後の講義出ないんだよな」

「おう。興味あるの、なかったからよ」


 学問所は学びたいことを学べる場。講義は選択制で、進級に必要な単位数も決まっていない。

 しかし、レポートなどの出来が悪いと理解不足を指摘され、留年を促されることがある。進級後の講義に、ついていけない可能性があるからだ。


「お前とクリスはアチッ、色んな講義に出てるよな」


 これから身体を動かすからと、ジョーニォは湯気の立つ大盛りパスタをもりもり食べる。


「俺は、少しでも興味がある講義には出てみようと思って」


 ケイトは手で持てる程度に冷めたピッツァに食らいつき、にょーんと伸びたチーズを舌で掬った。


「興味の幅が広ぇ」

「ビビッと来るのがないだけだ」

「んまぁ、そのうち見つかるだろ」

「だといいけど」


 それがあるジョーニォを、ケイトは羨ましく思ってしまう。


「クラブでな」

「うん」


 さっさと料理を平らげたジョーニォを見送り、ケイトも椅子から立ち上がる。

 ぼぅっと空を見上げたら、かすみがかった青が胸に押し寄せ憂鬱になった。

 ジュリオンと会話したあの日から、同じ部屋にいても自分に集中できるようになった。必要最低限の会話で、と上手く部屋を共有できていると思う。


 ――なんだか味気ない。


 そう感じるのは、親しい友人たちと異なり、熱中していることがないからかもしれない。新たな環境も、馴染んでしまえば刺激はなくなる。

 ケイトは小さく息を吐き、学問所の敷地内にある図書館へ向かった。街に出れば大きな図書館があるが、オウルに関する書物はあまり置かれていないのだ。

 かつて、それらは古い血筋の貴族が独占していた。

 オウルの知識が一般に解放された後ですら、核心に触れる重要なものは、学問所の図書館に写本が所蔵されるのみである。

 オウルは使い方次第で、豊かさも破滅ももたらす事ができる。そのため独占してきた貴族は、貴族や貴族の認めた品行方正な者にしか、実用的な知識を授けたくないと言う。

 けれどそれが理由の全てではないと、ケイトは思う。

 彼らは、かつてステータスの一部だったものを、未だに手放すことが出来ないのだ。

 

 ケイトは宮殿のような外観の図書館に足を踏み入れる。真ん中の開けた空間に長机が並び、左右に本棚が陳列していた。二階にも本棚がズラリと並んでいる。

 この図書館はそこまで広くないが、他では読めないものがたくさんあると聞く。

 貴族が寄贈した本や、珍しい写本など。父によれば、オランジュ家もそれなりに貢献しているらしい。


 オウルに関する本は――。


 ケイトは本棚に書かれた文字を見上げ、奥へとずんずん進む。目当ての棚をようやく発見し、それらしい本に手を伸ばしては目次を開いた。

 ふと顔を上げ、気になった本は遥か頭上の棚の中。

 手を伸ばして背表紙に触れるも、上部には届かない。本がみっちり詰まっているので、そこまで届かなければ取り出せそうになかった。


 くっ!


 ケイトは付近に誰もいないのを確認し、今度は背伸びした。

 爪先がプルプル震えるほど全力で取ろうとしたのだが、絶妙に届かず、ケンカを売られた気分になってくる。

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