第4話 ピンキーローズは悪戯に

 賑やかな小鳥のさえずりに耳をくすぐられ、ケイトは目蓋を上げた。予定より早く目覚めてしまったが、遅刻するよりいいだろう。

 上体を起こして伸びをする。

 息を吐いてベッドから降りようとしたとき、向かいのベッドに腰掛けているジュリオンの姿を認識した。


「っ」


 思わずる。

 そのまま数秒固まっていたが、相手が無反応なので、心を落ち着けてゆっくりとベッドから這いだした。

 どうしたのだろう。ジュリオンは全く動かない。まるで置物だ。「あれはゼンマイ仕掛けの人形だよ」と言われたら、うっかり信じてしまうかもしれない。好奇心が湧いたが、いきなり動かれたら困るので、そっとしておくことにした。


 ――よしっ。


 ローブを羽織って準備完了。

 ケイトが部屋を出るころ、ジュリオンもゆっくりと動き始めていた。

 

 静けさに包まれた廊下を行き、階段に差し掛かる。踊り場の開け放たれた窓から、ひんやりとした空気が流れ込んでいた。

 オリエンテーションの時間に合わせたにしては、少しばかり早い時間だ。にもかかわらず、食堂にはすでに学生の姿があった。

 ケイトは奥のテーブルの端に腰を下ろして、朝のコーヒーをゆったり味わう。高い位置にある窓から降り注ぐ柔らかな光が美しい。


「おはよう。ここ、いいかな」


 ――空いている席は、たくさんあるのだが。


 思いがけず声を掛けられ、ケイトは眉をひそめる。話しかけてきた学生を、しぶしぶ見上げた。

 緩くウェーブした若草色の髪は真ん中分けで、いかにも貴族といった風である。人懐こいローズピンクの瞳を見ていたら、薔薇が似合いそうだなと思った。


「……どーぞ」

「ありがとう」


 彼はケイトの隣へ優雅に腰掛け、かぐわしい紅茶を堪能している。

 身長的には可愛げの欠片もないのだが、後ろでちょこんと結ばれた髪といい、どこか憎めない。


「ロザ・ロビンソン。よろしく」

「っ、……オランジュ・ケイト」


 まさかの相手に喉を詰まらせるところだった。

 なるほど、彼はいかにも軟派だ。


「そう警戒しないでくれよ。ジュリから君と同室になったと聞いて、気になってさ」


 ジュリって、――アヲイ・ジュリオンのことか。イメージに合わない呼び方で、一瞬分からなかった。

 ケイトは半目になって口を開く。


「男にも興味があるのか」

「はは、否定はしないけど、そうじゃなくて。いやあ、面白いね。まさか君たちが同室になるなんて。公平に開かれた学問所は伊達じゃない」


 穏やかに笑うロビンソンは、完全に他人事で野次馬を楽しんでいるようだ。

 もちろん、アヲイ家とオランジュ家の不仲は、貴族連中の知るところである。


「どうだい、楽しくやってる?」

「話、聞いてるんだろ」

「意外なことに、ケンカはしてないらしいね」

「ケンカになるほど、関わりがないからな」


 ケイトはカップを傾け、酸味を含んだ苦味を喉に通した。

 小さく息を吐く。

 どのように接したら良いのか決めかねているケイトとしては、ジュリオンがやたらと話しかけてこないのは救いだった。


「そもそも、君らの家はどうしてそんなに仲が悪いんだい?」

「……知らない」

「ふぅん」


 大貴族と新興貴族は親しい間柄ではない。よって、交流もあまりない。それなのに、一体どのような切っ掛けがあるというのか。「なんだかイヤだな、近づかないようにしよう」とケイトが思うようになったのは、家族の影響だ。

 深く考えたことなんてなかった。ここへ来るまで――。

 ケイトは視線を感じてそちらを見上げる。思いの外近くにあったローズピンクの瞳が、じっとケイトを見詰めていた。


「本当に君は綺麗だな」


 ポロリと零れてしまったような言葉を理解したとき、視界に青い火花が散った。

 綺麗とか美しいとか可愛いとか。

 それら全てが伸び悩む身長を彷彿とさせ、ケイトには侮辱に感じられるのだ。


「待った、ついうっかり口かられてっ」

「っケイト、ストップ!」


 タイミングよくやって来たクリスロードに腕を掴まれ、少し冷静になる。

 ケイトはいつの間にか立ち上がっていた。

 周囲から視線を感じる。

 静かに腕を下ろしたケイトは、胸を撫で下ろすロビンソンを見下ろし、口を開いた。


「ここに来るまで、俺はあいつに会ったことがない。そうだろ?」

「ジュリの全てを俺が知っているとでも?」


 さすがナンパ師。

 ひょいと眉を上げて答えた彼は、突然の質問にも関わらず、不自然なほど自然だった。


「そうだ。ジュリ、起きてた?」


 立ち去ろうと歩み出したとき、後ろから投げられた言葉。


「ああ……」


 朝の妙な様子を思い出し、ケイトはほんのちょっぴり心配になった。


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