第3話 ブルーな気分

 時間を忘れて話していたが、腹時計は正確だ。


「なんかお腹すいたな」

「そうだね、ちょうど晩飯時だ」

「飯行くか」


 そうして彼らは、食堂に向かうことにした。

 廊下に出ると、壁のランプが温かに灯っていた。すでに学生たちで賑わっている。


「お、ケイトだ。これから飯?」 

「ああ」


 実家が商家ということもあり、様々な地へ訪れたことがあるケイトは知り合いが多い。一階の食堂に到達するまでに、何度か見知った顔と出会でくわした。

 廊下ですらそんな様子だったので、食堂はやはり混んでいた。

 薄暗い室内を、クリスタルのシャンデリアが控えめに照らしている。古めかしい雰囲気だ。広すぎない空間に、厚みのある木製の長テーブルが並んでいる。


「あのシャンデリア、クリステ産の上物だ」


 まさか、こんな所でお目に掛かれるとは。

 ケイトは目を丸くした。


「さっすが商家のお坊ちゃん」


 ジョーニォがニッと笑う。


「自分だってブツブツ言ってたろ、この建築オタク」

「ああ? 俺はまだオタクなんて言えるほど知っちゃいねえよ」

「は?」

「……好きこそものの上手なれ?」


 クリスロードが苦笑する。

 ジョーニォは鼻で笑って肩をすくめた。

 育ち盛りの三人は空いている場所を見つけると、さっそく長椅子をまたいで座り、メニュー表を手に取る。


「へえ、意外と庶民的な料理もあるじゃねぇか」

「俺はこれに挑戦してみようかな」


 クリスロードは聞いたことのない料理を適当に指差した。


「なんでも食べれるやつは……」


 ケイトは嫌そうに首を振る。


「ケイトは好き嫌いが多すぎるんだ」

「クリスの舌は俺でも疑うぜ。ケートはケートでデリケートすぎだと思うけど」


 テーブルに手を翳して注文すれば、浮き上がった緑の紋章から注文を確認する声が返ってくる。ジョーニォは物珍しそうにその光景を眺めていた。


「これが貴族の世界か」


 そんな呟きに、ケイトとクリスロードが目をパチクリする。


「そんなに珍しいか?」

「オウルの技術は広まってるだろう?」

「お貴族サマが思うほど広まっちゃいねぇよ。教本だって身近にないんだからな」


 だから学問所に来たのだと、ジョーニォは言った。

 

  ◇◆◇

  

「とっととシャワー浴びちまおうぜ」

「おー」


 シャワー室にはケイトの部屋の方が近い。二人を見送って、ケイトは部屋のドアと対峙した。

 息を吐き、覚悟を決めてドアを開く。


 ――いない。


 暗い部屋に人の気配はない。

 ケイトはホッとして、明かりを灯す。

 左右に並んだベッド。その向こうには背中合わせに机があって、奥には窓がある。昼間、ジュリオンはその窓の前に立っていた。今はカーテンが閉められており、部屋がより狭く感じられる。

 ケイトは圧迫感から逃れるように、急いで着替えを用意した。手提げバッグを肩にかけ、ズンズン歩いてドアへ向かう。

 靴を履いてドアノブを捻ってドアを開け廊下へ踏み出すと、壁のように眼前がんぜんに現れたものにぶつかった。


「ぅぶっ」


 顔を上げて固まる。

 あ。


「アヲイ……!」


 思わず後退して室内に引っ込んだ。

 部屋に帰ってきたのであろうジュリオンは、ゆったりと敷居を跨ぐ。


「名前で呼んでくれないか」

「え、ああ……ごめん……」

「こちらこそ、驚かせたなら悪かった」


 貴族を特別に扱う風潮が薄れつつある昨今、相手を名前で呼ぶのは礼儀である。


「俺も、名前で呼んでも?」

「あぁ、うん」


 ケイトはジュリオンの淡々とした態度に呑まれて素直に答えると、彼が通りやすいように玄関スペースの端へと避けた。そんなケイトをチラリと見やり、ジュリオンは切れ長の目を細めて机へ向かう。


「ケイト?」


 ノックと共にドアの外から声がして、ケイトは慌てて廊下に出た。


「うーー」


 髪を掻きむしりたくなるような心境だ。ジュリオンにどう接していいのか分からず、会うたび動揺して彼に振り回されてしまう。


 ――最初はあんなだったのに。


 今では、何事もなかったかのようなクールな振る舞いが憎らしいほどだ。


「彼、部屋にいたんだね」


 クリスロードはうなるケイトに苦笑する。


「出ようとしたらバッタリだ。背ぇ高いんだよ」


 ムスッと言えば、クリスロードは目を瞬いて笑顔を浮かべた。


「俺のこと?」

「……おまえもそうだな殴っていいか」

「ケイト、冗談っ」


 伸び悩む身長を気にしているケイトである。

 ケイトほどではないが、同じく背が高いとは言えないジョーニォは、ポケットに両手を突っ込んで、じゃれ合う二人を横目に口を開いた。


「ルームメイトだもんな。部屋でいっつも険悪ムードだったら辛いし、仲良くすれば」

「っそうだね。波風立てない程度に仲良くっ」

「俺、そういうの苦手だ」


 ケイトはようやく攻撃の手を止め、眉根を寄せた。

 乱れた髪を整えながら、クリスロードが肩をすくめる。


「ケイトは社交パーティとか行かないもんな」

「社交パーティ……」


 ボソリとジョーニォ。

 クリスロードは一つ頷き、歩みを再開させる。


「そういえば、彼と彼の友人のロビンソンの噂は田舎の小貴族の間でも有名だよ。彼らはどんなパーティにも出席するんだ」


 全てをスルーするケイトと異なり、小貴族の集まりに度々参加するクリスロードは、社交界の情報もそれなりに持っている。大貴族が小貴族のパーティに出席することはほとんどないため、快く招待に応じるジュリオンとロビンソンは有名だった。

 彼らが出席すると聞けば、彼ら目当てに多くのご令嬢も出席する。

 それは主催者にとって、願ってもないことだ。よって彼らは、様々なパーティに引っ張り凧なのである。


「そいつら、ナンパ野郎なのか」

「……人は見かけによらない」


 身を乗り出したジョーニォの影で、ケイトは僅かに身体を引いた。


「どうかな。二人ともモテるし、噂は色々あるけれど。俺の心象では、ジュリオンの方は彼女たちが勝手に流しているように思う」

「なんで女子がそんなこと、」

「ライバルを蹴落とすためとか、彼に振り向いてほしいとか」


 クリスロードには、纏うオウルの色で感情が分かる能力がある。難しい顔をするジョーニォにもサラリと答えてしまった。


「本人、怒らないのか?」

「彼はだんまりだね。周りに関心がなさそうだし、気にならないのかも」


 睫毛を伏せたケイトに目をやり、クリスロードは続ける。


「彼が様々な社交場に顔を出すのは、誰かを探しているからだって噂もあるよ」

「探してる?」

「噂だけどね」


 クリスロードがシャワールームのドアを開く。三人それぞれ、空いている個室に入った。


 ――俺はあいつのことを何も知らない。


 花吹雪の中で起こったことは夢だったのではないかとケイトは思う。

 あまりに幻想的で、衝撃的で、現実味が薄い。それでも、胸がキュッとなるこの感覚が、あれは現実だと主張した。

 しかし、ケイトを と呼ぶ人はいないのだ。家族も友人も――。

 人違いかもしれない。

 ケイとケイトは他人の空似で、名前が似ていただけではないか。

 目を閉じて、頭から熱いシャワーを浴びる。


 ――そんなことってある?


 ケイトは深いため息を吐いた。

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