第15話 (10) 宮廷魔法士

 部屋に戻ってすぐに思ったことは、ニアは何をしているのかなってことだった。


 今は部屋にいるのだと思うけど、隣の部屋からは物音一つしない。


 以前は居心地の良かったはずの自分の部屋。


 この部屋には、あっちにもこっちにも、私がニアから取り上げて、そしてすぐに興味を無くしたものがたくさん放置されていた。


 読みもしなかった外国語で書かれた絵本。


 目のところにエメラルドの宝石が嵌め込まれたウサギのぬいぐるみ。


 アンティークの手鏡。


 お祖母様からニアに贈られた物なんかもある。


 どれもこれも、手に入った途端に満足して、見向きもしなくなったものばかり。


 中には、オスカーから贈られた物もあったのかもしれない。


 あれらが私の物になるたびに、ニアはどんな顔をしていたのかはもう知ることはできない。


 ニアにはもう、二度と大切な何かを奪われる苦しみを味あわせたくない。


 これらは、戒めだ。


 よしっと、自分の両頬をぱんと叩いた。


 宮廷魔法士になってみよう。


 ニアがどんな世界で過ごしていたのか、私は知る必要がある。


 それで、今度はニアが平穏に暮らせるように。


 ニアだけじゃなくて、ルーファスにもオスカーにも幸せになってもらいたい。


 決意も新たにそうと決めた三日後が、私が城に行く日だった。


 なんだか派手なドレスを着ていく気分にもなれずに、ニアが誕生日に来ていた濃紺のドレスを借りて家を出た。


 お母様はとても不服そうにしていたけど、このドレスでも城には行けるのだからなんの問題もない。


「ごめんなさい、ケラー卿。城まで付き合わせてしまって」


 馬車を乗る直前に、隣を歩くアレックスに声をかけた。


「これが俺の仕事です」


 知っている人がそばにいていてくれるのはありがたい。


 たとえ相手が私を好ましく思っていないのだとしても。


 アレックスはいつもの生真面目な顔で騎乗すると、私が乗る馬車に並走して移動していた。


 城に着くと、馬車が停止した場所でレアンドルが待っていた。


 公爵令息らしい態度で馬車から降りる私を丁寧にエスコートしてくれたけど、あからさまに視線を合わせようとはしない。


 どうしてこんな態度なのか、今日はその理由を知ることができるのか。


 城内を私とアレックスを連れ立って歩いていく間、レアンドルは言葉を発しなかった。


「では、俺はここで待機していますので」


「うん。行ってくるね」


 扉の前でアレックスとは別れて、部屋に入った。


 そこで、まず最初に視界で捉えたのは、大きな机の前に立つ背の高い女性の姿だった。


「やぁ、やぁ、迷える子羊よ。待っていたよ。私が、ジャン=バティスト・デュゲだ。エリアナ、君を歓迎する」


 名前は明らかに男性のものなのに、男性かと思っていた人は、見事な美貌の持ち主の女性だった。


 手足がすらりと長く、それでいて弾けそうな胸まで完備している。


 銀色の髪は腰のあたりまであった。


 そして、これもまた黄金という珍しい色の瞳をしていた。


 その瞳が、楽しげに私に向けられている。


「私は君と会ったことがあるけど、覚えているかい?」


「いつ……ですか?」


 これだけ目を惹く人と、一度会えば忘れるはずがない。


「君が時間を戻す直前にだ」


「えっ……私が、時間を戻した?」


 それが本当なのだとしたらどうしてそんなことが可能だったのか疑問はあるし、目の前のこの人が私の時間が戻ったことを知っているのも驚きだった。


「覚えていないか。記憶の混乱が起きているようだ。では、まずは私のことを教えてあげよう。私は、時が戻る前はニアの先生をしていたんだよ」


 私の脳内が疑問に埋め尽くされて喋ることができないでいる間に、ジャン=バティストは喋り続ける。


「いやいや、まさか、こんな大規模で且つ、奇跡的なことが起きるとはね。君が魔法を扱えることは、すでに時が戻る以前に確定していたというわけだ」


「どういうこと……?」


「ニアの祝福の魔法に、君の潜在的な魔力が上乗せされて、こんな奇跡が起きたということだよ」


「ニアの祝福の魔法……」


 言葉を繰り返してみても、それがなんのことかもわからない。


「君はニアとは随分と違う性格のようだね。鍛え甲斐がありそうだ。どうだ?宮廷魔法士にならないかい?レアンドルは、学生と両立しているから、君もできるだろう。もっとも、レアンドルも君のおかげで二回目の学生時代を送る羽目になっているけど」


 部屋に入ってから、ずっと殺意を込めた視線を私に送り続けているレアンドルを見た。


「二回目って…………」


「僕も、貴女の魔法に巻き込まれて、以前の記憶を持ったまま過去に戻ってきてしまいました」


「それが、貴方にとっては良くないこと、だった?」


 だから、私に怒りを向けているのかな。


 レアンドルは、何も答えようとはしない。


「私が時が戻ることを願った時、何が起きたの?そこに貴女はいたのでしょ?ニアとオスカーが亡くなったこと以上に悲しいことが起きたってこと?」


 レアンドルに尋ねることはやめて、ジャン=バティストに疑問を向けてみた。


「それ以上に悲しいことってのは、君の主観になるから私にはわからないが、とても後悔したってことなのだろうね」


 確かに後悔はしたけど……


「まぁ、時を戻すことには成功して、君は今、人生をやり直している。それでいいじゃないか」


「僕は……よくはありません…………」


 レアンドルは、悔しげに顔を歪めていた。


 見方を変えれば、それは泣きそうな顔にも見えていた。


「それで、どうする?宮廷魔法士になるかい?」


「それは、はい。私はまだ、ニアを救えたとは言えないから」


「そうか」


 そこで、ジャン=バティストは皮肉げに笑った。


「おめでとう、おめでとう。今度は君は、魔法使いとしての名誉をニアから奪ったというわけだ」


 ズキリと、痛みを覚えた。


 本当のことでも他人から言われるのは辛い。


 宮廷魔法士にと誘ったのはジャン=バティストの方なのに。


「案ずるな、若人よ。迷える君を私が導いてあげよう。だから、私をしっかりと楽しませるんだよ。無知であった君が、どのように人生をやり直すか。見させてもらうよ。ははははは!」


 そして、今度は豪快な物言いと笑い声に、呆気に取られる。


 そんなジャン=バティストに、不快げな視線を向けたのはレアンドルの方だった。


「レアンドル。君も、二回目の人生では第二王子以外に友人を作ってみてはどうだね」


「必要ありません。どうせ、死ぬ人間なのですから」


「みんな死ぬよ。いずれはね。如何にして死ぬか。それが重要なわけで、エリアナは足掻いているというわけさ」


「まだ、足掻いていると言うほど何かをしたわけじゃ……」


「ふふっ。殊勝なことだ。ニアと、その想い人の死は随分と応えたようだね」


「貴女は、私達のことをどれだけ知っているの?」


「何かを多く聞いたわけではないよ。ニアが、自分のことをベラベラと喋るわけないだろう。ただ、見ていれば、それから長いこと一緒にいればわかるからね。君が以前は、いかに無知で愚かで緩やかな毒に侵されていたのかは」


 ジャン=バティストから見れば、随分と私は滑稽に見えたはずだ。


「さぁ、私は今日から君の先生だよ。侯爵令嬢という立場は忘れて、魔法士として励むことだ」


「はい……」


 ニアの先生だったと言うのなら、今はこの人から教えを受けてもいいはずだとは思っていた。




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