第5話 花火と覚醒


 梅雨の季節もあっという間に過ぎ去り……と言っても雨が降りやすい日々は続いている。


 今日の天気は晴れだ。

 夏になって日差しが照りつける日中は、外出意欲を根こそぎ奪ってしまう。

 しかし、せっかく夏になったからには何か、夏のイベントをしたいモノで。

 と言うことで、今日の夜は、砂浜で花火をする事にした。


「美夜、バケツは持った?」

「持ったよ。咲弥、花火は持った?」

「うん、しっかり持ってる」

「よーし、行くわよ!」


 嬉しそうに扉を開ける美夜。

 僕もその後に着いて家の外に出る。

 日中が暑かったからか、日が沈んだ後も外は蒸し暑い。


 住んでいる家から出て、少し森を歩くと、もうすぐそこは一面の砂浜が広がっている。


「何してるの。早く来なさい!」

「あぁ、今行くよ」


 一足先に、バケツを持って走り出した美夜が、砂浜から僕を呼んでいる。


 堤防を進み、浜の入り口で立ち止まる。

 砂浜に降りる前に靴が砂で汚れると面倒なので、脱いで置いておくためだ。


「水は汲んでおいたわ」

「ありがとう。じゃあ、僕が火をつけるから、その間にどれからしたいか決めておいてね」

「分かったわ」


 まだ温かい砂浜を歩いく。

 そして、花火を美夜に渡すと、火の準備を始める。

 風よけを作り、砂浜に蝋燭を立てて、マッチで火をつける。


「決まったかい?」

「これがいいわ!」


 そう言って握っていたのは、一般的な手持ちの花火だった。赤や緑、青色と色を変えていくタイプのだ。


「じゃあ、準備はいい?」


 僕が聞くと、美夜は静かに頷いた。

 そして、手に持っていた花火を蝋燭の火に近づける。

 すぐに火が灯り、火薬に引火して綺麗な赤色の閃光を放ち始める。

 火花を散らし、白い煙を上げる花火。


「どう? 綺麗でしょ?」


 僕は、美夜の喜ぶ姿を想像して尋ねる。

 しかし、期待とは裏腹に、美夜の様子は一変していた。

 呼吸は荒くなり、全身の毛が逆立っている。


ーー『覚醒』の症状が発症したのだ。


 これは、脳に何らかの負荷がかかると、遺伝子に刻まれた人間以外の部分が剥き出しになるのだ。


「美夜、大丈夫か?」

「き、気にしないで……」


 美夜は頭を押さえながらよろめく。


「美夜、落ち着いて。ゆっくり深呼吸をするんだ」「う、うるさい。ほっといてよ」


 美夜の眼光が鋭くなり、僕を見上げ、見つめる眼差しには混乱の様子が伺える。


「大丈夫だから。ここには君を傷つける人なんかいない」

「黙って!」


 何かに怯えるように、ガタガタと震え出した美夜に近付こうとした僕。

 そんな僕を美夜は、手を振って突き飛ばす。

 

「ぐっ……」


 覚醒によって伸びた美夜の指の爪が、僕の頬に直撃した。

 頬が熱くなり、触れた指に赤い血が付着する。

 深くはないが、大きめに切ったようだ。

 そんな僕の傷に、美夜の顔がみるみる真っ青になり、涙目になっていく。


「あっ……その……ごめんな、さい。ほんとに…ごめんなさい……」


 正気を取り戻したのだろうか。

 何度も謝りながら、どこかへ逃げて行った。


 そんなな美夜を僕は……追いかけることができなかった。

 覚醒した彼女らは、僕の手に追えるほど弱くはない。ましてや彼女はオオカミの血を持っている。

 とても敵わない。


「いや、これは言い訳か……」


 海の上に広がる分厚い雲の中で、明るくいかづちが轟く。

 静かに雨が降りはじめ、蝋燭の炎が消えた。

 

 そんな荒れ始めた天気はまるで、美夜に何も出来なかった自分を責めてくるように。


「あぁ、僕はどうしたら良かったんだ……」


 雨の降る砂浜に取り残された僕は、ただそう呟くしか出来なかった。


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