黒です

 場所は移って洒落しゃれたカフェ。土曜日という事もあって店内は大盛況だが落ち着いた雰囲気は崩れていない。



 どうしよどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよ。



 心はまるで落ち着いていないが。


 俺は対面にかしこまった様子で座っている櫻羽さくらばに目を向ける。


 櫻羽さくらば智里ともり。俺が務めている会社に新卒採用として去年入社してきた女性だ。


 人当たりが良く礼儀正しい彼女は外見も相まって〝真面目〟の一言に尽きる。


 肩にかかるくらいまで伸びた艶のある黒髪、切れ長な目、所作……どれをとっても歳不相応で、歳下に思えないぐらい大人だなと感じる場面が多々あった。もちろん、悪い意味じゃなく良い意味で。


 職場でも普通に喋る機会あるし、仲が悪いって事はないと思う。


 だからってラブホに一緒するほどの関係じゃないが…………。



「あ、あのさ」



「は――はいッ」



 飛び起きるように姿勢を正した櫻羽だが、顔は俯き加減で視線は未だに交わらない。


 もじもじと落ち着きがなく居心地悪そうで、髪の隙間から覗いている耳はほんのり赤くなっている。


 ……やっぱり、そうなのか。


 状況からして黒なのは間違さそうだ。俺に記憶がないだけで……。



「……率直に訊くけど、昨日何があった?」


「…………覚えていないんですか?」



 目をパチクリとさせた後、首を傾げてきた櫻羽に、俺は頷いて見せた。



「会社の飲み会があったのはちゃんと覚えてるんだけど……内容、というか何があってああなったかが全然思い出せなくて」


「……………………」


「こんな事を訊いちゃうのもどうかと思うんだけど……あれだよね? 俺達、別に何もなかったよね?」



 話題が話題なだけに、俺は周囲に聞こえないよう小声で櫻羽に訊ねた。



「……本気で仰ってるんですか? 何も覚えていないと、本気で」



 いつもの櫻羽からは想像もできないような低い声音。彼女が怒っているのは目に見えて明らかだ。



「ああ。多分俺、相当酔ってたんだと思う」


「……では、昨夜の言動はすべて、酔った勢いに任せてだったという事なんですか?」


「いや、だからその言動とやらも具体的に覚えていないというか……」


「…………そうですか」



 か細い声で返してきた櫻羽は、コーヒーを一滴も口にせず席を立った。



「じゃあ……私はこれで」


「ちょ――待て待て待て!」



 ペコリとお辞儀し帰ろうとする櫻羽の腕を、俺は咄嗟に掴んだ。


 彼女は黙ったまま俺の手をじっと見つめている。



「帰るなら、せめて何があったかだけでも教えてくれないか?」


「……山本さんが覚えていないのなら、それでいいかもしれません。私も忘れます」


「いやいやそうじゃなくて! もう、この際だからハッキリ訊いちゃうけど……俺、櫻羽に手を出したのか?」


「…………見ての通りです」



 依然、櫻羽は俺の手を見つめている。



「手を出したってそういう意味じゃなくてだな。何というかその……」


「わかっています。だから、見ての通りと言ったんです」


「いやだから手を出すの意味は違くて――」



 そこまで言って俺は言葉を飲んだ。彼女が口にした見ての通りの意味が理解できたから。



「……初めてだったんです、私」



 櫻羽は……泣いていた。


 初めて……つまりはそういう事……俺は黒だという事だ。


 彼女の腕を掴んでいた手から力が抜け、離れる。


 解放された彼女はもう一度、俺に向かってお辞儀をし、それから足早に店を出て行った。


 一人残された俺はおもむろに腰を下ろし、テーブルの上で頭を抱えた。


 何やってんだ俺はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!

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