6-2 夢に生きることを選んだ姫
「さあ、休みましょうね」
それでも病人だ。しののめは姫のしたことを咎めずに、ほほ笑みを浮かべた。けれど、姫は硬化したまま、しののめを弾く。
「看病はいいわ、もう。助かる見込みはなさそうだし」
高名な医師にも見放されたことを知った姫は、薄く笑った。十四の少女のものとは思えないほど、すべてを悟りきった軽い笑いだった。
「いいえ、いけません。姫にはよくなっていただかないと」
姫が良化しないと、朝春を邸に呼ぶ口実がない。しののめは姫以上に、朝春と会いたかった。
そもそも、姫の病の原因は気鬱。朝春に会えば癒されるはずだった。
しかし、朝春の居場所は分からない。丹波医師の弟子だったのかどうかも、判然としていない。もどかしい。
「全部、まぼろしのような気がするの。朝春さまへの恋も、別れも。父さまの死も。母の不在も。私の病も。だから今、死んでも怖くない。ちっとも怖くない! だって私、まるで現世に期待していない」
「いけません。理由があって、朝春さまは姿を隠しておられますが、生きてさえいればいつか再会できますよ。前の殿はおられませんが、お若い新殿がいらっしゃいます。きっと、姫のお力になってくださります」
「それにね、夢の中ではね」
姫はしののめのことばを無視し、ひとりごとのような話を続ける。
「どんなに悲しいことが起きても、最後にはいつも、朝春さまが迎えに来てくれるの」
「それはただの夢です。私、朝春さまを捜してまいります。まだ、鎌倉におられるかもしれません」
「いいのよ、もう。ご迷惑をかけたくないわ。夢で逢えるもの」
「諦めないでくださいませ。捜せ、とわたくしにひとこと、命じてください」
自分にそう言い聞かせながら、しののめは姫を利用している己を恥じた。姫大事と唱えつつ、朝春に会う口実を作っていただけではないだろうか。
公然と朝春に面会できないさびしさを、姫で紛らわせていただけのような気がした。おのれの浅ましさにぞっとする。
卑怯だが、姫には真実を告白できなかった。
朝春に軽蔑された今、姫にまで嫌われてしまったら、しののめは二度と立ち直れない気がした。明確な理由も提示されず、恋を断たれて苦しんでいる姫に対して、失礼だと思う。けれどこれ以上、愛するものを失うことは怖ろしくてできない。
「なんでも、いいの。ご本人でなくても、朝春さまに似た方が持っていらした薬なら、毒でも薬でも」
「いけません。今日から、丹波どののお薬に変えてみましょうね。朝春さまは、姫を見守っております」
「気休めはやめて。ああ……朝春さま、来世ではきっと結ばれましょうね!」
目が見えない姫は、懸命に空へ向かって手を伸ばした。その様子は憐れを誘い、しののめは強く手を握ったが、姫はやがて力尽きた。
眠ってしまったのか、気を失ったのか。
それが、三幡姫との最後の会話となった。
六月三十日。
ごく簡単に戒を受けて仏道に帰依した姫だったが、とうとう母政子の見舞いもなく、ひっそりと息を引き取った。
三幡姫遷化の報は、鎌倉に静かに流れた。
姫の遺髪を握り締めたしののめは、姫の葬儀が終わると出家を果たして中原家を去った。
朝春は、杳として行方が知れない。
(了)
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