4-3 若人の心は熱く、澄んでいて、重い
その日を境に、朝春の姿が鎌倉から消えた。
***
鎌倉殿御危篤の知らせが町に流れたのは、年も押し迫った十二月二十七日のこと。
相模川に架けられた新しい橋の上棟式に参加した帰り、乗っていた馬が暴走して落ちたという。頼朝の馬が、矢で射かけられせいいだ。
馬に振り落とされ、頭を強打した鎌倉殿は重体のまま、急ぎ大倉御所へと運ばれた。当代一流の医師が治療に当たるという。
しののめも搬送される様子を見に行ったが、ものものしい警備の列に阻まれた。
即座に、下手人捜しがはじまった。
射かけられたのは馬だが、当然鎌倉殿を狙っての仕業だろう。そう遠くない外出ゆえに、警護が薄かった。飛んで来た矢は一本。馬の腹に的中した。
弓の上手で、鎌倉殿に恨みを持つ者。
だが、弓を射たと思しき地点の木立には、人の足跡がいくつか残っているだけで、手がかりになりそうなものは皆無。おそらく、近くに馬を隠して矢を放ち、ただちに逃走したものと推測された。
ただ、近くの民家に住む人の目撃談によると、見かけない僧形の男がひとりいたという。唯一の証拠品である矢にも、これといった特徴はない。御家人たちは、僧が矢を射かけたのか理解に苦しみながらも、この『袈裟の男』を血眼になって捜した。
しののめには、誰が犯人なのか分かっていた。
佐治原朝春の仕業である。
朝春には北への任務の内定と、志水の娘との婚礼が決まりかけていたが、すべてを擲って朝春は鎌倉殿を狙った。
行方知れずになってから、半月ほどになる。
あまり外出しない鎌倉殿の遠出という好機をとらえた鮮やかな手腕に、しののめは感心さえしてしまった。今ごろは、まんまとどこか遠くへと逃げ切っているだろう。下手人詮索の手が緩んだころに鎌倉へ戻り、政への参加表明をするのだろうか。
鎌倉殿危篤の知らせを聞いた姫は、がぜん元気を取り戻した。
父が亡くなれば、子どもは喪に服すために祝いごとは延期される。もちろん、来春の入内も。姫にとっては願ってもない吉事である。
「ねえ、しののめ。このたびの下手人は、朝春さまでなくて?」
同じ館の中にいても、最近は話をするどころか、姫は乳母と結託し、しののめとは顔を合わせないように過ごしていた。
しかし、今日ばかりは姫のほうから話かけてきた。
朝春が異母兄だった事実は知らされていないものの、姫は朝春の出奔について、自分を迎える準備のためだと、勝手に解釈しているふしがあった。
「父にはおかわいそうなことをしたけれども、朝春さまは私のためにあえて行動を取ってくださった。出奔なさったときには絶望に襲われたのに、今は心がとても軽いわ」
とうに壊れた恋なのに。夢に酔ったままの姫は、目を輝かせながら妄想している。
「不謹慎なことを、おっしゃってはなりませぬ」
姫のためには、朝春がこのまま出て来ないほうがよい。
「まあ、しののめってば、お固いのね。暇だし、せっかくだから、父の御見舞いにでも行こうかしら。父の死を悲しむ娘の図は必要よね」
「まだ、決まっておりません。持ち直される可能性もございます。殿は、強運のお方ゆえ。祈りましょう」
「しののめは、父に助かってほしいようね」
「もちろんでございます。鎌倉は、殿のお力で開かれた新しい町。まだまだ殿に頼らねば」
「でも、お兄さまも、それに弟もいるし、それほど案ずることはないと思うけれどね。特に、頼家お兄さまは御自分の力を試したくって仕方ないみたいよ。あら、もしかしてお兄さまの意を受けた者が? 裏で、朝春さまと兄が組んでいたら、どうしましょう」
「ご想像に任せてありもしないことをお話することは、よくありません。どこで誰が聞いているのか分かりませんよ、姫」
諌めたつもりでも、姫は鼻でせせら嗤った。
「私は知っているのよ。朝春さまが姿を消す直前、しののめはひそかに会っているでしょう。歳が離れていることを知りながら、朝春さまをたぶらかすなんて、図太い根性をしているわ、まったく」
「そんな言い方はおやめください。たぶらかすなど、そのようなつもりは微塵もございません」
「しののめは相変わらずね。つまらない人。もういいわ」
妄想の世界に生きる姫は、たくましくなった。仮病の仮面が剥がれてからはいっそう強く。いっそ、朝春が死んだとでもなれば、正気に戻るのだろうか。
しののめは否定した。いいえ、あの子には必ず生きていてほしい。
なぜなら。
佐治原朝春は、鎌倉殿の胤を受けて我が腹を痛めて生んだ、しののめのたったひとりの子なのだから。
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