4-2 若人の心は熱く、澄んでいて、重い

 朝春が案内してくれたのは、小さな寺。


「この寺の裏手に続く崖の上へ登れば鎌倉が一望できますが、険しい山道になりますので。とはいえ、寺からの眺めもなかなかのものです」


 馬を下りたしののめは、寺の山門を見上げた。

 そして、息をのむ。紅葉と銀杏の織り成す鮮やかさは綾なる女装束を想起させ、

心が震えた。


 この寺を訪れたのは、初めてではない。


 最近は足が遠のいていたが、何度も訪れたことがある。毎日のように通った時期さえも。しののめの夫や、しののめ一族の菩提寺である。

 ただし、平家との合戦で命を落としたすべての武者を弔う寺ゆえ、しののめが参拝していても不自然ではなかった。


「落葉で脚が滑ります。どうぞお手を」

「では、おことばに甘えまして」


 朝春にそっと手を引かれ、しののめはゆるやかな石段を上った。歩みの遅いしののめに歩調を合わせてくれる朝春は、常にやさしい。姫が惹かれるのも納得だ。


「歩きながら、話を聞いてくれますか」

「はい、若君さま」

「こちらには、それがしにゆかりの縁者が眠っているそうで。それがしは、佐治原の実の子ではないと最近聞かされました。先日、初めてこの寺を訪れましたが、妙に落ち着きます」

「若君さまは、佐治原家の武士です」

「表向きは。しかし、それがしは父が余所からもらって来た子だと得心しました。以前から、おかしいと思っていたのです。佐治原の血をひくとはいえ、七男に過ぎない者がなぜ、『若君』などと呼ばれているのかと」

「それは、若君さまのお人柄かと。文武双方に優れておいでですもの」

「ようやく合点しました。昨日、鎌倉殿に呼び出されたのです」

「まあ、殿に?」


 朝春の手を握りながら、しののめは身を固くして話に耳を傾けた。


「僭越ながら、間近に召し出されました。御前には誰もおらず、常の様子ではありません。よくよくこれは特別な沙汰があると感じました。殿は柔和な笑みを浮かべ、よく参ったとねぎらってくださいました」


 そのときの様子を、なるべく詳しく朝春は思い出そうとしていた。双の目をつむっている。瞼の裏に焼きつけた情景を呼び覚ますように。


「こう、小さく手招きをして、それがしの手を、殿の手のひらが包んでくださいました。おそれ多くて、汗がどっと吹き出ました。肌寒い日だったのに。いいえ、それに

続くことばに比べれば、手を取ってくださったことは小さなことです。『そなたは、私の落とし胤だ』、と。失礼だと思いつつも、それがしは驚きのあまり、殿から目が離せませんでした。殿の目には、涙が浮いているように見えました」


 ああ、とうとう話をなされたのだ。


 しののめは、三幡姫の仮病について殿に文を出した。朝春出生の告白は、その答えなのだろう。仮病を捨てた姫が、駆け落ちなどの暴挙に出るかもしれない、その前に。


 朝春は冷静な若者だ。恋に毒されていても、真実を知れば醒めるはずだと殿は踏んだのだろう。いくら姫が乗り気でも、朝春が動かねば暴挙は計画倒れで終わる。


「嫉妬深いご正室の、北の方……政子さまに知られないように生まれてすぐ、秘密裡のうちに佐治原家に預けられたそうです。実は殿の子、と聞いて長い間の霧が晴れました。折に触れて、殿はそれがしを近くへ召されました。元服の際には烏帽子親を引き受けてくださったばかりか、『朝』の一字までいただく破格の栄誉を」

「殿は、情の厚いお方です。若君さまのことを、ずっと御覧なさっておいででした」

「はい。思い返せば、いくつも心当たりがございます」


 もちろん、しののめは知っていた。朝春が、殿の隠し子であることを。佐治原家に養子として入ったことも。


 しののめの指は小刻みに震えはじめていた。


 その先のことを、殿は話したのだろうか。心の臓が、うるさいほどに高鳴っている。朝春に聞かれてしまうのではないかと案じるほどに。


 朝春は、しののめの顔をじっと眺めていた。


「北方の巡察を命じられました。陸奥、できればその先にあるという蝦夷ヶ島まで。年明けに出立します」

「年明けとは、早いこと。北の地にはまだ、雪が多く残っているでしょうに。先日も出向したばかりではありませんか」

「もっと奥深い地まで、視てくるようにとの仰せでした。確かに、殿の支配が届いていないのは北方です。とてもありがたいお役目にございます……なれど……三幡姫は都へ行かれる。まるで別の方向へ」


 ふたりを引き離そうとしている殿の魂胆は、見え見えだった。


「分かっています。姫は、それがしの妹だった。なぜ、姫に惹かれたのかと考えましたが、濃い血のつながりゆえだったのです。殿の反対は、至極真っ当なものでした。しかしやはり、身体の弱い姫を都の人質にするなど、憐れです。おいたわしい」

「姫は、わたくしがお守りいたします。若君さまの分まで」

「真面目なしののめどのならば、そうおっしゃるでしょう。姫に無理を強いる殿が、許せません。今ならば言える。大姫さまは、殿のせいで気鬱になってしまった。手を取り合うべき係累や古くからの忠臣が、すでに何人も粛清されているのも、殿ゆえ。殿の敷く体制では幕府は潰れる。いつか都に潰される、いや内部から崩壊するかもしれません。それがしは殿の御子であることを公表し、堂々と政に参加したいと思っております。北の方さまのお子さまおふたりは、どうにも信頼できません」


 朝春の横顔は決意に燃えていた。


「いけませんわ、若君さま。今以上を望むのは。あなたさまが消されてしまいます」

「佐治原の父にはひそかに話を通し、了解を得ました。殿の跡を継ぐにふさわしいのは、それがしにございます。殿さえいなくなれば幕府は正しい道へ進む。三幡姫は自由になれる。あなたさまも、都へ行かなくて済む」

「そう簡単にはまいりません。比企さまや阿野あのさま、三浦みうらさまや北条さま、ほかにも有力御家人が黙っていないでしょう。朝春さまは未来ある若君なのですから、焦らなくても」

「変えて見せます。早くしなければ、姫が都送りになる。そうだ、あいつには武士としてもっとも無様な姿を」


 頼朝の認知は、朝春の焦燥心に火をつけてしまう結果になった。


 朝春は肩に舞い降りたもみじの葉を指先でつまんで口に持ってゆくと、歯で引き裂いた。その様子を、しののめは朝春が血を吐いているかのように錯覚した。



 帰路は終始、無言だった。


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