4-1 若人の心は熱く、澄んでいて、重い

 十日ほど沙汰がなかったが、次に朝春より届いたのは、しののめ宛ての文。以降、毎日のように送られてくるようになった。


 先だっての使者をさんざんに叱ったせいか、姫への恋文は途絶えたので安心していたのだが、今度はしののめへ降る矢か雨のごとく頻繁に届くようなった。

 懸想めいたものではないと分かっていても、周囲の人がどう思っているのか気になってしまい、これはこれで恥ずかしい。朝春とは二十ほども違う。


 内容はいつも、『どうか、姫との仲を許していただきたい』の一点張りである。下手な細工をしないぶん、好感が持てる。


 しかし、情にほだされてはならない。


 しののめは常に毅然とした態度の文を突きつけて返す。『姫は女御さまにつき、近々上京する次第。若君さまも、どうか嫁御と仲睦まじく』と。


 文が届くたびに何度も同じ文面でやり過ごすため、言い訳をすっかり諳んじてしまった。昨日も、拒絶の文を送ったばかりだ。心苦しいけれど、無視すべきなのかもしれない。


 中原家の庭木は、紅葉も終わりを迎えて冬支度に入った。

 年が明ければ、いよいよ入内の運びとなるだろう。しののめも都へ伴をするつもりでいる。そして、鎌倉の地を二度と踏まないだろうことも覚悟して。


 自身がもっと若ければ、都への期待や憧れもあっただろうが、逃げるようにして上京を目指すしかない身の上だった。

 取り立てて鎌倉が好きというわけでもない。それほど愛着もない。ただ、新しい土地へ行く不安は持っている。


「しののめさまは、いらっしゃいますか」


 とうとう来た。朝春の声だった。若い、張りのある澄んだ声。


 仲を引き裂かれてしまったゆえに、恋にいっそう火がついてしまったらしい。双眸が爛々と光っている。うつくしいけれど、どうにも怖ろしい。

 しののめは用件を聞く前につい、居丈高に口走ってしまった。


「若君さまを、姫に会わせることはできません」


 心の内を見透かされたように目を丸くした朝春だがしかし、大きく笑った。


「いいえ。今日はしののめさまにお会いしたく、参りました。たまには、紅葉狩りでもいかがですか。鎌倉の山という山が、燃えているように見事でうつくしいですよ」

「紅葉狩りですか」


 意外な誘いだった。


「ええ。今年最後の紅葉見物になるでしょう」


 おそらく、しののめ自身に話があるのだろう。邸の中では、できない話が。

 姫が入内してしまえば、これが最後になるかもしれないと思ったしののめは、渋るふりをしながらも、外出の準備を整えた。

 ふと、気分がやや浮ついていることに気がつき、冷静を装う。あやうい。


 朝春は馬である。しののめも馬を牽こうとした。今は女房勤めの身とはいえ、根っからの武者の娘であるので、馬に乗るのはわりと好きだ。


「遠駆けではありませんので、どうぞご一緒に。さあ」


 そう言って、朝春はしののめを抱え上げ、手早く自分の馬の背に乗せてしまった。


「しののめさまのお身体は、お軽いですね」

「困ります。どこで誰が見ているのか」

「よろしいではありませんか。しののめさまは、独り身でしょうに。それがしも、同じです」

「しかし、わたくしのような婆と噂になって苦しいのは、若君さまのほうですよ」

「なあに、むしろ光栄です。いつまでも若くておうつくしい、しののめさまと噂になれるなど、本望ですね。しかし、お困りならば笠などをどうぞ」


 心には決めた姫がいるのに。さらには、嫁まで名前が挙がっているというのに、この軽口はどこから生まれてくるのか。


 朝春はしののめのために市女笠を用意した。

 もちろん、しののめは礼を述べて笠をかぶって顔を隠した。笠の下には布も垂れているし、すぐにはしののめの正体が知れないはずだが、道ですれ違う者があれば思わず俯いてしまう。


「しののめさまは、若くておうつくしいですよ。隠さずとも、よろしいのに」

「見え透いた世辞は、若君さまの瑕となりましょう」

「いいえ、これは本心にございますれば。姫に懸想していることはもちろん、それがしが中原家へ向かう理由は、しののめさまとお話しができるという点も大きかったわけで」

「わたくしに?」

「ええ。なぜか、心躍るのです。しののめさまに会えると思うと」

「うれしいことを言って、この婆をそそのかすおつもりですか。若君さまもご成長なされましたね」


 厭味にもかかわらず、朝春は笑って吹き飛ばした。とても明るくてやさしい、笑顔だった。


 ゆったりとした足取りで、馬は中原家のある亀谷を出ると鎌倉の北へ、昼でも薄暗くて細い切通しを進んでゆく。町とは、反対の方向だった。朝春は単騎、供も連れていない。


「それがしの気に入っている眺めがあります。そちらへご案内しましょう」


 この数年で、朝春は少年から青年へと変貌を遂げていた。しなやかな若木のような肢体は伸びやかで、たくましい。三幡姫のみならず、少女ならばきっと朝春に憧れるだろう。


 しののめは馬に揺られるふりをして朝春の胸に、そっともたれかかった。とてもあたたかい。

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