3-1 奔流する激情の源は

「頼春さまの噂、お聞きになって?」


 姫付きの女房のひとりが話をもちかけた。


 このところ、中原家では縫い物や染め物で忙しい。御所から次々と反物が運び込まれている。上質の布ばかり。

 この反物を使い、三幡姫入内に必要な装束の支度をするよう、指示が出ていた。姫本人の装束や調度は都の工房で用意させるらしいが、付き従う女房のものは自分で繕うように言われている。


 新しい布を目の当たりにした女房たちは、大いに湧いた。質も量も、これだけのものを手にする機会は、そうそうない。しかも、自分のものになるのだ。女房は競って選び、己の装束作りに精を出している。


 入内話は、姫の病によって延期のようなかたちになっていたが、にわかに現実味を帯びはじめた。


「若君さまの、噂?」


 ひと針ひと針、一応は途切れることなく手も動かしつつも、若い女房たちは噂話に昂じている。


「そう。このところ、よく働いている頼もしい若者という噂だけれど、結婚の話が出ているそうよ」

「相手は志水しみずの娘で、十四ですって」

「志水の! でも、志水の娘では、若君さまのお相手にはやや格が落ちるわね」

「どうやら、殿のお声がかりらしいわ」

「殿が? まあ、なんて非情な。こちらの姫のお心を御存じのはずなのに」

「いいえ。姫は、女御さまよ。わたしたちが、日々こうして新しい装束を縫えるってことは、都へ行く日も近いのよ、きっと。若君さまは新しい娘で、恋の傷を癒やせってことね」

「朝春さまご本人はそれでいいかもしれないけれど、我が姫さまはどうなるの。あのお身体で、帝の妃になんて苦しいだけよ。人前どころか、私たちの前にだってあまり姿をお見せしないのに」

「でも、姫が都へ上らないと、わたくしたちのこの装束も消えてなくなる定め」

「悩ましいわね」

「ほんとうに」


 女房たちは姫の恋を応援しつつも、気を緩めたとたんに目の前の布地が他人に奪われないかを気にかけている。


 とうとう、殿が行動に出た。


 志水家の娘を朝春の嫁にどうかと持ちかけたという話が、この中原家にも届いた。家格としては佐治原が優位だが殿の発案では断れないので、おそらく来春にでもまとまるだろう。


 現在、当の朝春は佐治原家の所領に一時、戻っている。

 長兄とともに、所領内での任務があるということだったが、頼朝の差し金で鎌倉の地より遠ざけられているに違いない。その前は佐治原の父とともに、東国巡視の旅に出ていた。馬の扱いが上手いとはいえ、休む暇もない。


 苦しい恋心を訴える文が何度も届いたけれど、しののめは姫には読ませずに破って焼いた。心が痛んだけれど、そうするよりほかはなかった。ふたりの恋を許してはならない。


 姫は都へ、朝春は嫁を。


 これでよかったのだと、しののめは納得した。

 朝春が嫁を迎えれば中原家を訪れることもなくなり、自分も、あの若者に会えなくなる。一抹の寂しさを覚えつつも、入内の準備にかかってしまえば忙しさのあまり、弱音も吐けない日々がしののめを待っていた。


 しののめが考えるべきは、入内に反対していた政子への言い訳だった。どうにかして、会わないまま京に上る術はないものか。


 姫には申し訳ない。初恋を無視したばかりか、気乗りしない入内を強いられるのだから。入内話は、大姫を殺した。三幡姫の恐怖、いかばかりか。せめて、心をつくしてお仕えしようと、しののめは誓った。


 しかし、噂は広がるもの。


 口の軽い女房どもが、姫の耳にも朝春の婚儀について漏らしてまったらしい。顔を真っ赤にした姫がしののめの局に怒鳴り込んできた。


「しののめ! どうして黙っていたの」


 見るからに尋常ではない。憤怒した姫の猛る姿に、しののめは軽く口を開いたまま、なにも言えなくなってしまった。


「姫さま、そのように肩をいからせて。いかがしましたか、落ち着いてくださいませ。鬼にでも、魅入られてしまったのですか」

「あなたが悠長に構えているからこうなったのに。しののめ、私の女房失格よ。私のそばに、何年仕えてきたの。朝春さまがご結婚なさると言うじゃない。私の心を知っているのに、なぜそのような無視を。卑劣ね」


 髪をふり乱した姫は本気で怒っていた。目の奥が嫉妬で燃えている。

 ゆえに、しののめも本気で言い返すことにした。目の端で、周囲に誰もいないことを確信してから。


「おことばですが、姫さま。あなたさまはすでに、帝の女御として入内することが決定しております。このように、いつまでも仮病を続けられないことにも気がついておいででしょうに」


 そうだ。三幡姫は、しょせん仮病。強いて挙げれば、わがままがひどいだけで、身体はどこも悪くない。

 現実を逃れるための嘘。好きな人の憐憫を誘うための嘘。

 すべては、殿や政子と同居していないからこそ、三幡姫にできた嘘なのだ。病がち、加えて気鬱といえば、誰もが大姫の悲劇を思い浮かべてしまうため、強く出られない。


 しののめも、三幡姫の嘘にじっくりと付き合ってきた。


 いくらなんでも、身代わりの入内は憐れだと思ったからだ。入内は暴挙だったと、いずれは殿も気がつくだろうし、冷静になる期間が必要だった。

 朝春との話は勧められないけれど、入内にはしののめも反対である。長年育ててきた姫が、政治の道具に使われることは悲しい。


 しかし、姫はここにきて態度を変えはじめている。早く朝春と結ばれたい、と。朝春のことになると、人格が変わってしまうのだ。

 朝春と結ばれてしまえば、入内を辞退できると思っている。病を得ているという設定なのに、さっさと庭に出たりする軽挙に出る。しののめも、姫の失態を取り繕うのに忙しい。


 正論を指摘され、三幡姫は黙りこくった。しののめの局に乗り込んで声を限りに叫んでいることすら、違和がある。

 姫はその場に崩れ落ちた。


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