2-2 鎌倉殿と政子としののめと

 政子は留守だと聞いていたけれど、帰宅したようだ。とのともっと早く面会できていれば、顔を合わせることもなかったかもしれないのに。つくづく、殿の多忙さが恨めしい。


「ようこそ、しののめの君」


 できれば会いたくなかった。政子は、三幡姫の実の母親だが、ふだんは別居しているし、そもそも政子は三幡姫に関して、亡き大姫以上に関心はないように映る。姫が病になっても、同居して看病という話には一度もならなかった。


「ご無沙汰しておりました、北の方さま」


 頼朝よりも十ほど年下の政子は、長女こそ残念なことになったけれど、二男二女の子どもに恵まれてますます栄えている。実家の北条ほうじょう家も政子の存在を礎に、着々と幕府で勢力を広げていた。

 政子本人は肌つやも目の色もよく、殿に分けてほしいぐらいだ。紫の袿がよく似合う。


「殿に呼ばれたそうね。たまには、こちらにも顔を出しなさい。姫のことで、かしら」

「はい。具合はいかがかと」

「あまり、よくないようね」

「ですが、殿より見舞いのおことばと、朝鮮人参をいただきました。姫も、きっと励まされるはずです」


 かつて、しののめは殿とひそかに関係をつないでいた。それを、この人は知っているのだろうか。嫉妬深い政子はこれまでにも殿の浮気相手の家を叩き壊すよう命じたり、鎌倉より追い出したり、かなり強引に排除してきた。

 それでも、自分のような女はいくらでもいた。殿は、高貴な源氏の、そして武家の頭領であり、都の貴種。憧れない女はいない。政子もかつて、流人だった時代の頼朝と結ばれたのだから、女の心はよく分かっているはずだ。


「殿は、あなたになにを? まさか、姫の病状のみを聞くために、わざわざ呼んだとは思えないけれど」


 自分からはけっして言わないけれど、政子は知っている。姫と頼春との噂を。


 殿は頼春が元服したときに、己の『頼』の一字を与えるほど、気にかけていたのを政子は覚えているだろう。幕府の重臣である佐治原家の末っ子とはいえ、破格の扱いだ。

 その頼春が、姫に近づいた。北条家とのかかわりを考えるならば、殿の意見に賛同するだろう。『佐治原を野放しにはできない』。『ふたりを遠ざけよ』、と。


「姫は、佐治原さまの若君を慕っておいでです。若君もまた、姫を」

「まあ、やはり」


 思い描いていた通りの話の流れに、政子は目を細めた。知っていたはずのことを、初めて耳にしたかのように驚く政子の芝居を目の当たりにして、しののめは寒気がした。


「しかし、姫はすでに都の女御でいらっしゃいます。佐治原さまの若君とは結婚できませんので、殿はふたりを会わせないように、ご指図なされました」


 政子は頷いた。すべて、想像していたことなのだろう。


「たしかに、殿はそうおっしゃるかもしれない。けれど、私には願ってもない良縁だと思えるのよ」


 しののめは顔を上げ、政子の目を見た。ゆらぎのない、まっすぐな明るい、強い眼だった。


「大姫のことがあってから、私は子どもたちが怖いの。私から生まれた子どもなのに、まったくの別人。頼家も、千幡せんまん(のちの実朝さねとも)も同じ。でも、失いたくない。あなたには子どもがいないから、こんな心は分からないかもしれないけれど、とにかく失いたくないの。三幡を、遠い都へ送るのもいやなのよ。なんとか、佐治原との話をまとめて頂戴。姫も喜ぶでしょう」


 意外だった。ふたりの仲を取り成すよう、持ちかけられるとは。

 しかしその理屈は、母のものというよりは、政子ひとりの感情によるわがままとしか感じられない。


「おことばですが、殿は佐治原家の専横を危惧しています。頼家さまの後見も務めていらっしゃる佐治原さまに、力が集まることを嫌っておいでです。あまり目立ち過ぎては、ほかの御家人の嫉妬を浴びましょう。それを曲げて、佐治原さまの若君に嫁がせるなんて」

「あなたも姫の女房なら、姫のしあわせを第一に考えるはず。あのいくさで夫を亡くしたあと、三幡姫が生まれたときからそばに上がったと聞いているわ。育ててきた情があるでしょうに」


 暗に、姫の味方をするのか、殿に加担するのかを問い質されているように思った。今、政子に敵視されたら、鎌倉では生きてゆけない。


 しののめは娘時代に頼朝と出逢ったが、ほどなくして仲を引き裂かれ、その後ある御家人と結婚させられた。御家人はしののめの一族郎党とともに平家追討のいくさに出陣し、ことごとく西海へと沈んだ。


 幼い三幡姫への出仕を世話してくれたのは、頼朝自身だった。一族を失った、せめてもの償いらしい。おかげで、あまり悲しむ暇もなかった。殿には感謝している。姫も大切だ。けれど政子は、油断できない。


 政子は、佐治原家と同じく殿を支える家柄の娘とはいえ、まったく別の勢力に当たる、北条氏の出身。敵対はしていないが、お世辞にも仲がいいとは言えない。実家を大切に思うならば、佐治原の失脚を考えていても不思議ではない。


 たとえ、しののめが政子の策に協力し、姫と朝春の結婚に失敗しても、責を問われるのはしののめと朝春であり、政子には瑕がつかない。


「おことばですが、姫は、年齢以上に幼く、また病がちです。お身体が快復したときに、また考えればよろしいかと」

「悠長なことは言っていられません。殿は入内の工作を急ぎ、朝春の嫁さがしもはじめています。こちらも早急に手を打たねば。よろしいですか、姫の部屋に朝春を一夜でも通してしまえば、女御辞退の申し出もできます。とにかく、女の一生を左右するのは、なんといっても結婚。ああ、子どもは頭を悩みの種。頼家は婚家の比企ひき家に入りびたりで、狩りばかりに熱心。弟のほうはまだ幼くて。姫は身体が弱いなんて」


 あとに続くのは、愚痴だった。


「特に困るのは、比企の一族よ。今日もあちらの邸へ行ったのだけれど、頼家は比企の娘にべったり。この先が思いやられるわ。将軍家の庇護をいいことに、比企の兄弟も増長している。けれど、殿には恩のある家柄で疎かにも扱えない。ああ、比企より佐治原のほうが、まだまし。殿も、我が北条家をもっと立ててくだされば、悩まずに済むのに」


 政治的な問題には、口出しができない。しののめは頭を垂れて聞き役に徹した。政子の話が途切れたところで席を立った。少し、わざとらしかったかもれないが、退室の機を失うわけにはいかない。


 しののめは、殿と政子の間に挟まれた。


 いっそのこと、夫婦で姫の去就についてしっかり話し合えばよいものを。そんな投げやりな気持ちも生まれてくる。間に人を介するから、問題が複雑になっていると気がついてほしい。


 すでに暗くなった亀谷に戻るしののめの脚は、さらに重くなっていた。

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