1-2 姫の思惑

「ほんとうに、似合いのおふたりですことね」


 乳母は、庭先の姫と朝春にうっとりと見ている。殿に反対されようとも、姫の思いを知っている乳母にとっては朝春と結ばれることが第一なのだ。


「いけませんよ、乳母さま。姫は病がちですし、外を歩くなんて」


 風が強く吹くだけで、姫は気分がすぐれないと言って臥せってしまう。さまざまな薬はもちろん、祈祷や転地も行ったものの、著しい効果は得られなかった。邸内には、姫の治療を諦めている者さえもいる。


「このようなあたたかい陽気の日ならば、外に出たほうが身体にも心にもよいでしょうに」

「けれど、殿にも止められています。あのおふたりは、近づけないように。乳母殿も、きちんと見張っていただかないと」

「しののめどのは、いつも殿大事ですのね」

「わたくしは、姫のことを思って」


 しののめは熱っぽく反論した。

 乳母がうんざりした顔でこちらを眺めているのをいいことに、さらに畳みかける。朝春と結婚させられない理由は身体の弱さだけではない。


「よろしいですか。すでに我が姫君は、都の帝に入内なさる身の上。一介の御家人の息子風情など、釣り合いません」

「なれど、姫さまは朝春さまを」

「いけません」


 姫を連れ戻すよう、しののめは庭へと女房を送り出した。


「なにゆえ、いつもそのように、しののめどのは頑ななのかしら」

「ほんとうに。姫さまの楽しみといえば、たまの散策でしょうに」

「ましてや、お相手が朝春さまならば、なおのこと」

「あのように立派な若武者なのですから」


 それは、いけない。あってはならないこと。

 頼朝が、三幡姫の入内を画策しているからだ。すでに、女御に内定していた。あとは時機を見計らい、都へ上がるだけだ。


 本来であれば、頼朝の長女・大姫が入内するべきだったが、長く患った果ての死に同情が集まり、鎌倉じゅうが悲しんだ。次女の三幡姫は、大姫の身代わりとして、流れで都へ上がることになった。そこに、三幡姫当人の意思はひとかけらも存在しない。


 しかし、都の政情が乱れており、姫の病弱な体質にも改善のきざしがない。三幡姫入内を実現する時期が決定できないまま、ずるずると月日だけが経過した。


 それに、今上帝は姫よりも十ほど年下の幼児である。しあわせな結婚ではない。

 気の毒だったが、しののめは口を噤んだ。頼朝に従うしかない。鎌倉殿の命は、絶対なのだ。


「ですが、あの晴れやかな姫さまのお顔。久しぶりでしょうに」

「なんとでしても都行きを阻止し、朝春さまと結ばれますよう努めたいものです」

「そうですわ。姫は鎌倉に。都になど、差し上げたくありませぬ。大姫さまの轍は踏ませたくありません。こちらの姫さまは、おやさしくて穏やかなお方なのですから」


 乳母たちは、姫に厳しいだけのしののめへと反感を募らせている。頼朝の女間者だと、影では罵られていることも承知の上だった。それでもしののめは、冷たい声でさらに続けた。


「姫を、さあ早く奥へ」


 三幡姫の笑顔は、輝くような光に満ちている。けれど、しののめは首を横に振って立ち上がった。


「では、私が行きましょう。姫、姫さま」


 若いふたりを引き裂くのは忍びないけれど、誰かがやらなければならないのだ。

 姫は、庭に咲く花をひとつふたつと指折り数えている。朝春と手をつないでいないほうの手で。女郎花、桔梗、竜胆。菊に萩、薄。ときおり、朝春と顔を見合わせて明るく笑う。その横顔は、まさに恋をしている乙女の表情。


「姫さま、戻りましょう。風に当たるのは、お身体に毒です」


 しののめは、敢えて声を大きくした。振り返った姫の身体は、震えていた。つかさず、朝春が姫をかばう。


「少しだけです、あともう少し。お願いでございます、しののめさま」


 なんという、連携。朝春は姫を支えて励ます。うつくしい恋。細やかな愛。ふたりの仲を引き裂いているしののめは、邪魔者だった。しかし、認めるわけにはいかない。


「さあ、姫。庭の花ならば、わたくしと若君さまとで摘んで、のちほど届けましょう」

「いや。咲いているところを見たいの。活けてあるお花ではない、ほんものの花を、朝春さまとともに」

「赤子のように駄々をこねている場合ではありませんよ。姫さまは女御の位にあらせられます、立派なお妃さまです」

「その話はやめて。都なんて、いや」

「殿の決定は絶対です。たとえ姫さまとて、反対できませぬ。さあ、朝春さまも」

「そうやって、いつも」


 姫は、しののめを激しく睨んだ。


「そうやって、しののめはいつも朝春さまを私から取り上げようとするのね。まさか、嫉妬なの? そろそろ四十にも届こうとしているのに、しののめは朝春さまが好きなのかしら」


 激したあまり、あきれたことを口走った姫に、しののめは唖然とした。朝春は姫としののめに挟まれて気まずそうに唇を噛み締めている。


 突拍子もない姫の指摘は、あながち間違いではない。しののめは、朝春を好ましく思っている。姫との恋で、殿に嫌悪されてはほしくない。朝春は、幕府の重鎮となるべき若者だ。しののめはひとつ息を吐き、穏やかに説得を再開する。


「わたくしは、朝春さまを立派な若君だと尊敬しております。さあ、戻りましょうね、姫。では、朝春さま」


 笑顔を作り、しののめは姫の肩を押して歩いた。

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