1ー1 姫の思惑

「殿には、また断られてしまいましたよ」


 若武者の佐治原朝春さじはらあさはるはそう告げると、ことさら高らかに笑ってしきりに頭を掻いていた。


 浅く日焼けした肌に、やや照れた笑顔が愛らしい。眩しくなるような溌溂さを持っていた。今年で十七になる。先日会ったときよりも、さらに背が伸びたようで、末頼もしい。


 佐治原朝春は、三幡姫さんまんひめに懸想をしている。それは心底、姫を思う純な思いだった。


 しののめも、同情はしていた。


 源頼朝の次女・三幡姫は生後間もなく実の父母と離れ、乳母の実家である亀谷かめがやつの中原家に住んでいた。姫の兄弟も、それぞれ乳母の家で暮らしているため、肉親とのかかわりが薄い。


 しののめは、三幡姫付きの女房だ。


 今もこうして、姫に会いに来た朝春の相手をしている。姫は身体が弱い上に十三歳とはいえ、裳着を済ませた立派な姫君。おいそれと他家の男に会わせるわけにはいかなかった。朝春も、姫の立場を理解しているが、簡単には引こうとはしない。


「まだ諦めませんよ。どうにも、姫が御可哀想で」

「若君さまは、おやさしいことですね」


 しののめは世辞を口にした。


「当然です。姫には、大姫さまのぶんまでお幸せになっていただきたい。そのためには、それがしの努力次第」


 胸を張った朝春の姿は、まさしく武士である。


「まあ。若君さまは相変わらず」

「もちろんです。誠意をつくせば、いつかは殿も折れてくださるはずだと、それがしは信じています」

「前向きですこと」


 おほほ、と口もとを扇で隠し、しののめは努めて優雅に笑った。

 以前より、佐治原朝春は三幡姫に求婚している。

 佐治原家は将軍家にとって、要の家柄。股肱の忠臣。けっして、悪い組み合わせではない。

 もともと、朝春は姫の幼なじみ。裳着を終えるまでは遊んでいた相手だ。歳まわりも釣り合いが取れているし、思いを通わせ合うのも当然だった。中原家では、頼春の訪問をひそかに喜んでいる者も多い。

 朝春は弓馬が得意で頭もよい。人望もある。将来の出世は間違いなしである。


 鎌倉殿の長女・大姫おおひめ……三幡姫の姉は長年、気鬱をこじらせて苦しんだ。筒井筒だった許婚の死、意に沿わない入内の浮上など、心労の多い人生だったとはいえ、若くして亡くなった。三幡姫に、その轍を踏ませたくないというのが、周囲の一致した意見である。


「朝春さまが来ているって、ほんとうなの」


 どこで聞きつけたのか、当の姫が奥から這って出てきた。

 歳よりも小柄で、装束に埋もれてしまっているような身体つき。顔は、殿に似た気高さを感じる。朝春の来訪を知り、薄く化粧をほどこしてきたようだ。頬に紅をさしているせいか、いつもよりも血色がよく映る。


 殿……源頼朝は、朝春の求婚を退けている。思案どころか、聞く耳も持たないという。ゆえに、しののめも姫に朝春を近づけないように努力しているのだが、姫と朝春はすでに相愛の仲だった。


「お久しぶりにございます、朝春さま」


 几帳越しに、姫は挨拶をした。少しだけ、顔を覗かせて親しげに合図する。幼いなりに、女特有の媚びを秘めているが、明るい顔だ。嫌悪は感じない。

 心根のまっすぐな朝春は顔を赤らめ、しかしうれしそうに俯いた。恋する少女はうつくしい。思わず、しののめも目を細める。姫の、赤く染まった頬は、紅のせいだけではないようだ。


「姫さまも、お変わりなく」


 朝春は頭を下げた。


「館の奥深くに閉じ込められて、退屈していたのよ。しののめ、お願い。ちょっとの間だけ、庭を歩かせて。今日は天気もいいし、ねえ? お庭の花、きれいに咲いているの。近くで見たいわ」


 つまり、姫は朝春と庭を散策したいと言っていた。しかし、姫を外に出すのは心配である。


「それはよい提案ですわ、さあどうぞ。是非に」


 しののめは拒否しようとしたが、先に姫の乳母が答えてしまっていた。乳母はいつも姫に甘い。姫には親兄弟とのふれあいがほとんどないので、溺愛しているといっていい。それが、姫のためにならないということも知らずに。


「姫さま、お身体に障ります」


 几帳から滑り出た姫はしののめを無視し、喜んで庭に降りる。軽やかな足取りだ。朝春もうれしそうに姫の手を取り、さっさと並んで歩きはじめていた。


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