音のないやり取り

 それは、暗い洞窟に身を潜めている頃。

 自分もレクトも、日々の疲れから深く眠っている時のことだった。



「……ルカ。」

「………」



「ルカ……ルカ……」

「……ん? シアノ、か…?」



 ぼんやりとした意識。

 その中でも、声変わりを迎える前の高い声は脳裏によく響いた。



「声に出しちゃだめ。父さんが……近くにいるでしょ?」

「………?」



 妙なことを言うものだ。

 レクトが第一のシアノが、彼に話を聞かれることを嫌がるなんて。



 疲れてぼうっとした頭では、何故シアノが自分に声を届けてこられるのか、そんなことを疑問に思う余裕もなかった。



「お前……何かやらかしたのか? レクトも心配してるぞ?」

「………」



 黙り込むシアノ。

 その声が涙ぐむのは、一瞬のことだった。



「お、おい……シアノ?」

「……なさい。」



「は…?」

「ごめんなさい……ごめんなさい…っ」



 唐突な謝罪。

 それに戸惑っていると……





「本当は……全部、ぼくと父さんがやったの…っ」





 そこから、懺悔ざんげのように告げられた真実。

 とんでもない衝撃を受けたし、眠気も疲れも一気に吹き飛んでしまった。



「……なぁ。今、シアノはどこにいるんだ?」



 要領を得ない幼い話を聞き終えた後、静かにそう訊ねる。



「エリクと一緒に……宮殿にいる。みんなにも話した。」



 恐怖で声を震わせながらも、シアノは正直に答えてくれる。



「兄さんは無事か?」



「うん…。ユアンに言われて……リュドルフリアの血を飲んだから、もう父さんに操られることはないって。」



「兄さんは、今何してる?」



「ぼくをずっと抱き締めて……ずっとなでてる。エリクが……ぼくの声も、父さんみたいに聞こえてたって言うから……ルカにも、聞こえるかなって思って……だから……」



「だから、謝りにきてくれたんだな。」



「うん……うん…っ。ごめんなさい……ごめんなさい…っ」



 シアノの泣き声を脳裏で聞きながら、そっと目を閉じる。



(兄さんは……最初から、全て許してたんだな。)



 シアノの話から察するに、エリクはきっと、自分が殺されそうになる前からシアノの介入を知っていたのだ。



 それでも彼は、シアノを許そうと決めていた。



 そうじゃなきゃ、自分と一緒に見舞いに来たシアノを、あんなに温かく迎え入れなかっただろう。





 本当に、どこまでもお人好しで―――まぶしいくらいに立派な人だ。





「シアノ。どうして急に、オレたちに謝ろうと思ったんだ?」



 できるだけ優しく、問いを投げかける。



「だって……だって、エリクが死んじゃうなんて嫌だったんだもん…っ。父さんに言われても……殺したくなかった。もう……そんなことできない…っ」



「そうか…。お前は父さんより、オレや兄さんを選んでくれたんだな。」



 何も知らない子供だったのだ。

 誰からも見放され、道を示してくれる相手がレクトしかいなかった。



 これは、周囲の悪意と本人の無知が生み出した過ち。

 それは分かっている。



 でも……自分は、だからといって全てを許せるほどお人好しじゃない。



「シアノ。今からオレが言うことを守れるか?」



 優しい口調を取り下げ、厳しく問う。

 シアノが怯えたように息を飲んだが、その返事を待たずに先を続けた。



「お前はユアンに言われたとおり、リュドルフリアの血を飲むんだ。」



「………っ」



「その前に、アルシードのアホを呼べ。あいつには、これからやってもらわねぇといけないことがある。あいつとの打ち合わせが終わるまでは、オレとこうやって話せるようにしておいてくれ。」



「………」



 シアノは何も答えない。

 きっと、怖いのだろう。



 リュドルフリアの血を飲め。



 それは言い換えれば、レクトとの繋がりを絶てということ。

 父親も自分たちも助かるという道を捨てて、どちらかだけを選び取れということなのだから。



 己の行いを悔いているのなら、同じく己の行いで誠意を示せ。



 この一言を突きつけるのは簡単だ。

 そしてこれが、嘘偽らざる自分の本音でもある。



 でも、あそこまで自分に懐いてくれた、自分と似ている子供にそう告げるのは気が引ける。

 なんだかんだと、自分はシアノのことを可愛く思っているようだ。





 それに―――エリクは、自分がシアノを突き放すことを望まない。





 一番の被害者である兄がシアノを許し、今もシアノを支えようと心を砕いているのだ。

 ならば自分は、尊敬する兄の意思に沿った道を選ぼう。



 そうしてきたエリクが、堂々と自分を誇れているように。

 そうしてきたキリハが、周りを変え続けてきたように。





 許すことで、誰かを救うことができるのであれば……





「シアノ、信じてるぞ。」





 今の自分から贈れる精一杯の言葉を、人生の岐路に立つ小さな子へ―――




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