内側からの苦痛

 その場に、沈黙が落ちた。



 深くうつむいたレクトは全く動かない。

 積年の想いをぶつけにぶつけたユアンも、彼を睨んだまま微動だにしない。



 息も詰まるような、重苦しい沈黙。

 それは長い時を経て、ようやく現実が身にみたが故のものか。



 それとも……



「は……ははは……」



 小さく震え出すレクト。

 そして彼は、ゆっくりと顔を上げる。





「私が見ていたリュドルフリアが虚像かどうか……―――それは、お前たち人間が滅べば、自ずと分かるだろう。」





 その双眸に、光はなかった。



「やっぱり、お前には僕の言葉を聞くつもりもないんだな。」



 ユアンは落胆しない。

 ただ静かに、剣を構え直すだけ。





「感謝するよ。これで……清々しい気持ちで、お前を殺せる。」





 自分の言葉がレクトに届かないことくらい、とっくの昔から知っていた。



 いくら事実が揺るぎなくても、自分という存在を介するだけで、レクトにとってはどんな現実も虚構であり絶対悪。



 自分たちが手を取り合える日は、きっと永遠に来ない。



 それでもこうして怒りをぶつけたのは、単に自分が我慢ならなかったから。



 過ちを犯しすぎてしまったレクトと、それを最後まで止められなかった自分に対する激情だけは、最後に吐き出してしまいたかったのだ。





 この因縁に決着をつけたら……今度こそ、自分は消えるかもしれないから。





「じゃあ……ここからは、一切手加減なしってことで。」

「ちょっ……おい!!」



 そこで、これまで傍観者だったディアラントが声をあげた。



「お前が手加減をやめたら、ルカ君が―――」



「ああ。死ぬだろうね。」



「馬鹿野郎!! ここに来たのは、ルカ君を奪い返すためだろ!? それに、ここでルカ君を殺したとしても、レクトは死なないだろうが!!」



「だから? 借り物の体だろうが、痛みは共有なんだ。この程度の傷じゃ、まだまだ苦痛を与え足りない。とことん痛めつけてやろうとも。」



 ユアンの目は本気だ。

 それ故に、ディアラントは焦る。



 まずい。

 怒りのあまり、冷静な思考が弾け飛んでいるようだ。

 このままでは、本当にルカを殺しかねない。



「さあ、レクト。お前も僕が憎いんだろう? だったら、死ぬ気で僕に痛みを与えてみろよ。僕はすでにお前をボロボロにさせてもらってるけど、お前は一撃も僕に当てられてないぞ?」



 ゆったりとした口調でレクトを煽るユアン。

 切り傷どころか、かすり傷一つないその姿は、レクトの神経を逆なでするには十分といえた。



 しかし。



「―――その余裕、いつまでもつものかな?」



 レクトがにやりと口の端を吊り上げる。

 次の瞬間。



「う……ぐ…っ」



 何故か、ユアンが胸を押さえて苦しみ出した。



「ユアン!?」

「だい……じょうぶ…っ。何が起きてるのかは……想像が、ついてる…っ」



 地面に突き立てた《焔乱舞》を杖にして体を支えながら、ユアンはひきつった笑みでレクトを見やる。



「やっぱり……操れる対象が一人だけ、なんて……真実なわけない、よね…っ」

「いや? 感覚にリンクできるのが一人だけというのは、偽りなしの事実だぞ?」



 レクトは上機嫌に述べる。



「ただ……多少であれば、感覚をリンクせずとも意識や肉体を操ることができる。……こんな風に、心臓を締め上げてやれる程度だがな。」



「………っ」



 その言葉の正しさを示すように、ユアンが再び苦悶に表情を歪める。



「なるほど…。こうやってエリクが外に助けを求めるのを邪魔して、ルカの意識を操ったわけだ…。この、外道が…っ」



「ふふふ…。エリクのように、一瞬で眠らせるようなことはしないから安心しろ。その方が、苦痛がよりこたえるからな!!」



 愉悦に満ちた表情で、剣を振りかざすレクト。

 それを間一髪で受け止めて身を翻すユアンだが、動きが明らかににぶい。

 内側から襲う苦痛に翻弄されているのは、言うまでもなく明らかだった。



 この隙をのがすまいと、レクトは休みなく剣を振るう。

 対するユアンは、苦痛で動かない体を剣を盾にして守るので精一杯のよう。



「ユアン、気をつけろ!! 後ろに壁が近い!!」

「―――っ!!」



 ディアラントからの指摘で、ユアンはちらりと背後を一瞥いちべつ

 確かにディアラントが言うとおり、洞窟の岩壁が数メートルというところまで迫ってきていた。



「その状況でよそ見は愚策ではないか?」

「ぐっ!!」



 一際強い力が心臓を締める。

 それと同時に、目の前がぐにゃりと歪む。



 一時的に平衡感覚を失い、とっさの判断で《焔乱舞》を岩壁に突き立てて体を支える。



「ユアン!!」



 血相を変えたディアラントが、自身の剣を抜いて地面を蹴った。



 あの構図はまずい。



 剣で逃げる方向の一つを潰してしまった手前、もう一方の逃げ道を塞がれたら、攻撃をけることが困難になる。



「お望みどおり、死ぬほど痛い思いをさせてやる。」



 壁際に追い詰められて動けないユアンに、勝ちを確信したレクトが大きく剣を振り上げる。



 それを阻止しようと走るディアラントの足が―――ふと、急ブレーキをかけたように止まった。





 ―――パキンッ





 洞窟内に、澄んだ音が響く。

 そして、ユアンとレクトから少し離れた位置に、折れた剣の欠片が落ちた。



「貴様…っ」

「悪いねぇ。一応、これは借り物だからさ…。キリハの体には、傷一つつけたくないのさ。」



 うめくレクトに、ユアンは不敵な笑みをたたえる。



 レクトが剣をユアンに突き刺そうとした瞬間、ユアンは素早くコートの内ポケットに手を忍び込ませた。



 そして、そこから取り出した小型ナイフを、見事な投擲とうてき技術でレクトの二の腕にお見舞いしてやったのだ。



 予測不能だった奇襲にレクトは対応しきれず、ナイフが刺さった衝撃と痛みでぶれた剣は、ユアンの頭すれすれの岩壁に直撃。



 その反動で、レクトの剣は二つに折れてしまった。



(さすが……神官を守る真のラスボス…。仕込みは抜かりなしってわけか……)



 緊張が少し解けて、ディアラントは肩を落とす。



 キリハは、あんな風に暗器を隠し持つことはしない。

 おそらくは、このような展開を予測したユアンに持っていろと言われたのだろう。



 ここで起こる出来事は、全てユアンの手のひらの上。





 だから、レクトに追い込まれたあの瞬間―――ユアンは余裕を含ませた笑みを浮かべたのか。





「ねぇ、レクト…。お前、内心はものすごく焦ってるよねぇ?」



 ふと、ユアンがそんなことをレクトに訊ねる。



「お前は行動が大胆な割に臆病だもんな。だから、ほむらがキリハを選んだことに驚いて……そして、怖くなった。また、リュードが人間に味方する姿を見たくなくて。それを直視することで、お前の理想の神竜がさらに崩れてしまうのが嫌で。」



「………っ」



 図星なのか、レクトが大きく顔を歪める。

 ユアンは続けた。



「本当は、リュードが目覚める前に全てを終わらせたいんだろう? 〝そんな愚かなことはやめなさい〟って、もう一度面と向かってそんなことを言われたら、たまらないもんなぁ?」



「くっ…」



「でも……―――残念。」



 笑うユアン。





「お前は今、自分の手で、リュードに目覚めのきっかけを与えたよ。」




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