お前が求めるものは―――

 お前が必要としているのはリュドルフリアではない、と。



 ユアンにそう言われたレクトの顔が、とてつもない驚愕で染まった。



「違う!!」



 己を支える根幹を全否定されたのが、相当なショックだったのだろう。

 レクトは、どこか必死そうな様子でユアンに反論した。



「私には、リュドルフリアしかいないんだ!! 私の気持ちを理解してくれるのは彼だけだった!! あの気高く孤高なリュドルフリアだけが、私の―――」



「ああ、そうさ。」



 レクトの言葉を、ユアンが平坦な声で遮ったのはその時。



「〝気高く孤高な神竜〟。お前が欲しいのはリュードじゃなくて、それだろう?」

「………?」



 意味が分からない。

 眉を寄せたレクトが、表情でそう語る。



「お前が必要なのは、気高くて孤高な神竜という存在であって、リュード個人じゃないんだ。だから、その枠の外からリュードに手を差し伸べた僕を恨んで、僕の手を掴んで枠から飛び出したリュードが許せなくなったんだろう?」



「―――っ!? そんなわけ……」



 ユアンの説明を聞いたレクトが再び否定を述べようとするが、ユアンは首を横に振ってそれを拒否する。



「はっきり言おう。気高く孤高な神竜なんてものは、この世に存在しない。お前の前にいたのは最初から、リュドルフリアという一体のドラゴンだけさ。」



「違うと言っているだろう!?」





「ならお前は、気高くて孤高だという以外に、リュードの何を知っているんだ?」





 次なるユアンの質問。

 それに対して、レクトは……



「は…?」



 そう漏らしただけで、固まってしまった。



「僕より前から、リュードだけを見てきたんだろう? 知っていることはたくさんあるはずだ。リュードが好きな食べ物は? 好きな場所は? 逆に嫌いなものは?」



「それは……」



「リュードの気が一番休まるのはどんな時だ? おっとりとしたのんびり屋のリュードが、その内に抱えていたうれいは? 他より優れた能力を持ったリュードの、ささやかだけど難しい願いは?」



 問いを重ねるユアンの声が、徐々に震えていく。

 そして。



「一つでもいいから言ってみろよ!! お前から見た、神竜じゃないリュードの姿を!!」



 血を吐くように叫ぶユアン。

 その目元に、こらえきれない感情の欠片が涙となって浮かぶ。



「何が……何が気高くて孤高だ。孤高であることに、リュードが何も感じていなかったとでも? お前だって、孤独であることの寂しさを知っているはずだろう。それなのに、どうしてリュードを孤独に縛りつけようとする!?」



「わ、私がいたではないか!!」



 そこでようやく、レクトが声を大にする。



「リュードには私がいた! 同じ境遇で、同じ立ち位置から同じ世界を見られる私が!! 他の平凡な奴らなど、どうでもいい。一人でも自分の苦しみを分かち合える者がいれば、それで十分ではないか!!」



 一縷いちるの望みにすがりたい。

 レクトからは、そんな切実さが滲み出ていた。



 ユアンはまぶたを伏せる。



 レクトの叫びを、人々はどう受け取るだろうか。

 自分と同じようにレクトを責める者もいれば、レクトを憐れんで自分たちを責める者もいるだろう。



 だが、今重要なのは第三者の意見ではなくて……





「リュードはお前だけではなく、お前が平凡な奴らと切り捨てたドラゴンたちや人間たちとも、絆を作りたかったんだよ。」





 自分とレクトの間で苦しまざるを得なかった、リュドルフリアの心だ。



「リュードの口癖を知っているかい? 〝われの炎が恐れられるから炎を使うおきてを定めたのに、他に我の何が怖いから、皆は近寄ってこないのか…〟だってさ。やんわりとアドバイスしても察しないから、業を煮やして〝待ってるだけじゃなくて、自分から行け〟ってどやしたもんさ。そしたら〝誰に?〟って、真面目に訊いてくるんだ。」



 ユアンは、やれやれと肩をすくめる。



「とりあえず、真っ先にレティシアを生けにえにしたよ。娘か孫かひ孫か知らないけど、自分の能力を多少なりとも引き継いでいる親戚なら、まだ話しやすいだろうってね。だけどリュードったら、一人の時間が長すぎたせいか、コミュニケーション初心者かってくらい会話が下手でねぇ……」



 当時のことを思い出してか、ユアンの表情が苦々しく歪む。



「でも、リュードがあまりにも一生懸命だったから、僕もできうる限り手を貸した。レティシアがばっさりタイプだったのは助かったね。他のドラゴンが炎の偉大さについた想像で勝手に怖がっているだけだって知って、リュードは本当に安心したみたいだった。」



「違う……」



「まあ、その時に〝あなたは炎と知恵を除いたら案外ポンコツっぽいので、話してみれば全然怖くない方だって、誰でも分かると思いますよ〟って、微妙な激励もされてたけどね。思ってても言っちゃあかんでしょって思ってたら、リュードったら大笑いだもん。あんな言葉でも嬉しくなっちゃうくらい、色んな人との触れ合いに飢えてたんだろうね。」



「違う……そんなの、私が知っているリュドルフリアではない…っ」



 ぶんぶんと首を左右に振って、ユアンの思い出話を否定するレクト。

 それを眺めるユアンは冷ややかだ。



「ああ、そうだろうね。これが、お前が知らなかった……いや、見ようとしなかったリュードの姿だ。」

「………っ」



 ユアンの表情と声に込められたすごみに、レクトは否定の言葉すらも奪い去られる。



「僕はただ、リュードがより楽しい日々を送れるように、自分にできることを精一杯やってきた。そうして触れ合いの輪を広げていくリュードを見ているのが、自分のことのように嬉しかった。だって……僕は、永遠にリュードと一緒にいられるわけじゃないから。」



 己の両手を見つめるユアン。



「お前の言い分で、唯一認められることがある。確かにリュードは、僕のことをお前以上に特別だと思っていただろう。僕も、まさか自分がそこまでリュードの特別になるとは思っていなかった。友として、同じ世界を見よう……そう言った時は、リュードがどんなに孤独な存在かを知らなかったからね。」



 ユアンは沈鬱ちんうつな面持ちで目を閉じる。



 あの時は自分も若くて、気軽な気持ちでリュドルフリアにそう告げてしまった。



 自分にとっては、友になりたいと思った相手にそう言うことは普通で、それが間違いだったことはなかったから。



 ただ……気軽に言ったその言葉が、相手によっては途方もなく重く響くんだということを、あの時の自分は知らなかったのだ。



 あの時の言葉が間違っていたとは、今も思わない。

 だけど、あの言葉で生じた変化には、それ相応の責任を取ろうと思った。





 リュドルフリアのことが、それだけ大切だったから……





「だからこそ、僕はリュードが交流を広げていくことを望んだ。いずれ僕が死んだ時に、リュードがまた孤独になってしまわないよう、レティシアに無理を言って、リュードと他のドラゴンの橋渡しを頼んだ。僕の仕事仲間や、子供や孫……人間側にも、リュードと仲良くしてやってくれって頼んで、何度も交流の場を設けた。リュードとも、腹を割って話したよ。君がどんなに嫌がったとしても、僕が君より先に死んでしまうことは変えられないと……」



 人間とドラゴン。

 種族の間に横たわる寿命の差。



 それを直視した時のリュドルフリアは、今でも忘れられない。



 彼があまりにもショックを受けるものだから、その時ばかりは、友になろうと言ったことを後悔したくらいだ。



「それでもリュードは、僕と友であり続けることを望んだ。お前がいなくなったとしても、お前の心を受け継ぐ人間がいれば、われは人間を愛し続けられるって……明らかに泣きそうな声でも、頑張って笑ってそう言ったんだ!! その覚悟は、お前だって聞いていたはずだぞ!?」



「なっ…」



 驚いて目を見開くレクト。

 それを見たユアンの怒りが、激しく再燃する。



「ああは言っても、リュードは結構落ち込みやすい。種族が違う以上、人間が彼の全てを理解するのも限界がある。だから、お前がドラゴンの中で一番の理解者になって、リュードに寄り添ってあげてくれって…。僕がお前に託したこの願いは、お前にとって、戯言ざれごとと聞き流して忘れられる程度のものだったのか!? 他でもない、お前が唯一の存在としていたリュードのことだったのに!! お前が僕の願いを聞き届けていれば……僕がこうして生き続けることもなかったかもしれないし、リュードの一番がお前になってた可能性だってあったんだぞ!?」



「―――っ!!」



 その衝撃は、いかばかりか。

 呆けたレクトが、剣を持つ手をだらりと下げた。



「ようやく、身にみて分かったか?」



 そんなレクトに、ユアンは事実を突きつける。





「お前は僕のことどころか、リュードのことすら見ていない。お前が取り戻そうとしているそれは……―――実体のない、ただの虚像だ。」




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