開戦の炎

 キリハの願いを一笑に付したレクトは、悠々とした仕草でルカの胸に手を当てる。



「こんなにも便利な駒なんて、そうそう手に入るものではない。こいつがドラゴンと共に人間を襲ったら、人々はどう思うかな? やはり竜使いはむべき存在なのだと、今度こそ一切の信用をなくすのではないか? 自分たちでそうしたことは棚に上げてなぁ?」



「それは…っ」



 とっさに否定できなくて、キリハは思わず唇を噛む。

 ディアラントも表情を険しくするだけで、ユアンに至っては一ミリも動揺を示さなかった。



 三者三様ながらも自身の言葉を否定しない様に、レクトはさらに気をよくする。



「まあ、そんな風習が根付く前に、人間などこの国から消え失せるだろうがな。ドラゴンと渡り合うすべを失なった今の人間に、第二のドラゴン大戦を収めることなどできまい。」



「そんなに……そんなに人間が嫌いなの!? 俺やユアンだけじゃなくて!?」



「今さらそんなことを訊くのか? たとえユアンがこの世から消えようと、ユアンと同じ種族というだけで、リュドルフリアは人間を優先する。リュドルフリアの目を覚まさせるためには、人間など一人残らず駆逐せねばならんのだよ。」



「そんなことをしたって、リュドルフリアの心は戻らない! 余計に離れていくだけなんだよ!?」



「だからどうした? どのみちリュドルフリアはもう、私だけを見ることはないだろう。それでも……恨みでも憎しみでもいいから、リュドルフリアの意識を私だけに縫い止める何かを得られるなら、私はなんだってする。」



「………っ」



 レクトから滲み出るのは、狂気とも言えるほどの執着心。



 どうして?

 どうしてリュドルフリアだけに、そこまで執着するの?



 ユアンは、レクトとも共に歩もうと最善を尽くしたと言っていた。

 レティシアもレクトを煙たがることなく、時にはアドバイスもあげていたらしい。

 シアノという少女や自分だって、レクトの過ちを受け入れて、その心に寄り添おうとしたのに。



 どうして彼は、リュドルフリア以外の光を見ようともしないのだろう。

 一つの存在にそこまで依存する気持ちは、自分には理解できなかった。



 自分に分かるのは……



「俺の気持ちは、レクトには届かないんだね……」



 ただ、この悲しい事実だけで―――



「レクトが俺たちと分かり合いたくないって言うなら、それは仕方ない。俺に変えられることがあれば、変えられないこともあるんだ。誰にでもこの気持ちが伝わるわけじゃないことは、分かってる。」



 シアノと別れた時に感じたむなしさが、再びこの胸を締めつける。

 しかしこのむなしさを受け止めないと、決して前には進めないから。



「だけど。」



 目元にぐっと力を込めて、キリハはレクトを睨みつけた。



「自分勝手な感情にエリクさんやシアノを巻き込んだことや、ロイリアを壊そうとしたことは許せない! このまま、ルカを利用させる気もない!!」



「ならば先ほど言ったように、ルカを殺してでも止めてみるがいい。」



「―――っ!?」



 話が最初に舞い戻り、キリハの威勢が途端に勢いを失う。

 そんなキリハを眺めるレクトの瞳は、歪んだ愉悦に満たされていた。



「どうした? 私は、ルカを手放してやるつもりなどないぞ? どうしてもルカを利用させたくないと言うのなら、ルカを殺す他に道はあるまい? それに―――」



 ふいに、レクトが剣を握る手をひらめかす。



 日の光を反射して輝く鋭いやいばが―――躊躇ためらいなく、ルカの首元へと向けられた。



「こんな風にルカの命を盾に取られたら、お前はそこから一歩でも動けるか?」



「―――っ!!」



「動けないだろうなぁ? お前が私の剣を弾き飛ばすよりも、私がルカの首を掻き切る方が圧倒的に早いのだから。」



 レクトの発言の信憑性しんぴょうせいを示すように、剣があてがわれたルカの首から血が流れて、細い線を作る。

 その光景に心臓をわし掴みにされて、全身の血が凍りつくようだった。



 ルカを目の前で殺されるかと思うと、怖くてたまらない。

 必死に奮い立たせたはずの気持ちが揺らいで、目に映る世界も遠ざかっていくよう。



「―――キリハ。」



 やけに静謐せいひつな声が脳内に響いたのはその時。

 それと同時に、後ろから柔らかい何かにふわりと抱き締められたような気がした。



「ごめんね。」



 そう囁かれたと同時に、意識がぼんやりとかすんでいって―――





「まったく、聞いてらんないよ。」





 うつむいたキリハの口から零れたのは、これまでの動揺が嘘だったかのような平坦な声。



 キリハのすぐ前で、宙に浮いていたぬいぐるみがぼとりと地面に落ちる。

 ぬいぐるみを拾い上げたキリハは、無言のままそれを後方のディアラントに向かって放り投げた。



「僕の可愛い子供たちを苦しめるのも、いい加減にしてもらいたいね。」

「ほほう…? まさか、お前にそんな芸当ができるとはな。」



 何が起きたかを悟ったレクトは、面白そうに口の端を吊り上げる。

 対するユアンは、どこまでも淡々としていた。



「君と違って、僕は今を生きている子たちの尊厳や自由を奪おうとは思わないんでね。できるかもしれないとは思っていたけど、本当にやろうとは思ったことがないんだ。」



「ならば、何故今さら?」



「相変わらず性格が悪いね。言わなくとも分かってるくせに。」



 無感動に告げたユアンは、勢いよく《焔乱舞》を抜き払った。





「これ以上、キリハにむごいことを聞かせたくないんだよ。それに……―――君が潰したくてたまらないのは、この僕だろう?」





 レクトに剣の切っ先を向けるユアン。

 その双眸は怜悧れいりで、刺すように鋭い眼差しがレクトを射る。



「さあ、君にチャンスをあげようじゃないか。僕が君に勝ってルカを殺すか、それとも君が僕に勝ってキリハを殺すか、直接対決なんてどうだい?」



「ははは! それはいいな!!」



 提示されたのは、残酷な殺し合い。

 それを嬉々として受けたレクトは、あっさりとルカの首から剣を離した。



「……ほむら。」



 ユアンが小さくその名を呼ぶ。

 すると、刹那の間に大量の炎が剣を包んだ。



「こうして君を手にするのは、どのくらいぶりだろう。君の怒りと嘆きが、痛いほどに伝わってくるよ。僕たちの覚悟が足りなかったせいで、君にはつらく苦しい思いをさせてしまったね。」



 どんどん勢いを増していく炎。

 それを身にまとい、ユアンはゆっくりと剣を構えた。





「今度こそ迷わない。一緒に、この因縁に決着をつけよう。」





 それが、慈悲のない戦いの始まりだった。


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