届かない願い

 殺してでも、止めてみろ。



 そう言われる可能性もあると、心の片隅では予想していた。

 ルカの性格上、一度やり始めたらなかなか止められないと知っていたから。



「………っ」



 でも、実際にこう言われてしまうと足がすくむ。



 単なる訓練じゃなくて、人を殺すために剣を向ける。

 しかも、その相手が大切な親友だなんて。





「―――ふざけないでくれる?」





 聞こえたのは、りんと澄んだ第三者の声。

 それと同時に、自分の傍を一つの影が通り過ぎた。



「ユアン……」



 ぬいぐるみ姿のまま前に出てきた彼は、声に険しさを滲ませてルカを見ている。

 彼が怒っていることは明らかだった。





「お芝居にしては、あまりにもお粗末だねぇ……―――レクト。」

「!?」





 ユアンの言葉に驚いて、キリハは慌ててルカに視線を戻す。



 ルカは、顔を下に向けて黙っているだけ。



「確かにルカは周りのことが好きじゃないし、その分発言が粗暴になる子でもある。だけど、ルカは決して―――命を軽々しく扱う子じゃない。」



 きっぱりと断言するユアン。



「カレンとエリクの名前を出されてルカが怯んだ隙に意識を奪い取ったみたいだけど……僕とキリハを苦しめるために、ルカを殺させたいってところ?」



 彼がそう訊ねた瞬間。



「ふふ……」



 ルカの肩が震えて、その口腔から忍び笑いが漏れた。



「なんだ、つまらんな。どうせなら、流されて殺し合ってくれればよかったものを。」

「………っ」



 突如として変わった口調。

 まとう雰囲気すら変容していく様は、シアノの体を借りたレクトに声をかけられた時と同じだった。



「本当に……本当に、レクトがやったの?」



 久しぶりに相対する彼を前に、気付いたら口が動いていた。



「お前もこちら側に来られれば、いっそのこと楽だったのにな?」



 レクトが告げたことは、質問の答えにはなっていない。

 しかしその言葉だけで、ジョーやミゲルが言っていたことが事実なのだと知るには十分だった。



「騙されたと思うか?」



 顔面を蒼白にするキリハに、レクトはそう問いかける。



「私が裏で手を引いていたことに絶望するのは一向に構わないが、よく思い返してみるがいい。私はお前に、嘘をついたことがあったかな?」



「………っ」



 とっさに返せる言葉はなかった。

 その隙につけ込んでくるように、レクトは笑いながら続ける。



「私がドラゴン大戦を引き起こしたことも、一人の少女を死なせたことも本当だろう? それに私は、あの医者からの手紙については、早く周りに相談しろと言ってこなかったか?」



「それは……」



「キリハ、耳を貸さなくていい。」



 狼狽うろたえるキリハを、ユアンが即でかばい立てる。



「この未来を引き寄せたのはお前たちだ……これは、レクトの常套句じょうとうくだ。これを鵜呑うのみにして、自分を責めるんじゃないよ。」



 厳しくいさめる一方で、優しく諭すような不思議な声音。

 一度キリハを振り返ったユアンは、すぐにレクトへと視線を戻す。



「君の屁理屈のような言葉遊びに付き合うのは、もううんざりなんだよ。確かにこれは、人間が引き起こした事件。ジャミルが動かなければキリハたちに危険は及ばなかったはずだし、僕の予測が甘くなければ、ここまでこじれることはなかったかもしれない。だけど……―――きっかけを与えた時点で、君も立派な加害者だ。」



 ユアンの口調に力がこもる。



ほむらが再び主人を定め、ドラゴン討伐も順調。果てには、昔は君寄りだったはずのレティシアまでもが人間に協力した。リュードの封印が解けるにつれて人間が滅ぶと期待していた君は、面白くなかっただろうね。その中心にいるキリハのことが、うとましくて仕方なかったはずだ。」



「………っ」



 はっきりと口にされると、胸が痛い。



 ユアンが言っていることが真実なら、自分が見てきたレクトはなんだったのだろう。



 父の面影を思わせる穏やかな声で紡がれた、優しい言葉も。

 自分を慈しんでくれるような仕草も。



 それらは全て、自分を絶望に追い込むための芝居だったとでもいうのだろうか。



「今回ばかりは、君に言いのがれをさせない。人間が思った以上にドラゴンに寛容で、気がいたのかどうかは知らないけど……君はエリクの体で毒を飲んで、キリハの体でロイリアを傷つけた。十分に、自分で直接手を下しているだろう?」



「それで? お前たちにとっての罪を私が犯したとでも言いたいのか? だからといって、お前たちに何ができる?」



 さも愉快そうに、レクトは笑う。



「確かに、今の人間たちには苛立たされてばかりだったな。だが、所詮は少数派。同じ人間の大勢にも敵わないのに……果たして、ドラゴンの大勢に太刀打ちができるのかな?」



「―――っ!!」



 キリハとディアラントは一気に顔を青くする。



 かつてのように、私が大勢の同胞を狂わせて人間を襲わせたら?

 いくら経験を積んでいるお前たちでも、数の暴力には勝てまい。



 レクトの言葉に込められた意図は、明言されずとも伝わってきた。



「やめて!!」



 黙って聞いているのも限界で、キリハは声を荒げる。



「俺やユアンが嫌いなら、単純に一緒にいなきゃいいじゃん! 顔も見たくないって言うならもう会いに行かないし、声をかけることもしないから…っ。お願いだから、関係ない人を巻き込まないで! ルカを返して!!」



 一番の願いはただそれだけ。

 それが叶うなら、レクトに対する怒りや悲しみなんて捨ててやる。



 そう思ったのに……



「悪いが、それはできないな。」



 ささやかな願いは、一秒の間も置かずに拒否されてしまった。


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