最悪の選択肢

 突然目の前に積まれた現金の山。

 出る言葉がないキリハに、男性は相も変わらずゆったりとした口調でこう言った。


 

「受け取りたまえ。頭金だ。」

「はあっ!?」



 事態についていけず、キリハは現金と男性を見比べる。



「君がディアラントを棄権に追い込むか、ディアラントを負かすか。そのどちらかを達成したら、この十倍の金を報酬として約束しよう。そして、君を国防軍の第一特権部隊へと迎え入れようじゃないか。君の今後の人生の全てを保証する。どうだ? 悪い話ではないだろう?」



「ちょっ……ちょっと待ってよ!!」



 キリハは狼狽ろうばいして椅子から立ち上がった。



「意味分かんないから! こんなお金、俺には必要ないよ!!」

「本当にそうかい?」



 男性の目に意味ありげな光が宿る。

 彼は手元にあった資料を取り上げると、それを一枚ずつめくり始めた。



「君は、ご両親を早くに亡くしているようだね。」

「!!」



 突然の指摘に、キリハは言葉をつまらせる。



「ここに来る前は高校に通わず、育った孤児院で働いていたそうじゃないか。本当はそんなしがらみからは解放されて、自由に生きたいんじゃないのかな?」



「そんなこと思ったことない!」



 湧き上がってくるのは、得も言われぬ不快感。

 表情を険しくするキリハだったが、対する男性たちは不気味なほど穏やかなままだった。



「今は、ね。」



 にたりと吊り上がる男性の唇。



「今はそうだろうとも。竜騎士として宮殿で働いているとはいえ、君はまだ十八歳。帰れる家があるなら、そこが恋しいだろう。だが、この先は分からないよ? 自分の自由を保障するには、ある程度の金がるんだ。この先君が生活に困ったとして、君は育ってきた孤児院を頼って甘えられるかい?」



「………っ」



 その問いに、キリハはとっさに答えを導き出すことができなかった。

 そしてこの瞬間、キリハは男性たちに対して、明らかな隙を見せてしまうことになる。



「ほら。育ててもらった恩があるからこそ、迷惑はかけられない。君が本当の意味で頼れる場所は、どこにもないじゃないか。」



 すかさず、彼らが畳み掛けてくる。



「………」



 耳が痛い。



 将来をどう生きていけば、孤児院に迷惑をかけずに済むのか。

 それは孤児院で育って、そこを旅立っていく人間が必ず考えること。



 レイミヤのように畑仕事に従事できるという恵まれた環境があったとしても、本当にこのまま甘えてしまっていいのかと、誰もが一度は思い悩む。

 自分だって孤児院で働くと決めるまで、そこまで深くは悩まなかったものの、やはり多少は考えた。



「このままでいいのか。そう思ったことは、一度や二度じゃないだろう?」



 彼らの口調は、幼子おさなごを諭すように優しい。

 優しいくせに、容赦なしにこちらの呼吸を奪ってくる。



「私たちのところへ来なさい。国防軍の第一特権部隊だぞ? あらゆる地位と権力と金を、思うがままにできることを約束された部隊だ。君がそんな夢のような部隊に迎え入れられたとなれば、孤児院の方々も鼻が高いじゃないか。」



「………」



「私たちが君に求めることはただ一つ。どんな形であれ、ディアラントを潰してほしい。可愛がってきた弟子の前なら、あのディアラントも隙を見せるはずだ。そこを突けばいいだけなんだよ。」



「………」



「なあに、君は悪くない。自分が生きていくために他人を利用して、何が悪いんだい? 竜使いなんて、そう生まれてしまった時点で、生きていくのも大変なんだから。」



「―――っ!!」



 この瞬間に自分の脳内を襲った感情の津波に、キリハは息をすることも忘れて立ち尽くした。

 その波は自分の中から感情という感情を一瞬でさらっていき、すっと胸の奥へと消えていく。



 刹那にも、永遠にも思えた空白の時間。



 それが過ぎ去った後に湧き上がったのは、全身の血が煮えくり返りそうなほどの激しい怒りだ。





「竜使い、なんて…?」





 声が勝手に震える。

 こちらが上手く答えられないのをいいことに、散々好き勝手なことを言ってくれる。



 黙って聞いていれば、どれだけ自分のことを――― 竜使いのことをおとしめるつもりなのだ。



「金とか権力で、誰もが従うなんて思うなよ!!」



 キリハは怒りもあらわに声を荒げた。



 目の前にいるのがどんな立場の人間かなんて、もうどうでもいい。

 こんな下衆げすどもに払う敬意が無駄だ。

 少しでも言葉につまった自分が情けない。



「こんなお金いらない! 俺は―――」

「君の返答次第では。」



 その時、妙に高く響いた声。



「……そう、最初に言ったね?」



 キリハの言葉を遮り、中央に座る男性はキリハのことを含みのある目で見つめた。



「確かに、決定権は君にある。私たちも強要するつもりはない。……だが、選択は慎重にした方がいいよ。」

「はあ? ここまでふざけたこと言っといて、今さら―――」



「分からないかい?」



 次の瞬間、彼の目に残忍なまでに苛烈な光がよぎった。



「君の返答次第では、あの孤児院もレイミヤも、簡単にひねり潰せるのだよ。」

「!?」



 キリハは大きく目を見開いた。



 全身をあぶっていた激情が、冷や水を浴びせられたかのように急激に温度をなくしていく。



 一瞬で言葉を取り上げられてしまったキリハを見やる男性の肩が、小さく震え始めた。



「金と権力で人は動かせない。本気でそう思っているなら、さっきの君への提案の言い方を変えてみよう。」



 くつくつと笑い、彼は告げる。



「その金を受け取ってレイミヤを守るか、金とレイミヤを犠牲にしてディアラントを守るか。どちらか好きな方を選びなさい?」



「―――っ!?」



 まるで鈍器で後頭部を殴られたような衝撃を受け、キリハは言葉を失う。



 決定権は自分にあるから強要するつもりはないなどと、今の言葉を吐いたのと同じ口でよく言えたものだ。



 こんなもの、選択などではない。

 ただの脅迫だ。



「さあ、選びたまえ。君の好きな方を。」



 彼は無慈悲に選択を迫る。



 どちらを選んでも、自分の大切なものが犠牲になる。

 そしてどちらを選んでも、自分のプライドをずたずたにされる。



 こんな選択肢、あまりにも不条理だ。



「さあ。」

「………」



 さらに急かされ、無意識に右手がピクリと動いた。



 どちらを選択しても、誰かを危険にさらす。

 そうなるくらいなら―――


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