想定外の事態

「さーて、そろそろ動きますか。ここからは攻めのターンだ。僕は僕で、さっさと報告書を作らなきゃ。」



 ジョーが一つ手を打つと、その場の皆が時間を思い出したようにハッとした。



「いや、まずは寝ろって。」

「うん。とりあえず休んで。」



 オークスの苦言に、キリハは全力で乗っかる。

 しかし、当の本人に聞く気は皆無であるようだった。



 キリハが脇にけたことでようやく動けるようになったジョーは、まっすぐにロイリアの元へと向かう。



 ロイリアの体の至る所に触れながら、彼が懐から取り出したのはタブレット端末だった。



「……うん。圧倒的に効きがいいみたいだ。これなら、あと三日もあれば全快かな。」

「………っ!!」



 その呟きを聞いて、キリハは無意識のうちにそこへと飛んでいく。

 そしてジョーが見つめている画面を後ろから覗いた結果、理解を放棄するしかなかった。



 ジョーが見ているのは、ロイリアに埋め込んだチップからリアルタイムで送られる生体情報。

 自分には、その数値から何が読み取れるのかさっぱりだ。



「この成分で問題ないなら、効果を高めるに越したことはないね。」



 タブレット端末を地面に置いたジョーは、持参していた大型ケースに手をかける。



 中に収まっているのは、液体が入った瓶の数々。

 それらを迷いなく手に取った彼は、慣れた手つきでそれを混ぜ合わせていく。



「十五年ぶりにしては、手慣れてるね。」



「そりゃまあ、自分の体調を整えたり、お馬鹿さんに一服盛ったりする時は、薬を全部自作してたからね。それに僕、一度経験したことは半永久的に覚えてるもんで。」



「それはすごいけど……結局、科学の道を捨てられてなくない?」



「科学者の進路には進んでないもん。それに、技術を発展させるようなことはしてないし? 僕の頭で完結して世に出ない新薬なんて、あってないがごとしだし?」



「ものすんごい屁理屈……」



 そんな会話をしている間に、ジョーは混ぜた薬品を大型の注射器で吸い上げる。

 そしてそれを、ロイリアの腹部へと投与した。



「これで、もう少し回復が早くなるはずだよ。」



 自信に満ちた物言い。



 その根拠はどこにあるのかと訊きたくなったが、絶対に分からないことだけは確かなので、自分の頭のために質問は控えた。



「また来るね。」



 最後にロイリアの首筋をひとなでして、ジョーはそこから離れる。

 その背中に。



「待ちなさいよ。」



 ふと、レティシアが声をかけた。

 しかし彼女の声など聞こえていない様子で、ジョーはどんどん離れていく。



「この…っ」



 途端に、レティシアが苛立ちをあらわにして口調を険しくする。



「こら! 待ちなさいって言ってんでしょ!?」

「レ、レティシア落ち着いて! アルには分かんないってば!!」



 急にどうしたというのだろう。



 珍しい彼女の様子に戸惑いつつも、キリハはレティシアをなだめようとする。

 しかし、彼女の感情はそれで落ち着きなどしなかった。



「待てって言ってんのが聞こえないの!?」

「………」





「待ちなさいったら! ―――――アルシード!!」





 荒っぽい咆哮ほうこうと共に、彼女の呼び声がとどろいた瞬間。



 ピタリ、と。

 ジョーが歩みを止めた。



(え……?)



 そんな。

 ありえない。



 このタイミングで、彼が動きを止めるなんて……



「やっぱり、そうなのね。」



 ジョーの反応を見つめていたレティシアは、それで何かを確信した様子。

 アイスブルーの瞳が、すっと細められた。





「あんた……―――サンプルとして持っていった私の血、飲んだわね?」





 それは、自分の想像には全くなかった事態。

 にわかには信じられなくて、こちらに背を向けたままのジョーを見つめる。



 ターニャとディアラントは、オークスと共に今後について話し合っている。

 ミゲルを筆頭とするドラゴン殲滅部隊の面々は、念のためにセットしていた弾薬や装備を引き上げている。



 皆がせわしなく動いていて、こちらに注目する人物はいない。

 その喧騒の中、ジョーはゆっくりとこちらを振り向いて……



 くすり、と微笑んだ。



「!!」



 その仕草が、答えを明白に物語る。



 とんでもない事態が起こっていたことを知り、なかば放心状態のキリハ。

 その後ろで、レティシアは少し不機嫌そうにうなる。



 そんな二人に改めて近づいたジョーは、胸ポケットから一本のメスを取り出す。



 次に彼は左手の包帯を一部だけほどいて、剥き出しになった手の甲に躊躇ためらいなくメスを滑らせた。



 いくつもの傷の上に、新たに走る赤い線。

 そこから鮮やかな血があふれて、瞬く間に地面へと落ちていく。



 何も言わずに、ジョーは血で濡れる左手をレティシアへ。

 それに応えて首を伸ばしたレティシアは、すぐにその血を舐め取っていった。





「その名前を呼ぶのは卑怯じゃないかな? ―――レティシア。」





 まるで、それが当然のことであるかのように。

 ジョーはレティシアに語りかけるのだった。


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