まだ、希望は―――

「ルカ…っ」



 ジョーの携帯電話を握り締めて、キリハは何度目かも分からない涙を流す。



 ルカがレクトの血を飲んだ理由は、仕返しのためなんかじゃなかった。

 最初から全部、自分を助けるためだった。



 衝突から始まった、ルカとの縁。

 それはこの二年半で、ここまで強くて優しい絆に変化していたのだ。



 こんなにも嬉しいことがあるだろうか……



「その原点を考えるなら、エリクを殺されかけた恨みが生まれたからといって、ルカ君があそこまで非道な手段に出るとは思えないね。今のあの子なら、エリクが助かった時点で理性的に飲み込めたはずだ。」



 泣き伏すキリハを見つめながら、ジョーはそう語る。



「じゃあ、どうして……」

「認めたくない?」



 怪訝けげんそうに眉を寄せるキリハに対し、ジョーは険しい表情。



「どう考えたって、レクトが血の力を使って、ルカ君の怒りと憎しみを暴走させてるとしか思えないでしょ。」



 ほぼ断定に近い彼の意見。

 それをすぐに受け入れることはできなかった。



「そんな……」



「ありえない話じゃない。表層意識を乗っ取れるなら、深層意識を操作することだってできる可能性は十分にある。黙秘は決して否定じゃないんだ。頭が切れる奴なら、そんな便利な能力を他人に言うわけがないよ。」



「でも、あくまでも可能性の話でしょ?」



「どうだか。」



 ジョーは冷たく、そうとだけ。



「元々ルカ君は、周りに対して好意的じゃないんだ。その隙を突いて便利に使うのは簡単なはずだよ。そしてルカ君を引き込めれば、キリハ君が闇に転ぼうと光に転ぼうと、キリハ君の苦しみを通してユアンを苦しめられる。だからシアノ君やエリクを使って、ジャミルにキリハ君を襲わせた……―――そうだよね、ミゲル?」



 切れるように鋭いジョーの瞳が、ミゲルを捉える。

 肩を痙攣けいれんさせたミゲルは、少しの間を置いて息を吐き出した。



「お前には敵わねぇな。いつの間に知ってたんだか。」



 その言葉は、実質的にジョーの指摘を認めたものだった。



「まあ、病院で暇してる間にジャミルの供述書は全部読んだし、そもそも僕は最初から、レクトが人間と和解する気がないことも知ってたし?」



「じゃあ、なんでわざわざおれに確認を取ったんだよ……」



「鎌かけただけ。この状況でユアンが使うとしたら、ミゲルの可能性が高いでしょ。実際にやたらとエリクのところに通ってたし、そろそろエリクやシアノ君からも言質げんちが取れた頃かと思って。」



「……全部正解だよ。正直、いつキー坊に伝えるか悩んでたから、お前が空気を読まずに突っ込んでくれて助かったわ。」



 降参だ。

 そう示すように、ミゲルが諸手もろてを挙げた。



「じゃあ……本当に、これは全部レクトが……」

「全部が全部って言えねぇのが、性質たち悪いとこでな。」



 顔面を蒼白にして呟くキリハに、ミゲルは複雑そうな表情。



「ジャミルがキー坊の目を欲しがっていたことに、レクトは関係ねぇ。あいつは奴にシアノやエリクを送り込んで、奴の計画にちょっと協力してやっただけなんだと。ただ……エリクの暗号にあった〝もう一人の自分〟ってのがレクトなのは、間違いねぇよ。」



「………っ」



「キリハ君。残酷なことを言うようだけど、これが現実だよ。」



 大きく顔を歪めたキリハに、ジョーがとどめとなる言葉を突きつける。



「本当はキリハ君も、レクトに不信感を持ってるはずだよね? どうして自分の体を使って、ロイリアにこんなことをしたのかって。」



 そんなことを言われたら、もう言いのがれなんてできなくて……





「―――――うん……」





 がっくりとうなだれて、キリハは小さく頷いた。



 そうだ。

 いい加減、もう認めなければいけない。



 ジャミルの事件の後から、レクトはこちらの呼びかけに一切応えなくなった。



 そして、ユアンが《焔乱舞》を暴走させた自分を助けに来てくれたのに対して、レクトは声をかけることもしなかった。



 その時点で、何かがおかしいとは思っていただろう?



 そしてその疑念は、レクトが自分の体を使ってロイリアを傷つけた時に、確信に変わってしまったはずだ。





 自分とレクトはもう、同じ世界を見ることはできないんだと……





「ごめんね。」



 うつむいて動かなくなったキリハに、ジョーがこれまでの口調を一転させる。



「知ってたんなら、最初から教えろって話だよね。」

「……ううん。」



 ジョーの声にこもる罪悪感を、キリハは首を振って否定する。



「レクトを信じるなって話なら、ユアンから散々されてたんだ。どうせあの時の俺は、誰に何を言われたって聞かなかったよ。それに、レクトが協力しなくたって……あの人はいつか、俺を殺そうとしたわけでしょ?」



「……だろうね。」



 一瞬だけ躊躇ためらいながらも、ジョーは取り繕うことなくシンプルに答える。



 相手のことを考えるなら、下手な情けはかけるべきじゃない。

 彼らしい優しさと共に、この現実を胸に刻み込んだ。



「―――でも。」



 キリハは顔を上げる。





「結果論かもしれないけど、まだ誰も死んでない。絶望と同じだけの奇跡が起きたんだ。まだ―――希望は、繋がってるよね?」





 サーシャが見せてくれた、小さな光。

 それはアルシードの力も伴って何倍にも増幅されて、自分に道を示してくれている。



 ならば自分は、周りの皆を信じてその道を突き進むだけ。



 ここまでお膳立てをしてもらったんだ。

 望む未来を手繰たぐり寄せるのは、簡単なはずだ。



「ああ、もちろん。」



 ジョーが微笑み、サーシャが何度も頷く。

 ディアラントやターニャも、ミゲルたちだって、その瞳に強い光を宿している。



 きっと大丈夫。

 絶対に大丈夫。





 もう一度《焔乱舞》を掴んだからには―――今度こそ立ち上がって、前に進もう。





「やっぱり、キリハ君はそうでなくちゃ。」

「うん、そうだね。」



 ジョーにそう言われて、キリハは無邪気に笑う。



 一度は闇のどん底に落ちて。

 悪足掻きのように白と黒の境界線をさまよって。





 そしてようやく―――光へと踏み込むことができた瞬間だった。




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