本当の心
いつもなら自分でする運転を見張りに任せ、自分は後部座席でタブレット端末のスイッチを入れる。
そこに並ぶ数字やグラフを睨んでいるうちに、車はあっという間に宮殿に到着した。
自室がある宮殿本部はスルーで、向かうのは医療・研究棟の最下層。
もはや今は自分が完全に占拠している、オークスの研究室だ。
(さすがに、レティシアには気付かれたっぽいな。)
タブレット端末のデータを追いながら早足で歩くジョーは、ふと口の端を吊り上げる。
待てと言われても、こちらには待つ暇などないのだ。
一分一秒の攻防戦。
少しでも気を抜けば、未知がもたらす絶望に飲み込まれかねないのだから。
今日のデータから得られた改善点。
そこから導き出される明日の一手。
ある程度の検討をつけながら研究室のドアを開くと、そこに思わぬ客人がいた。
「父さん、母さん……」
こんな夜中に二人がここを訪れるなんて。
どうやら、オークスがこっそりと招待したようだ。
心配そうな二人とその後ろで似たような顔をしているオークスを見て、なんとなく事情を察する。
「なぁに? 手伝いにでも来てくれたの? ―――でも、ごめんね。」
あちらの口が開く前に先手を打っておき、ジョーは彼らの横を通り過ぎて机に向かう。
「気持ちはありがたいんだけど、サンプルの量が少なくてさ……他の人に失敗させてあげてる余裕がないんだ。僕の頭の中を説明してる暇もないし。」
言いながら、大量に立ち並ぶ試験管の一つに手をかける。
それと同時に調整済みの薬品が入ったビーカーも引き寄せ、マイクロピペットを取り上げる。
「―――アル……」
父がそっとそう呼んできたのは、その時のこと。
「………」
ピタリ、と。
ジョーの手が止まる。
「……ねぇ、笑えると思わない?」
言葉どおり、ジョーはくすりと笑う。
「僕の頭の中、今どうなってると思う? パソコンかよって呆れるくらい休みなく動いてて……誰も知らない領域なのに、もう勝ち筋が見えてきてるんだ。まるであの時みたいに、妖精さんに〝こうすればいい〟って囁かれてる気分だよ。」
これまで欠かさずに読んできた、各分野の論文たち。
円滑な討伐のためだと、分析に分析を重ねてきたドラゴンの生体データ。
そして、ノアから挑戦状として叩きつけられた、ルルアのドラゴン研究に関する資料。
それらが脳内で組み合わさり、様々な仮説を提示してくる。
今度は自分に、十もの仮説を突きつけてくるのだ。
止めようにも、自分の意思じゃ止められない。
早く手を動かさないと、実行を待っている計算結果で脳内リソースが破裂しそうだ。
「僕が本気を出せば、所詮はこの程度……そういうことなのかな? いくら天才っていってもさ、使わなければ能力は
「………」
「それなのに、皮肉だよね…。―――楽しくて、仕方ないんだ。」
どんなに否定しようとしても、否定に足る根拠を用意できない。
こんな切迫した時に不謹慎だと言われても、そんな一般常識なんてどうでもいい。
新たな知識を得る度。
多くの既知を組み合わせて、これまでになかった可能性を垣間見る度。
仮説の構築と棄却を繰り返して、未知の中に眠る真実を掴む度。
快感の電流が全身を駆け抜けていく。
その余韻も収まらないうちに、魂が次の快感を求めて騒ぐ。
タイムリミットが近づく緊迫感すら、この衝動を駆り立てる興奮剤にしかならない。
再び触れてしまったら、もう抗いようがないんだ……
「僕はやっぱり……―――薬が好きみたいだ。この世界を……どうしても捨てられない…っ」
ずっとこらえていた、本当の心。
それがとうとう、涙と共に外へとあふれてしまう。
本当は、十五年前のあの日から分かっていた。
だからあえて、皆の前でこの世界を捨てると宣言した。
中途半端が嫌いで極端な自分は、一度宣言したことをなかなか覆せない。
自分に言い訳できる何かがないと、例外を許すこともできない。
その性格を利用して、自分自身に鎖と鍵をかけた。
だって……自分にはもう、この道に進む資格がないと思ったから……
「アル……」
後ろから、二つの温もりが自分を包んでくる。
目頭に熱いものが浮かぶ程度の自分の代わりだと。
そう言わんばかりに、父も母も
「………」
ジョーは静かに目を閉じる。
きっと、過ちの連続だった。
自分がこの気持ちを認めたところで、世界は過去の過ちを内包したまま回るだけ。
一度殺した人間は戻ってこない。
そしてここで生きている限り、自分には救いなどやってこない。
自分は今後も、尽きない復讐心に身を焦がされながら、気まぐれに悪意の牙を剥いては敵を蹴落とすだろう。
それ自体は構わないのだ。
いつか報いがこの身を襲うというなら、堂々と受けて立ってやる。
だけどせめて……長く苦しめてしまった人々だけにでも、ささやかな救いが訪れますように。
そう願うことだけは、どうか許して―――……
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