耳障りな綺麗事

 それから、どれくらいの時間が流れた頃だろう。



「……キリハ。」



 ふいに聞こえたのはドアを小さくノックする音と、自分を呼ぶ柔らかい声。

 のろのろと顔を上げると、寝室の入り口にサーシャが立っていた。



「サーシャ……来てくれたんだ。」

「当たり前じゃない。心配だもん。」



 微笑んだ彼女はそっと近寄ってきて、自分の隣に腰を下ろした。



「カレンは……大丈夫だった?」



「……今はまだ、大丈夫じゃないかな。ルカ君がそんなことをするわけないって、かなり取り乱してたから。さっき様子を見に行った時には、少し落ち着いたように見えたけど……念のためにってことで、カレンちゃんにも監視がつくことになったみたい。」



「そっか……」



 行動派のカレンのことだから、放っておいたらルカを捜しに飛び出していただろう。

 彼女まで危険に巻き込むのはルカの望むことではないだろうし、それでよかったのかもしれない。



 ぼんやりとした思考で、そんなことを思う。



「キリハ…。キリハは、どうしたいの?」

「………」



 サーシャからの問いに、すぐに返せる答えはなかった。



 悩んでいるというより、そもそも分からない。

 今の自分には、追い詰められたこの心が何を望んでいるのかも見えないのだ。



「……私には、言えない?」



 悲しげな声が耳朶じだを打って、反射的に頭を振る。



「ごめん。言えないわけじゃないんだ。本当にもう、何もかもが分からなくて……」





 ―――嘘つき。





 即座に、もう一人の自分がそう囁く。



 自分の気持ちが分からないのは本当だけど、サーシャに言えないわけじゃないというのは嘘でしょ?



 サーシャに負担をかけたくないからと言えば聞こえはいいけど、サーシャにこの気持ちが分かるわけないって、そう思って線を引いているだけじゃん。



 そんな自分自身の囁きから逃げたくて、サーシャからも顔を逸らしてしまう。



「そっか……」



 サーシャは静かにそう言うだけで、明らかにけられたことには何も言ってこなかった。



「―――私はね、裁きや復讐だって理由があったとしても……キリハはやっぱり、誰のことも傷つけたくないんだと思うよ。」



 彼女が口にしたのは、耳ざわりな綺麗事。

 今の精神状況では、それを笑って聞き流すことも、曖昧あいまいに濁すこともできなかった。



「……よく言うよ。そうだったら俺は、あの時にルカを止められてた。」

「だから、そのチャンスをもう一度掴むために、ルカ君にはついていかなかったんでしょう?」



「やめてよ!!」



 激情があっという間に臨界点を超えて、たまらず声を荒げてしまう。



「そんな風に、俺の行動を正当化しなくていいよ!! そんな都合のいい理想論なんか聞きたくない! そんな理想論で動ける自信なんか、今の俺にはない!! 俺は別に、救国の騎士でもなんでもないんだよ!?」



 衝動的に立ち上がったキリハは、サーシャをきつく睨んで痛烈な言葉をぶつける。



 そう。

 救国の騎士だなんて、自分はそんな高尚な人間じゃない。



 それなのに、成り行きでつけられた二つ名のとおりに、どんなにつらい時でも国を救えって?

 幻想を押しつけるのも大概にしろ。



 サーシャを通して見える、世間からの見えない圧力。

 それに、底はかとない怒りが込み上げてくる。



「―――っ」



 サーシャが大きく顔を歪める。

 しかしその瞳に宿ったのは悲しみではなくて、自分と同じく怒りだった。



 キッと目元を険しくしたサーシャは自身も立ち上がって、キリハに両手を伸ばす。





 そして―――怒りに震えるキリハの唇に、自分のそれを重ねた。




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