互いに理想を投射して―――

 もうやめてくれ、と。

 そう叫びたくなるくらいに続くアクシデント。



 立ち止まって身を折りたくなっても、普段どおりの仕事というのは、休むことを許してはくれない。

 多くの人々が胸に非日常を抱えながら、日常に忙殺される。



「―――はぁ……」



 大量の書類を相手に手を動かしていたターニャが、ふとした拍子に作業を止める。



「ターニャ……」



 その溜め息に込められた大きな疲労に、彼女の傍にいたフールは気遣わしげに声をかけた。



「……私は神官です。」



 ターニャは突然、フールにそんなことを言い始めた。



「国の安寧を守るのは、常に命懸けです。いつ何が起こって、誰が犠牲になったとしても、大黒柱が折れるわけにはいかないんです。時には、大のために小を切り捨てる判断も必要になるんです。この程度のことで動揺していては、総督部と対等に張り合っていけない。」



「………」



「それなのに……オークスさんの言うことは、正しかったのですね。共に駆け抜けてきた長い月日には……どうしたって、勝てないようです…っ」



 語るターニャの唇が歪み、力のこもった目元に涙が滲む。

 黙して彼女の気持ちを聞いていたフールは、そこで優しく肩を叩いた。



「仕方ないよ。あの子がディアと一緒に君の右腕になってから、五年以上も経つんだ。表ではディアが、裏ではあの子が……我ながら、本当にいい駒を揃えられたと思うよ。繋ぎ止める鎖がなんであれ、あの二人は自分の領域にいる人間をとことん守る。君が深く信頼するのも当たり前さ。」



「ええ……そうです……」



 ターニャはこくりと頷く。



「これはランドルフさんとの契約だから、対価が支払われる間は協力する……と。ジョーさんは……いえ、アルシードさんは、私にそう言いました。ですが……それにしては、手心を込めすぎでしたよ。」



 誰にも言えない心を零しながら、ターニャは眉を下げて笑う。



「あくまでも契約と言うなら……せめて、私が竜使いであることに嫌悪感を示してくれればよかったんです。なのに、アルシードさんはディアと同じで、なんとも思っていない顔で、当然のように私に手を差し伸べたんですよ?」



「まあ、あの子の根っこは科学者だからね。先入観や常識なんてものには、最初から縛られてないと思うよ。それに、裏の世界に浸っていたあの子には、君なんて可愛くさえ見えただろうしね。」



「だからって、あそこまでしますか? 甘えてきた私が言うのもおかしいかもしれませんが、甘やかしすぎですよ? そんな人……ディアしかいないって思っていたのに…っ」



「あの子は認められる人間のハードルが高い分、それを越えられた人間にはとことん甘いんだ。だけど十中八九、本人がそれに気付いてない。」



「何故私は、そのハードルを越えられたのでしょう…?」



「それは、君があの子を認めている理由と同じじゃないかな?」



 フールがそう指摘すると……



「そうですか…。そうかもしれませんね……」



 心当たりがあるらしいターニャは、異を唱えることなく瞑目した。



 何があっても、折れるわけにはいかない。



 そんな信念を掲げて、常に冷静沈着でいようとするターニャにとって、ジョーはまさにそれを体現したお手本だっただろう。



 だから、キリハがドラコン討伐で負傷したあの時、彼女は毅然きぜんとした態度で皆をいさめることができた。



 意気消沈する皆の中に一人だけ、普段と変わらない様子で仕事に徹するジョーがいたから。



 そしてそれは、おそらくジョーも同じ。



 同じ理想と信念を互いに投射して、困難に強く立ち向かう相手を見て己を奮い立たせる。

 この二人の信頼関係は、そんな形で成り立っていたのだろう。



 だからこそ互いに抱く依存性と仲間意識が強く、互いを守って支えようと必死になる。



 ―――相手が折れたら、なし崩し的に自分まで折れてしまうかもしれないから。



 特に竜使い故に味方が少なかったターニャは、それこそ彼を半身のように感じていたはずだ。



 ディアラントにしか言えない気持ちがあったように、ジョーにしかできない相談がたくさんあった彼女を、自分はずっと見てきた。



「アルシードさんが十五年前にここで暮らしていたと聞いて、ちょっと複雑です。その時からあの人と共にあれたら……私は、あの人を選んでいたかもしれませんから。」



「ええー? やめときなって。」



 ターニャが言う〝もしも〟を、フールは明るく笑い飛ばす。



「君たち二人がそんな関係になってたら、プライベートも仕事もなくて疲れ果ててたと思うよ? 常に眉間にしわを寄せがちな君には、あの天然バカがちょうどいいって。アルシードは、今の相棒枠でとどめておくのが正解さ。」



「そうですか…?」

「そうそう。」



 再度ぽんぽんとターニャの肩を叩き、フールは笑う。



「大丈夫。アルシードはきっと、この窮地を乗り切ってくれるよ。そして一度こっちに戻ってさえこられれば、これまでどおり、可愛げのないふてぶてしい子に戻るって。」



「え…?」



 フールの希望的観測。

 それに、ターニャは目を丸くする。



「この前と、言っていることが真逆です。」

「にゃはは。この前とは、状況が変わったんだよ~。」



 戸惑うターニャに対し、フールはどこかご機嫌。





「超強力な叩き起こし要員が、アルシードを迎えに行ったからね。本人が嫌がったとしても……―――あの子が、無理やりにでも光の中に放り投げてくれるさ。」





 ばっちりとウインクを決め、フールは自信満々にそう宣言するのだった。


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