生を信じる人

 それから一夜が明けたが、やはりジョーは目を覚まさなかった。



 今のところ、容態は安定している。

 しかし、依然として生命活動はか細いまま。



 まさに、針の上に乗った盤面。

 次にバイタルの数字が動く時に、彼の命が光と闇のどちらに落ちていくのか。

 それは、その時になってみないと分からない。



 ジョーの傍には今日もミゲルが張りついていて、その反対側にはケンゼルとオークスが陣取って離れようとしない。



 おかげで、一番近くにいてもおかしくないジョーの両親が遠慮するという、よく分からない状況になってしまっていた。



 大量の花束の処理に苦笑する二人を手伝いながら……ふと、彼らには自分が真実を知っていることを伝えた。



 二人はそれに本当に驚いて、本当に嬉しそうに笑った。



「親友のミゲル君にも言わずにいたのに…。タイミングの悪戯いたずらもあったんだろうけど、君はあの子にとって、本当に大切な存在みたいだね。」



 ジョーと同じ銀髪をした彼は、どこかほっとしたように肩を落とした。

 その隣にいたジョーの母は、彼と同じ瑠璃色の双眸に涙をたたえて、夫の言葉に頷いていた。



 そして、そんな二人から予想外のことを聞く。

 彼らはジョーの口から、自分の話をよく聞いていたというのだ。



「師匠と同じで型破りなんだけど、師匠と違ってのらりくらりと逃げるずる賢さがないから、ひやひやして気が気じゃないんだって。一体どんだけ監視範囲を広げればいいんだって、よく頭を抱えてたよ。あんなに面倒見がよかったなら、思い切って弟か妹を作ってあげればよかったかな?」



 ジョーの父が最後にそうおどけたもんだから、思わず三人で大笑いしてしまった。



 事件が起こるまでは、誰からもべたべたに甘やかされる得な子だった。

 あの子がケンゼルとオークスに憎まれ口と無茶振りばかりなのは、そんな甘えん坊な気質がひねくれちゃった結果だろう。



 友達や親に甘えるのは我慢できたのに、病院で散々甘やかされた経験があるからか、おじいちゃんに甘えるのは我慢できなかったみたい。



 それに引きずられて、いつの間にかケンゼルもオークスもあの子をめっぽう溺愛するようになっちゃって、親である自分たちも戸惑ったもんだ。



 彼らからそんな他愛もない話を聞くのは楽しかったけど、その反面で複雑でもあった。



 こんな風に彼の思い出話をするのが、まるで彼が二度と戻らないと決め込んでいるように思えてしまって……



 そのうち医者からの定期報告の時間になって、両親についてミゲルたちも病室を後にする。

 残った自分は、ジョーの傍で幾度いくど目かも分からない祈りを捧げていた。



 そんな折、静かに病室の扉が開いた。



「ルカ……」

「よ。」



 エリクのお見舞いのついでだろう。

 病室に入ってきたルカはジョーの顔を上から覗き込むと、小さく肩を落とした。



「ガラじゃねぇなぁ。こんなんでくたばる奴じゃねぇくせに……ちょっと、期待外れだったか?」

「ルカ!! なんてこと言うのさ!?」



 ジョーが抱える傷の深さを知っているくせに、それをさも小さな問題のような物言いをするなんて。

 思わず腹が立って口調を厳しくすると、ルカはそれを煙たがるように顔を背けた。



「大丈夫だ。こいつは絶対に助かる。兄さんが意地でも助けるよ。」

「え…?」



 その言葉に、キリハは怒りも忘れて目を丸くする。

 それに対し、ルカは意地悪そうに口の端を吊り上げた。



「今、兄さんが何してると思う? 点滴をぶっ刺したままこいつのカルテを睨んで、鬼の形相で周りに指示を飛ばしまくってるんだぜ? さすがに怖くなって、こっちに避難してきたってわけよ。」



「エリクさんが……」



「まあ、あのくそ善人ならやるだろうな。普段はぽやぽやしてるけど、命を救う時には人が変わったように厳しくなるんだ。ましてや相手が、心を犠牲にしてまで自分を救ってくれた可哀想な弟ともなれば、それこそ自分も命を懸けるだろうさ。」



 そう語るルカは、どこか誇らしげ。



 エリクが力を尽くしているのだから、ジョーが助からないわけがない。

 ルカは純粋に、そう信じているようだった。



 多くの人がジョーの生を諦めかけている中、彼に救われたこの二人が一番にその生を信じている。

 その事実は、闇ばかりの世界に差し込む光のように感じられた。



「エリクさんに、お礼を言わなきゃね。」

「今はやめとけ。冗談抜きに怖いから。時々、二重人格なんじゃないかと思うよ。」

「あはは。」



 冗談めかして言うルカに気が抜けて、気付いたら笑ってしまっていた。



「一応オレだって、心配はしてるんだぜ? これでも一応な?」

「ええぇー? 全然そう見えないんだけど?」

「本当だって。」



 改めてジョーを見下ろしたルカは、赤とすみれの瞳をすっと伏せる。





「心配してるっての。オレは今……誰よりも、こいつに期待してるんだからよ。」





 突然、ルカはそんなことを呟く。

 初めて聞くルカからジョーへの思いに、驚きというより違和感を持ってしまった。



「ルカこそ、いつの間にアルシードと仲良くなったの?」



「仲良くなんかなってねぇよ。オレが一方的に、こいつに交渉を持ちかけてただけだ。」



「交渉…?」



「ああ。こいつとしてはたまらなかっただろうな。同じ〝兄がいる弟〟のオレから、ぐいぐいと迫られるのは。まあ、あの時はそんなこと知らなかったんだから、仕方ねぇだろって話だけど。」



 やれやれと肩をすくめたルカは、ふいにこちらの肩を叩いてきた。

 そして、こんな提案をしてくる。



「ここでいつまでもしょげてねぇで、お前も兄さんを信じろよ。ちょっと気晴らしに、ロイリアたちにでも会いに行かねぇか?」



「ロイリアたちに…?」



 そういえば、最近は色々とありすぎて、すっかり彼らのことが頭から抜けていた。

 目をしばたたかせる自分に、ルカは苦い笑みを浮かべる。



「今頃ロイリアの奴、お前が全然来なくて寂しがってんじゃねぇか?」

「た、確かに……」



 宮殿の地下フィルターから住処すみかを変えてからというもの、レティシアやロイリアと会う頻度はぐっと減った。



 それ故に最初の方は、寂しがったロイリアが癇癪かんしゃくを起こして、レティシアを困らせていたほど。



「あああ…。会いに行ってあげないと、まずい気がしてきた。」

「だろ? ここからならそんなに遠くねぇし、すぐに戻ってこられるだろ。」

「うん。ちょっと行こうかな。」



 ルカの提案には全面的に合意する。

 ルカとエリクがジョーを信じているのに、《焔乱舞》に願いを託した自分が信じなかったらだめだ。



「そんじゃ、さっさと行こうぜ。」



 ルカはこちらに背を向けて、病室の扉へと歩いていく。

 その後ろ姿が、ふと数日前の彼と重なった。



「そういえば……ルカ、なんか俺に渡したいものがあるって言ってなかったっけ?」



 数日前の後ろ姿にそんなことを言われた記憶があったのだが、今のところ何も渡されていない。

 しかし。



「何言ってんだ?」



 振り向いてきたルカは、どこか不思議そうな表情。





「もう、とっくに渡したぞ?」





 その口元が、ゆるりと弧を描く―――




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