想定外の来訪

 ノックをしたのは、外に控えていた見張りの一人。



 彼は細く扉を開いて、室内にいる仲間に何かを伝える。

 伝言を聞いたその人は、明らかな困惑と動揺を見せていた。



「ケンゼル総指令長。」



 周囲にも困惑が伝播していく中、伝言を聞いた彼は控えめにケンゼルを呼ぶ。



 自らは動こうとせずに「ちょっと……」と手招きをしている仕草から、他の人々には聞かれたくないことなのだと察せられた。



「なんじゃ?」



 不穏な何かを察知し、ケンゼルはそちらへと向かう。

 そして耳元に寄せられた口から、こっそりと報告を聞いた彼は……





「なっ……エリクが…っ」





 驚きのあまりか、つい口を滑らせてしまった。



「―――っ!?」



 まさか、エリク本人がここに来たのか。

 ケンゼルの表情と言葉から、キリハとオークスも最悪の事態を察した。



 自分たちですら、息が止まりそうになったのだ。

 当然、慌てて振り返った先では―――



「………っ」



 顔を真っ青にしたジョーが、全身を震わせていた。



 誰もが想像していなかった展開。

 逃げようにもここは五階の最奥だし、点滴のチューブで繋がれている彼は、すぐに身動きできる状態ではない。



 本人もここが袋小路であることを理解している上に、強がれる余裕もなかったのだろう。

 普段の無表情か笑顔は霧散し、眉を下げて両目を見開くその表情は、完全に怯えきってしまっていた。



「……はっ……は…っ」



 一気に呼吸のリズムが狂ったジョーの唇から、荒くなりかけた吐息と喘鳴ぜいめいが零れる。



「ま、まずい…っ」



 いち早く発作に気づいたロンドが、チェストに置かれていたジョーの薬ケースを取った。



「今は仕方ない。鎮静剤はどれだ!?」

「………っ」



 彼からの問いに、片手で胸を押さえてあえぐジョーは、もう片方の手で一本の注射器を指差すことでなんとか答える。



 オークスがジョーを支えに飛んでいく中、キリハはケンゼルの方へと駆け寄っていった。



「ごめん! 多分、俺がいつまで経っても来ないから……」



「いや…。わしが、余計なことを言ってしまったのが悪いんじゃ。それにまさか、まだ絶対安静のエリクが自分で歩いてくるとは、さすがに思っておらんかったわい……」



 自分の失態を呪うように、ケンゼルは苛立たしげに爪を噛んだ。



「と、とりあえず、俺が出るね?」

「ああ、頼んだ。」



 ケンゼルと頷き合い、キリハは病室の扉に向かう。



「ごめん、もたもたしてて…っ」



 慌てて扉を開けると―――



「キリハ君……」



 柔らかい声が、自分を呼んだ。



「エリクさん……」



 それ以上、何も言えない。



 やはり、動くには無理があったようだ。

 片手で杖をつくだけでは足りず、反対側はルカに支えられてやっとといった様子のエリク。





 でも、その顔に浮かべられた笑顔は、今までと寸分の違いもなく優しくて―――





わりぃ。全員で散々止めたんだけど、這ってでも行くって聞かなくてよ。」



 呆れ半分、困惑半分といった心境だろうか。

 エリクを支えるルカが、複雑そうにそう告げる。

 それに対し、エリクは小さく肩をすくめるだけだった。



「だって、宮殿の人がキリハ君を五階の病室に連れ去ってったって、サーシャちゃんが言うから…。強制的に連行されるくらい体調が悪いのかって、心配になるじゃない。」



「あ…」



 しまった。

 込み入った話になったらと思って、サーシャを先にエリクの元へ行かせたことが裏目に出たらしい。



「あ、あはは…。だ、大丈夫だよ。しばらくレイミヤに帰っててお医者さんにかかってなかったから、念のためにってくらい。」



 とにかくここは、一刻も早くエリクたちと共に立ち去らなくては。

 曖昧あいまいに濁したキリハは、このままの流れでエリクの病室に向かおうとしたのだが……



「そっか……ごめん。キリハ君の顔を見てほっとしたら、急にしんどくなってきた。ちょっと、中で座らせてもらってもいい?」



 苦笑いのエリクに、そう頼まれてしまった。



「あ…」



 そりゃそうだ。

 無理を通して歩いてきたエリクに、元の場所へ帰るまでの体力はまだあるまい。



 一瞬固まりつつも、ちらりと後ろへ目配せ。

 瞬時に中では厳戒態勢が準備され、外にいた一人が車椅子の手配に走る。



「もう……無理するから……」

「面目ない……」



 周りの人に補助されながら、扉近くに設置した椅子に座るエリクは、やはり笑うばかりだった。



「おい。あれ、どうした?」



 部屋の奥で介抱されているジョーに気付いたルカが、小声で訊ねてくる。



「実は……今、結構笑えない状態。そもそも、強制連行されたのは俺じゃないんだ。」

「………」



 こちらの言葉とジョーの様子から、ルカは色々と悟ったらしい。

 切れ長な目が、険しく細められた。



「キリハ君……」

「あ、はい!」



 そこでエリクに袖を引かれ、キリハは慌てて彼の前に膝をついた。



「大丈夫…?」



 エリクの手を握り、そっと訊ねる。



「そう訊きたいのは、僕の方だよ。」



 瞬く間に涙を浮かべたエリクは、力が入らない腕でキリハを精一杯抱き締めた。



「ごめんね……ごめんね…っ。つらかっただろう…? 僕のせいで……あんなに怖い思いをして、あんなものを見せられて…っ」



「………っ」



 涙で震えるエリクの声が、心を揺らす。

 大きく顔を歪めたキリハは、自分も強くエリクを抱き締め返した。



「違うよ…。エリクさんは悪くない…っ。エリクさんがルカに残したメッセージは、俺も読んだ。あれがあったから俺は助かったんだし……エリクさんが、好き好んであんなことするわけないって……信じてたもん…っ」



 ショックを受けたのは本当。

 つらかったのも本当。



 だけど、心の奥ではずっと信じていた。

 信じていたかった。





 大事な人を、また失いたくなかった……





「よかった…っ。エリクさんが死んじゃわなくて……もう一度、話すことができて…っ」

「うん…。僕も、君にちゃんと謝れてよかったよ…っ」



 二人で涙しながら、互いの生を確かめ合う。



 心が痛みながらも、確実に暖まる。

 それは、そんな時間だったように思えた。


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