第7章 救われた命の代償

進む侵食

 エリクがとうげを切り抜けたという一報は、翌朝から各所に音速並みのスピードで広まっていった。



 キリハから報告を受けたサーシャは、その場で腰を抜かして泣きじゃくるほど。

 好きな人を優先してフィロアから離れたとはいえ、彼女も彼が心配でたまらなかったのだろう。



 宮殿メンバーも皆、これ以上大きな犠牲を生まずに済んだことに、ほっと胸をなで下ろした。

 特に普段からエリクと交友があったミゲルは、即で有給を叩きつけて病院に飛んでいったくらいだ。



 エリクの手で事件に巻き込まれたミゲルだが、彼はルカ同様、エリクのことを微塵も疑っていなかった。

 それ故に、エリクが残した暗号を読んだ彼は激しく怒り狂った。



 あまりにも怒りが収まらないものだから、最終的にジョーと同じく、ターニャとフールからジャミルへの接近禁止令を下されていたくらいだ。



 そんなジャミルは、目覚めてはいるものの口も体もまともに動かず、取り調べは未だに行われていない。



 ジョーは三日ほどと言っていたが、怒りのあまり加減が上手くできなかったのか、打ち込んだ薬の効果が強すぎたようだった。



 今後のエリクは、とりあえず最低限の体力が戻るのを待ち、宮殿の医療部で保護することが決まっている。



 ジャミル本人が捕まっているとはいえ、いつ彼の仲間がエリクの命を狙うとも分からないからだ。



『ルカ……キリハ君は、助かったの…?』



 夜中に目覚めた後すぐに眠り、再び起きたエリクは真っ先にそう訊ねてきた。

 精神状況は最悪だが命に別状はないと告げると、彼はなんとも言えない表情で息をついた。



『そう…………』



 エリクがなんのことを言っているのかは明白。

 あの凄惨な光景は、今でも生々しく思い返せる。



『ルカ……本当にごめんね。僕のことを……許さなくてもいい……』



 どんな事情があったにしろ、ミゲルに危害を与え、キリハをジャミルに引き渡したのは間違いない。

 その裁きは受けるつもりだし、どんなに非難されても構わない。



 まだ呼吸をするのも大変なくせに、エリクは必死に言葉を紡いでいた。

 そんな彼のまなじりから零れていく涙に、同情しなかった者はいないだろう。



「許すも何も……最初から、くそ善人の兄さんになんて怒ってねぇよ。」



 あの時も伝えたその言葉を、ルカは空虚な声で繰り返す。



「裁きを受けるのは、兄さんじゃない。オレが復讐すべき奴は、別にいる。」



 淡々と言葉を連ねながら、機械的に手を動かす。



 エリクが助かれば、この気持ちも少しは落ち着くかもしれない。

 裏でレクトやシアノと話しながら、そんなことを考えることもあった。



 だけど、実際にそうなってみればどうだろう?

 気持ちはやわらぐどころか、ささくれ立つばかりだ。



 キリハにも言えることだが、命が助かったからなんだという話。

 強制的に従わされただけなのに深い罪悪感に駆られる兄は、この先どれだけ苦しむことになるだろう。



 それを思うと、この気持ちは暗い炎にあぶられる一方で、おとろえることなく燃え盛ってしまうのだ。



「オレは……あいつらを許さない。」



 ドクン、ドクンと。

 一つ気持ちを吐き出す度、鼓動の重さが一つ増す。



「この理不尽を見のががしてやるのも……もう限界だ。」



 ぼんやりとした意識の中、自分自身の声が木霊こだましている。



 人間を許すな。

 自分には、あいつらに復讐する権利があるのだと。





「お前だって……そうだろ?」





 パタン、と。

 作業を終えて、箱のふたを閉じるルカ。





 それを見下ろす無感動な瞳の奥で、暗いよどみがゆらりと―――




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