どちらのあなたも―――



「エリクさんが……―――助かった?」





 電話口から響く、カレンの涙声。



 つい先ほど病院からルカの実家に電話が入って、皆で病院に急行したのだという。

 言葉を話せる力はないようだが、薄く開いた目をなごませて微笑んでくれたそうだ。



「うん……うん………え?」



 カレンの報告に耳を傾けていたキリハは、そこで思わずある場所をチラ見。

 すぐに意識を切り替えて、再度カレンの話に集中する。



「……そっか。本当によかったよ。明日、サーシャにもちゃんと伝えとくね。教えてくれてありがとう。」



 ゆっくりと電話を切る。

 その瞬間どっと力が抜けて、思い切り息を吐き出してしまった。



「自分を裏切った人間が助かって喜ぶとか、正気じゃないね。」



 辛辣しんらつな物言いをするジョーは、少しばかり複雑そう。

 そんな彼に、キリハは涙を浮かべて微笑みかける。



「アルシードだよね?」



「何が?」



「エリクさんを助けたの。」



「はあ? 生憎あいにくと僕は、この発作とトラウマのせいで、あの人からは強制隔離されてました。僕だったら助けるどころか、あの人を殺してたっての。」





「―――銀と青の、冷たい神様。」





 しらを切ろうとするジョーに、キリハはそう告げた。



「お医者さんが言ってたらしいよ。銀髪に青い目の神様が、毒の情報と奇跡の薬を授けてくれたって。」

「なっ…!?」



 完全に予想外だったのか、ジョーが動揺した様子でこちらを見た。



 汗で湿った、白にも見える銀髪の向こう。

 大きく見開かれた瑠璃色が、戸惑いに揺れる。



「……ちっ。僕の代わりに、色々と被れって言ったのに…っ」



 決定的な証言があっては、言い訳は無意味。

 毒づいたジョーは、悔しげに唇を噛んだ。



「なんか、アルシードのメッセージで目が覚めたんだって。」



「はあ?」



「僕は、情報と薬学の面からしか手助けができない。それを生かすか殺すかは、お前ら医者次第だ。良心が少しでも残ってるなら、意地でも助けてみろ……って、書いたらしいね?」



「………」



 心当たりがあるのか、ジョーは閉口。



「ねぇ、アルシード。僕だったら殺してたって言ってたのに、どうして逆に助けたの?」



「別に、特に理由はないよ。ただ、頭の中にあの人がちらついてうざかったから、さっさと消したかっただけ。」



「それは、どうして?」



 お願い、アルシード。

 今だけでいいから、素直になって。

 早く、この胸にあふれる気持ちを伝えさせて。



 そんなことを願いながら、黙して彼の答えを待つ。





「……………分からないっていうのは、苦しいんだよ。」





 ポツリ、と。

 長い沈黙の果てに、ようやく彼の口から隠れた心の欠片が零れ落ちる。



「本当はね、分からないんだよ。が、本当に目の前から消したくなるくらいに僕を嫌っていたのか……それとも、実はちょっと悔しいと思ってたくらいで、タイミング悪く、あいつらの口車に乗せられちゃっただけなのか。」



 訥々とつとつと語るジョーの瞳に、これまでになかったうれいが宿った。



「真実を知りたくても……もう、お兄ちゃんはこの世にいない。永遠に話を聞くことができない。そんな僕の手元にある事実は、あの時確かに、泣いて助けを求める僕を見たお兄ちゃんが……本当に楽しそうに笑ったってことだけなんだ。どんなにお兄ちゃんを許したくても……許せる余地がないんだよ…っ」



 その苦しみを表すように。

 握り締められた拳が微かに震える。



「あの人はルカ君とキリハ君を裏切って笑ったくせに、暗号の中ではルカ君とキリハ君を助けようと必死だった。だから……腹が立った。死ぬならせめて……どっちが真実なのかを、自分の口で弟に伝えてから死にやがれって…っ」



「そっか……」



 気付けば、涙が頬を流れてしまっていた。





「アルシードは、俺とルカに……自分と同じになってほしくなかったんだね。」





 ほらね。

 やっぱり、あなたは最低な人間なんかじゃないよ。



 きっと本当は、トラウマと全く同じ光景を見せてきたエリクさんが憎くて、殺してしまいたかったよね?



 でも、そこでエリクさんが残したメッセージを読んで、あなたは踏みとどまった。



 何度も何度も葛藤かっとうしただろうに、最後には自分の怒りより、裏切られたまま兄を失いそうになっている弟たちの幸せを優先した。



 そしてあなた自身は、過去の傷と今も続く苦しみを抱えて、一人でそれに耐え抜こうとしていたんだね。



(ありがとう、ノア。……仮面の下にいた本当のこの人を、ちゃんと捕まえられたよ。)



 心の中で彼女に礼を述べ、キリハはアルシードに向かい合う。

 そして、先ほど言いかけたことの続きを伝えることにする。





「ありがとう、アルシード。俺はね―――ジョーとしてのあなたも、アルシードとしてのあなたも大好きだよ。」

「―――っ!!」





 そう告げると、ジョーが心底驚いた顔をしてこちらを見る。



 今がチャンスだ。

 キリハはジョーの瞳をまっすぐに見つめ、真摯しんしに想いを伝える。



「あなたがジョーとして復讐の道に進んだことを、俺は否定しない。……というか、できない。今の俺も、真っ黒になりそうなこの気持ちをどうすればいいのか分からないし……実際に、ほむらを暴走させちゃったし。」



「………」



「それでね、あなたがアルシードの力を使ってエリクさんを助けてくれて、本当に嬉しいし安心してる。父さんたちが殺されたかもしれないってことだけで精一杯だったのに、エリクさんまで殺されちゃったら……俺もあなたと同じで、この気持ちを止められなくなったかもしれないから。」



「………」



「……正直、分かんないなぁ。」



 キリハは眉を下げ、視線を横に逸らす。



「裁きと復讐って、何が違うんだろう。罪を犯した人に罰を与えるって、やってることは同じように思えるんだけど……罰の量が適正かどうかの違い、なのかな…?」



「………」



「でもさ、適正な罰って何さ? 半年以上も怖いのを我慢した俺の苦しさは? 父さんたちに加えて、エリクさんを利用されて奪われかけた俺の怒りは? それは……適正だなんだって、計って割り切れるもんじゃないよ…っ」



「キリハ君……」



「ねぇ、アルシード。」



 とっさに手を伸ばしてきた彼の手を、キリハは両手で握る。

 彼にすがるように力が込められたその手は、微かに震えていた。



「今度は、俺の話を聞いてくれる? この気持ちはユアンにしか言えないからって、ずっと我慢してて……もう、結構きついんだ。でも、アルシードになら言える。アルシードが言える相手だって分かっちゃったから……このまま、少しだけもたれかからせて?」



 アルシードは、とても強い人だと思う。



 だって、この黒い感情を誰にも吐き出さずに、自分のパワーに変えて修羅場をくぐり抜けてきたんだから。



 でも、自分にはそれはできない。



 胸を焼く激情に飲まれて、今にも心が崩れ落ちてしまいそう。

 誰かに傍にいてほしくて、この苦しさをありのまま聞いてほしくてたまらないんだ。



「………」



 ジョーは数秒間、無言でこちらを見つめていた。

 次にゆっくりとまぶたを伏せた彼は、ふっと肩の力を抜いて笑う。



「僕は、良い子の模範解答なんて言えないからね。」

「うん、それでいい。……それがいい。」



 ジョーの回答に安堵したキリハは、涙を流しながら無邪気に笑う。

 そして言葉どおり、ジョーの隣に移動してその肩にもたれた。



 時には怒りをぶちまけ、時には涙に暮れ。

 黒い感情に黒い感情で返す、傷の舐め合いのような会話。



 それは、朝日が窓から一条の光を差し込むまで続くことになった。


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