剣や情報よりも、強力な―――

 突如として舞い上がった粉塵。

 その正体を一番早く察したのはフールだった。



「ミゲル! ルカを連れて部屋の外に!! 他のみんなも、粉を吸わない安全圏まで離れて!!」



「は…?」



「早くする!! 丸一日くらい意識が吹っ飛んでも知らないよ!!」



 大声で怒鳴るフールに気圧され、ディアラントや警察は口元を覆いながら数歩後退。



 暴れるルカを引きずってミゲルも部屋から出ようとする中、たった一人だけ、むしろ室内へと突撃していく人物が。



「う…っ」



 突然の出来事に動揺したジャミルが、咳込みながらよろける。

 ふらついた彼の手から力が抜け、メスが銀色の軌跡を描いて床に落ちていく。



「くっ…」



 思い切り吸い込んでしまった粉にやられたのか、ジャミルが険しい表情をして両手を膝につく。



 そんな彼の首筋に―――プツリ、と。



 細い針が突き立った。



「―――……」



 数秒と経たずにくずおれていくジャミルの体。

 それを見下ろしていたのは―――





「バーカ。この僕に十秒以上の時間を与えた時点で、お前はゲームオーバーなんだよ。」





 極寒を思わせる怜悧れいりな無で表情を染めたジョーだった。



 もうもうと細かな粉塵が舞う中、ジョーは何事もなく立っている。

 そしてその手に握られているのは、一本の注射器。



「ジョー…先輩…?」



 初めて見る彼の姿に、ディアラントは怪訝けげんそうに眉をひそめる。

 その足がふと、床に落ちていた何かを踏んだ。



 反射的にそちらを見下ろしたディアラントは、さらに首をひねることになる。



 床にあったのは、ジョーのものと思われる制服の上着。

 その上に広げられているケースと、そこに入っていたと思われる何らかの器具。



 そして……





「これは……薬?」





 ケースの中に並ぶのは、液体が入った試験管に、錠剤やカプセル、粉末といったものたち。

 それらから連想されるのは、薬以外にありえなかった。





「それが、剣や情報以上に強い……あの子の本当の武器だよ。」





 ディアラントの疑問に答えるように、フールがそう告げた。



「あの子の左腕……ひじ辺りの内側を見てごらん。」

「え…?」



「血が流れてないかい?」

「あ…」



 フールの指摘に、ディアラントは目を見開く。



 倒れたジャミルを見下ろすジョーの左腕。

 フールの言うとおり、肘辺りの皮膚に細い血の線ができている。



「ジャミルを寝かせる薬を作ると同時に、それを無効化する薬も作って、自分に打ち込んだんだろうね。そこに、使用済みの注射器が転がってるでしょ。」



 言われて気付く。

 ケースのふたの陰に隠れて、押し子が最奥まで押し込まれた注射器があった。



「待てよ…。今、って言ったか…?」

「そうだよ。」



 ディアラントの違和感を、フールはあくまでも静かに肯定する。



「それ単体では、法による取り締まりには引っかからない、あくまでも一般的に手に入る範囲の薬品たち。だけど……」



 フールの瞳が、まっすぐにジョーを映す。





「ひとたびあの子の頭で再計算され、組み合わされれば―――それは一瞬で、自分を守るための新たな特効薬となり、敵に脅威を与える新たな毒ともなる。」





 それは、あまりにも現実離れしていて信じがたいが、強力すぎることだけは十二分に理解できる能力。



 ディアラントだけではなく、ミゲルやルカ、他の警察官の面々も、どこか薄ら寒い心地になりながらジョーを見つめた。



 粉塵が落ち着いてきたところで、フールはジョーにそっと近づく。



「殺してはいないよね?」

「ええ。」



 フールの問いに、ジョーは冷たい表情のまま頷いた。



「単に眠らせたのと、麻酔を打ち込んでやっただけです。多分、三日はまともに動けないでしょう。逃げられずに牢屋にぶち込むには、十分すぎる時間かと。」



「そうだね…。手加減してくれて、ありがとう。」



「勘違いしないでください。証言が出揃うまでは殺すべきじゃないと、そう判断しただけです。別に、この場で殺したってよかったんですからね。」



「……それでも、ありがとうと言わせておくれ。」



「ちっ…」



 忌々しげに舌を打ったジョーは、フールから逃げるように身を翻した。

 ざわめく人々の間をすり抜けて床にしゃがんだ彼は、ケースを片付けて腰のベルトにぶら下げる。



「ジョー……」

「先輩……」



「悪いけど、何も聞かないで。」



 制服の上着に袖を通してえりを整えるジョーは、この場にいる誰とも目を合わせようとしなかった。



「今は……誰かと話す気分にはなれない。」



 消え入るような声で呟いたジョーは、足早にそこを立ち去ってしまう。



「どうしたんだよ、あいつ……」

「あんな先輩、初めて見た……」



 付き合いが長いはずのミゲルとディアラントでも、戸惑いを隠せないジョーの変貌。



「あれは……十五年前からあの子をむしばんでいる、闇そのものなんだよ……」

「十五年前…?」



 フールの言葉に、ディアラントは頭を傾げる。

 そして、その顔を隣のミゲルへ。



「ミゲル先輩、何か知ってます?」

「いや……」



 ミゲルの答えは否。



「おれがあいつとダチになったのは、あいつがおれの中学校に転校してきてからだ。それが十四年前の話だから、ギリで知らない。あいつも、転校前の話は一切しないから……」



「するわけがないよ。」



 真実を知るフールは首を振り、訥々とつとつと語る。





「だってあれは……十五年前に自分の手で殺した―――亡霊の力だからね。」




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