鎌首をもたげる亡霊

 会議が終わり、しばらく。



 一人で会議室に残ってパソコンと向き合っていたジョーは、ふとした拍子に溜め息をついて額を押さえた。



「くそ……こんなに効かないことってある…?」



 収まる気配のない頭痛。

 病気からくるものじゃないと分かりきっている手前、この痛みがわずらわしくて仕方ない。



 こんなことは初めてだ。

 自分が飲む薬が、全く効果を示さないなんて。



「……ちょっと成分を変えて、副作用覚悟で効果を強くするか。」



 呟きながら、制服のすそをめくる。



 剣とは反対側の腰元から取り出すのは、自分の相棒とも言えるケース。

 それを開き、中身をざっと眺める。



「飲むのは……効果が出るまでに時間がかかるから、打つか。」



 特に悩むこともなく、ケースの中から必要なものをピックアップ。

 手早く用を済ませ、ケースを腰に戻したところで―――





「へぇ…。お前、面白い特技を持ってんな。」





 自分以外には誰もいないはずの室内に、りんと澄んだ声が響いた。



「―――っ!?」



 完全に油断していたジョーは、蒼白な顔で後ろを振り向く。

 そんな彼を会議室の隅から眺めていたルカは、くすりと笑った。



「情報のプロかと思ってたが、実はそっちが本職だったりするのか? 兄さんと仲良くなれそうだな。」

「………っ」



 ルカの言葉を聞いたジョーは、微かに肩を震わせる。



(兄さん……)



 その単語が、ピンポイントで胸の奥に突き刺さる。



 日常的にどこでも聞かれる、ありふれた単語。

 今さらこの自分が、この程度の単語に振り回されることになろうとは。



 とっくの昔に殺して、深層意識にすら浮かばないほどになっていたはずの亡霊。

 それが、十五年ぶりに表層意識にまで手を伸ばしている。



 おかげで散々だ。

 長い月日をかけて完成形になっていたはずの計画に水を差されるなんて、最悪としか言いようがない。





 何もかも―――あの人に出会ったことがいけないんだ。





「……はぁ。なんの用?」



 どうにか掻き集めたプライドで動揺を押し殺し、ジョーはパソコンを閉じた。



「別に? 愛想笑いもできねぇくらいに参ってるようだから、ちょっと気になっただけだ。」

「君が僕を気にするの? あんなに毛嫌いして警戒してたくせに?」



「ああ。だって今は、お前と仲間になりたくて仕方ないからな。」

「………」



 途端に、ジョーの表情から感情が消え失せる。

 他の人間が見たら震え上がりそうなものだが、すでに彼の闇を見抜いているルカは少しも動じない。



「キリハがレクトのところに通ってること、吐いちまったみたいだな。」

「悪い? 別に秘密にしてくれって頼まれたわけでもないし、僕としても余計な荷物は捨てたかったんだよ。」



「その荷物を捨てた理由に、オレは期待してもいいのかね?」

「あんまりつけ上がらないで。僕は、君の思いどおりに動いてやる気はない。」



「そうだな。簡単に釣れたのはあの一回きりで、それ以降の交渉には、なかなか応えてくれないもんな。」



 ルカはわざとらしく肩をすくめる。



「正直、少し意外だな。決めてくれりゃ、主導権はお前に渡すって言ってあるのに。あそこまで容赦なく他人を叩き潰せるくせに、何を躊躇ためらってるんだ?」



「別に、躊躇いはないさ。単純に、気が乗らないってだけ。」



「ふーん…。なんか、お前が気乗りしないって時点で―――荷物、捨てきれてないように思えるんだけど?」



「―――っ!!」



 その指摘に、心臓が重く鳴り響く。

 心が揺れたのは、図星を突かれたからではない。



 単純に、不愉快だったからだ。



「知ったような口を聞かないでくれる? 僕はそんなに優しい人間じゃないよ。」



「ああ、そうだな。お前ほどこえぇ人間はいないと思うぜ。今まで出会ってきたどんな人間よりも、頭がイカれてる。」



 ジョーの発言をあっさりと認め、ルカは壁から背中を離して彼に近づく。



「確かにお前は甘くない。甘くはないが……―――ここぞという時には、甘いかもな?」

「………っ!!」



 一切こちらを見ないまま、横を通りすぎていったルカ。

 そのすれ違いざま、自分の手元に何かが転がり込んできた。



「……君は、レクトと随分仲良くなったようだね。」

「まあな。」



 遠ざかっていくルカはもう、こちらに顔を向けようともしない。



「今までどいつもこいつも、無駄なことはやめろって言ってくるばかりだったからな。逆に思いっきりやっていいって言われるのは、気分がいいわ。」



「……そうかもね。やめろって言われたところでやめられるものでもないし、不愉快なだけだから。」



「お? 乗ったな?」



 小さな笑い声を漏らしたルカは、会議室のドアに手をかける。



「ここじゃ、いつ誰が聞き耳を立てるかも分からねぇから、このくらいにしとくわ。また今度。」

「………」



 ジョーは何も答えない。

 それに構わず、ルカはドアを開けて会議室を去る。





「―――期待、してるからな。」





 最後に、そんな一言を残して……


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