欲しかった言葉

「エリクさん……」



 そこに立っていた彼に、驚いてしまった。



「ふふ。たまたま見かけたから、声かけちゃった。」



 茶目っ気を含めてそう言ったエリクは、隣に腰かけてくる。

 そして、柔らかい微笑みをこちらに向けてきた。



「どうしたの? そんなに浮かない顔して。」

「あ……えっと……」



 問われたキリハは困惑する。



 どうしよう。

 ここでエリクに会うなんて、想像もしていなかった。



 ルカと一緒で、他人の心情を見抜くことが得意な彼だ。

 下手なごまかしは通用しない。



「その……」



 ない頭をフル回転。



「実は……仲がよかった人と、喧嘩しちゃって……」



 絞り出せたのは、フールとのことだった。



「ふむ、喧嘩かぁ……」



 エリクは特に疑うことなく、何かを考えるように虚空を見上げた。

 まあ、これも大きな悩み事の一つなので、嘘はついていないのだが。



「キリハ君が〝喧嘩〟って言葉を使うってことは、自分にも悪い部分があったって思ってるのかな?」

「うっ……うん。」



 さすがはエリク兄さん。

 単語一つのチョイスで、そこまで分かってしまうのか。



 内心で諸手もろてを挙げるしかないキリハは、しゅんと肩を落とした。



「俺もムキになりすぎたっていうのは、分かってるんだ。その人にもその人の事情があって……俺を心配してくれてるってことも。」



「そっか。どうして、そんなにムキになっちゃったの?」



「……俺が嫌いなことを言った。その人の今を見ようとせずに、過去の決めつけで全否定するような……そう感じる言葉だった。」



「あー…」



「否定されたのが自分じゃなかったから、余計に頭にきちゃって……」



「んー…」



 同じ竜使いとして、自分が不愉快に感じるところが理解できたのだろう。

 エリクはいい返答を探して、悩ましげにうなっていた。



「一度仲が悪くなった人たちが、もう一度やり直す方法って……何かないのかな?」

「あはは…。キリハ君は相変わらず、複雑な立ち位置に立っちゃう子だなぁ……」



 エリクは苦笑い。

 どうやらこの一言だけで、自分がどんな状況にいるのかを察したらしい。



「そうだね……やり直せるかどうかは、その人たちの間に何があったかによると思う。ちょっとした口喧嘩なら、お互いに意地を張っているだけかもしれないけど……誰かを傷つけ、傷つけられた出来事があったなら、関係の修復は難しいだろうね。七年前の事件を忘れられない、僕たちのように。」



「………」



 ああ、そうか。

 ここにも、解消するにできない確執があった。



 つくづく、あの時の自分は目の前のことしか見えていなかったのだと知る。



「なら……俺は、どうすればいいのかな…。俺は……どっちのことも信じたいのに……」



 板挟みがこんなにつらいなんて知らなかった。

 まあ、レクトが引いている手前、板挟みだと感じるのは自分のわがままのせいかもしれないけど。





「いいんじゃない。どっちのことも信じたって。」





 その言葉が鼓膜を揺らした時の気持ちを、どう表現したらいいのだろう。



 沈む一方だった思考が、暗い海の底からすくわれたような。

 そんな心地がした。



「え…?」



 顔を上げると、エリクはそこで優しく目をなごませている。



「当人たちのことは、最終的に当人たちで解決するしかない。だけど、キリハ君はキリハ君でしょ? 当然だけど、その人から見た相手と君から見た相手は違う。君からしか見えないよさがあって、それを信じたいと思うのは悪いことじゃないと思うよ。そして、そんな君が伝えるからこそ、仲違いしているその人たちに届く言葉があるんじゃないかな。」



「エリクさん……」

「ただね。」



 エリクはそっと、キリハの髪の毛をなでた。



「キリハ君の反応を見ている感じ、君が間に入っている二人の間には、誰かが傷ついた悲しい出来事があったんだろうと思う。もしも今後、関係性がこじれるようなことがあって、君や君の大切な人が危険だと思ったなら……その時は、自分を大切にして身を引くんだよ。それは決して逃げじゃない。自分の優しさでがんじがらめになって、傷ついてしまわないように。それだけは、気をつけてほしい。」



「………っ」



 その瞬間、無性に泣きたくなってしまった。

 胸の奥がじんわりと温まるような感覚がして、自分が本当はこういう言葉をかけてほしかったのだと知る。



 無理に味方してもらわなくてもいい。

 だけどせめて、自分を信じてこの判断を許してほしかった。



 やれるだけやってみればいいって。

 そんな風に、背中を押して送り出してほしかった。



「……うん。」



 ごく自然に、頬がほころぶ。

 無理なく笑えたのは、随分と久しぶりのことだった。



「よし。それだけ分かっててくれるなら、あとは好きなようにやってみな。僕はいつだって、君のことを応援してるよ。」



「本当にありがとう。なんか、肩が軽くなった気がする。」



「そう。よかった。」



 エリクが満足そうに笑みを深めたので、自分も一緒になって笑う。



 そうだ。

 様々な問題を抱えている今だけど、自分にできることを少しずつ頑張っていこう。



 全てを変えることは難しいかもしれない。

 だけど、自分の手が届く小さな世界の〝これから〟だけでも変えていこう。



 なんだか、原点回帰した気分だった。



「………」



 決意を新たにするキリハを見つめるエリクの瞳が、ふとかげったのはその時。

 彼は深く懊悩おうのうするように唇を噛み、逡巡しゅんじゅんの後に口を開こうとする。



「キリハ君……あの―――うっ!」



 次の瞬間、エリクが胸を押さえて身を折った。

 その拍子に彼が手にしていたかばんが落ちて、床に中身がぶちまけられる。



「エリクさん!?」



 それまでエリクから視線を外していたキリハは、突然の出来事に大きく目を剥いた。



「だ、大丈夫…。ちょっと、胸が痛んだだけ……」



 エリクはそう言うが、明らかに顔色が悪い。

 額には脂汗が浮いていて、奥歯を噛み締めるその表情は、壮絶な苦しみをこらえているようだった。



「どこが大丈夫なの!? 体調、明らかに悪くなってるじゃん!! 俺やルカに心配かけないようにって、メッセージでは嘘ついてたね!?」



「あはは……面目ない。」



 こんな姿を見られては、下手な言いのがれもできないと思ったのだろう。

 エリクは疲弊した様子で小さく笑った。



「別に、全部が全部嘘ってわけじゃないんだよ。胸が痛んでもほんの数秒だし、定期検査では異常も見られないし。……ほら、もう収まった。」



 言葉どおり動きを身軽にしたエリクは、床に散らばった荷物を拾い始める。

 一緒になってそれを回収していると……



「キリハ兄ちゃーん。」



 お小遣いを使い切ったらしいメイアたちが戻ってきた。



「あ……ほら、お呼びだよ。行ってあげて。」

「ま、待ってよ!! 送っていくってば!!」



 こんなエリクと何事もなく別れることなんてできず、キリハはその場を去ろうとしたエリクを慌てて呼び止める。



 しかし。



「大丈夫、大丈夫。今日はあの子たちを優先してあげな。もし気になるなら、今度ルカと一緒に遊びに来て。」



 有無を言わせない。

 そんな頑なな態度で、エリクは足早に遠ざかっていってしまった。



「エリクさん……」



 キリハは眉を下げる。



 何が今度、だ。

 あんな姿を見せられては、今すぐにでもルカを連れて家に乗り込みたいところなのに。



「……あれ?」



 視線を下げた拍子に気付く。

 ソファーの下に、小さな紙切れが落ちていた。



 もしかして、エリクの忘れ物だろうか。



 そう思って紙を拾い上げる。

 折り畳まれた紙を開いたキリハは、思わず顔をしかめた。



 そこに記されていたのは、文字や数字、記号に矢印の羅列だった。

 一見して、何を意味しているのかはさっぱり分からない。



 唯一読み取れる単語があるとすれば―――





「……〝ルカに〟?」





 それだけだった。


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