染み渡る声、霞んでいく声。

 衝動的に部屋を飛び出したのはいいものの、こんなに夜遅くでは思いつく行き先もない。

 宮殿にいて、またフールと顔を合わせるのも気まずい。



 頼る先は一つしかなくて、レクトに迎えに来てもらってしまった。



「……よかったのか? あんな風に、喧嘩別れをしてきて。」

「………」



 レクトの問いに、キリハは憂鬱ゆううつそうに表情を曇らせる。



 本当は、頭ごなしにユアンを拒絶してきたことに、ちょっぴり罪悪感を抱いている。

 もう少し冷静に話し合えなかったのかと、反省する気持ちもある。



 でも、あれはユアンだって悪くないだろうか?

 そんな風に、もやもやとしているのも事実で……



「だって……ユアンったら、俺の話を聞く気なかったんだもん。」



 思わず、不満たらたらの文句が零れてしまった。



「まあ、それだけお前が心配だったのだろう。」



 レクトはそうとだけ告げて、次に遠くを見る。



「あの子もそうだったからな。私に執着する子を止められなかった結果、その子を死なせてしまっているのだ。トラウマには十分であろう。」



「でも、もうずっと昔のことでしょ?」



 とっさに思いついた反論を述べたのだが……



「お前は、それと同じ理屈で両親のことを割り切れるか?」

「―――っ!!」



 その言葉がきっかけで、ユアンの心情が自分ごととして心に落ちてきた。



「それと同じだ。トラウマに、過去も今もないのだよ。」

「………」



 それを言われたら、何も言えない。

 両親の死を過去のことで簡単に片付けられたら、自分は悲しいから。



 黙りこくるキリハを横目に見ながら、レクトはすぐに話を変えた。



「それにしても、よくあの人形がユアンだと分かったな。」

「あ……なんとなく、直感的に……」



 キリハはうーんとうなる。



「前から、ちょっと違和感があったんだよね。レティシアがするユアンの話が、なんか昔の話って感じがしなくて。レクトからユアンが今も生きてるって聞いた時、もしかしたら案外近くにいるんじゃないかなって思ったんだよ。」



「ほう…? 頭が少し足りない分、直感が研ぎ澄まされたか。」

「あうぅ…。レクトまで、俺が馬鹿だって言わないでよ……」



 自分の頭が足りないことくらい、十も百も承知です。

 お願いだから、これ以上欠点をえぐらないでください。



「いや、馬鹿だとは思っておらんよ。」



 レクトは、朗らかな笑い声をあげた。



「純粋すぎるところがシアノに似ていて、少しばかり微笑ましい。おそらく他の連中も、私と同じ気持ちだろう。」



「………」



 レクトの双眸は、優しげになごんでいる。

 それをじっと見つめるキリハの表情に、再びうれいが宿った。



(利用してるだけなら……こんな風に笑うかな? まるで……父さんみたいに……)



 徐々に記憶から薄れていく、父の面影。

 それでも、心の奥は大好きな彼を覚えている。



 いつもおっとりとして、どこか抜けていて。

 そんな父に小言を言いながらも、母はいつも笑っていた。



 父は失敗をしたりよくないことが起こったりしても、その中から必ず一つはいいことを見つけるのが得意だった。



 そして自分が泣いたり落ち込んだりした時は、自分を胸に抱きながらじっくりと話を聞いてくれて、最後には穏やかに笑ってくれるのだ。



 レクトの笑い声が遠い記憶で木霊こだまするそれに似ていて、この声を聞いているのはなんだか安心する。



 疲れから来る微睡まどろみもあって、ふと目を閉じかけた時―――



「キリハ……」



 シアノが、不安げな表情で声をかけてきた。



「どうしたの?」

「………」



 訊ねるも、シアノは何かを迷うように視線を泳がせている。

 何かがあったのは明白だった。



 身を起こして表情を引き締めるキリハ。

 未だに迷うシアノの頭を、レクトが優しくつついた。



「シアノ。一応、見せておいた方がいいだろう。後になってから見せたら、キリハが怒ってしまう。」

「……分かった。」



 怒られるという言葉が効いたのか、シアノはしゅんとして、パーカーのポケットに手を入れた。





 そこから表れたのは―――悪夢の象徴とも言えるあの封筒。





「―――っ!?」



 ベルリッドの時とは違い、問答無用で封筒をひったくっていた。



「これ……いつ!? 誰からもらったの!?」

「えっと……何日か前に、病院の女の子から……」



「なんですぐに、お父さんに言わなかったの!?」

「だって、手紙の意味がよく分からなかったから、捨てようと思ってて……」



 ここまできつく問い詰められると思っていなかったのか、シアノはびっくりしてしどろもどろになっている。



「すまんな。」



 真っ青になるキリハに、レクトが詫びを入れた。



「シアノには、例の話を聞かせていなかったのだ。それで昨日になって私とお前の話を聞きとがめたシアノから、これを見せられたというわけだ。」



 そう言われて、少しだけ頭が冷える。



 そりゃそうか。

 自分だって、小さな子にこんな話は聞かせない。



 シアノからすれば、この手紙は言葉どおり、意味がよく分からないものだったのだろう。



「怒鳴っちゃって、ごめんね……」



 不安げなシアノの頭をなでて、すぐに封筒を開ける。

 中から出てきたのは、大量のシアノの写真だった。



(とうとう、シアノまで……)



 写真を握る手が、否応なしに震える。



 シアノだけは、絶対にだめだ。



 自分に巻き込まれて、再び人間に悪意を向けられることがあれば……今度こそシアノは、人間を好きになれる機会を失ってしまう。



 それだけは、絶対に嫌だ。



「………っ」



 次の一枚をめくった時に気付いた。

 写真の裏に、何かが書かれている。



「これは……」



 うめくキリハ。



 そこに記されていたのは、とある日時と場所。

 指定されたのは、宮殿からそこまで離れていない場所だ。



「シアノ。絶対に、ここに行っちゃだめだからね。ちょうど休みの日だし、代わりに俺が行ってくる。ついてくるのもだめ。分かった?」



「う、うん……」



 まだ現実についてこられていないのか、シアノは少し混乱した様子でなんとか頷いた。

 そんなシアノに不安を覚え、キリハはレクトを見上げる。



「レクト、お願い。しばらく、シアノから目を離さないで。できれば、二人でここにいてほしいんだ。」

「ああ。言われずとも、そうするつもりだ。」



「ありがとう。」

「ただ、私からも一つ頼みがある。」



「何?」

「その時間になったら、私を呼べ。」



「え…?」



 想像もしていなかった申し出に、キリハは目をしばたたかせる。

 レクトの方は大真面目だった。



「私にしか言えないのだろう? さすがに心配で見てられんから、意識だけでも同行しよう。何かあれば、それとなく助言してやる。」



「……ありがとう。」



 なんと心強いことか。

 レクトの発言を聞いて、自分でも驚くほどに安心した。



「ただし、私はあくまでも助言しかできん。くれぐれも、無茶はするなよ。」

「……うん。」



 頭をすり寄せてくるレクトを招き入れて、その頭をぎゅっと抱き締めたキリハは、きつく目を閉じる。



 やっぱり、レクトを信じてはいけないのだろうか?



 ここまでシアノを守ってくれている彼に。

 自分の気持ちをおもんぱかってくれる彼に。



 これからやり直せる未来に期待するのは、間違いなの…?



「とりあえず、ゆっくりと呼吸して、まずは気持ちを落ち着けろ。」



 不安のせいで揺れる世界に、穏やかなレクトの声がゆらゆらと響いて……





 自分を引き留めるユアンの声が、遥か遠くにかすんでいくようだった―――




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