第4章 亀裂

悲劇の日の誓い

「キリハから、血のにおい…?」



 その報告を聞き、フールとしての体を抜け出したユアンは大きく目を見開いた。



 レティシアが早く顔を出せと言って怒っている、と。

 キリハにそう言われて、頭の中は疑問符と不可解さで埋め尽くされることになった。



 はて。

 自分はいつ、レティシアからの呼び出しを受けただろうか。

 全然記憶にない。



 とはいえ、そこは年の功。

 すぐさまキリハ絡みで話があるんだろうと察し、その場はキリハに合わせておどけておいた。



 だが、まさかこんな報告を聞くことになろうとは……



「血の匂いって、穏やかじゃないなぁ…。あの子が簡単に怪我するわけないし、かといって他人に流血レベルの怪我をさせるはずもないし…。怪我人でも保護したかな?」



「その程度なら、私に分かるレベルの匂いになるわけないでしょ。ドラゴン討伐じゃあるまいし。」



 バッサリと切り捨てられてしまった。

 まあ確かに、かすり傷程度の怪我なら、血の匂いが漂うなんてことにはならないけども……



「うむ…」

「それに……なんか、あの子変だったわよ。」



 その言葉に、ユアンは片眉を上げる。



 今、レティシアの口調が明らかに変わった。

 血の匂いも気になることながら、本題はこっちだったようだ。



「変というと?」

「今日、妙なことを訊いてきたのよ。」



「妙なことね……」

「そう。リュード様が裁きを下すほどの罪って何かってね。」



「!!」

「ドラゴンにとっての罪は何か。それが許されて、やり直すことは可能なのか……そんなことを気にしてたみたい。」



「………」



 なるほど。

 自分がレティシアの立場だったとしても、それは関係者を呼んだかもしれない。



 ユアンは思案げに腕を組む。



「ふむ……確かに、それは妙だね。色々と知りたがりな子ではあるけど、あの子の視野は、自分の経験から外れる範囲まではまだ及んでいないはず。」



「ってことは、罪や許しについて考えなくちゃいけない経験をしたってことになるわね。」



「そうなるけど……そんなきな臭い経験なんて、微塵も―――」



 そこでふと、ユアンの言葉が途切れた。

 ピクリと肩を痙攣けいれんさせた彼は、無言で虚空を見上げる。



「どうしたの?」



「どうやら、お人形さんの方に誰かが接触してるみたいだ。ちょっと戻らなきゃ。」



「うえぇ…。またあのふざけたお人形になるわけ? あのキャラ、寒気がするくらいに気持ち悪いんだけど。」



「仕方ないじゃん。チェス盤を裏から操ってることを悟らせないためには、表では無力で影響力のない存在でいるのが便利なんだもん。」



 そこまで告げたユアンの双眸が、すっと細くなる。



「―――まあ、ターニャが堂々と総督部と喧嘩するようになってからは、そうもいかなくなってるけどさ。あれだけの入れ知恵ができるのは僕くらいだろうって、最近は警戒が激しくなっちゃって。」



「ふーん? やっぱり、血が繋がった子孫は可愛いって?」



「当たり前だろう?」



 ユアンはくすりと微笑み、遥か頭上に広がる空を仰ぐ。



「ようやく……ようやく、過去のしがらみから脱しようと足掻く子が出てきたんだ。あの子の剣と盾になる駒も揃えられた。あとは、あの子たちが力強く羽ばたけるまで、番人と一緒に殿しんがりを守りきるだけだ。偶然だけど……こっちの方の役目も、終わりが見えてきたよ。」



 可愛い子供たち。

 どうか、過去の呪縛なんて打ち壊して、まぶしい希望を掴んでおくれ。



 そのためなら、自分はどんな努力も惜しまない。

 過去の傷に爪を立ててでも、全ての責任を果たしてみせよう。





 それが、遠い過去―――あの悲劇の日に誓ったことだ。




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