宣戦布告

 彼が投げかけてきたのは、氷のように冷たく、絶望に満ちた問い。



「お前たちは一度、地獄を見たはずだ。私にだって、そうした自覚はある。触れるのもおぞましい人間に介入し、同族を喰らい、人間とドラゴンの絆などというものは完膚なきまでに叩き潰した。結果としてそれは戦争にまで発展し、人間とドラゴンは互いを殺し合った。それなのに往生際悪く夢を見たせいで、シアノは自ら死を選び、お前たちは一生癒えぬ傷を負った。それなのに、まだ望むのか。」



 こちらを睨む赤い瞳に、嫌悪とも焦燥ともつかない複雑な色が揺れる。



「お前たちは未だに、人間とドラゴンが共に歩める世界とやらを望むのか? この期に及んでまでほむらが主人を決めたのは、他ならぬリュドルフリアがそう望んでいるからだというのか?」



 それを聞いた瞬間、フールは唐突に理解した。

 彼もまた、自分と同じなのだと。



 過去の事件を経て数百年ぶりに対峙し、相手の心に変化を求めている。



 あれだけのことがあったのだから、少しくらいは自分が望むように変わっているはずだと。

 そう期待していたいのだ。



 なら、自分が彼に返す言葉など決まっている。



「そうだよ。」



 彼の望みなど、真っ向から否定してやろう。

 わがままで傲慢に、けれど誇り高く、自分の信念を貫いてやる。



 フールは今までとは打って変わって、りんとして揺らがない姿勢でそう答えた。



「君の言うとおり、人間は愚かだ。何度も過ちを繰り返して、何度も壁にぶち当たっては無様に泣き叫ぶ。それでも人間はその愚直さで、いつでも夢を見るんだ。たとえ何度傷ついても、見苦しく足掻きながら、日向ひなたを目指して、這いつくばってでも前に進むんだよ。」



 それは、長い時を見つめ続けてきた自分が辿り着いた、人間という生き物の真髄だ。

 だから自分は、自信を持ってこう言える。



「君の目には滑稽こっけいに見えたとしても、僕はそんな人間の姿を美しく思う。リュードは、そんな人間を愛してくれた。そしてキリハは、そんな僕たちの想いに、心から応えようとしてくれる子だ。だから―――」



 フールは一層の想いを込めて、力強く告げた。



「だから、僕は何度でも立ち上がってみせるよ。この世界に、キリハのように過去を許して、明るい未来を掴もうとする子がいる限り。そして、ほむらとリュードが人間を見捨てないでいてくれる限り。断言する。人間は、君に屈しないさ。」



 今を生きる人々に対して、うれいはある。

 ドラゴン大戦の尻拭いをさせているという罪悪感もある。



 だが、自分は決して絶望はしていない。

 むしろ、どこに絶望する理由があるだろうか。



 《焔乱舞》を自ら受け入れ、人間のためにもドラゴンのためにも、がむしゃらに頑張ってくれるキリハがいるのに。



 怯えることなく、壊れたドラゴンに立ち向かってくれるディアラントたちがいるのに。



 理不尽な理由で神官という立場に押し込められながらも、気高い志でこの国を変えていこうとするターニャもいるというのに。



 そして何より、リュドルフリアの意志を受け継いだ《焔乱舞》が、人間を受け入れてくれている。



 《焔乱舞》が再び主人を定めたこの時に、状況は驚くほど自分に味方してくれているではないか。

 誰が屈してなどやるものか。



「―――そうか。」



 長い沈黙の末に、レクトは小さくそう呟いた。



「やはり、気高く孤高だった神竜リュドルフリアは、もうこの世に存在しないのだな……」



 自分に言い聞かせるように囁いた彼の目に、もうこちらを受け入れるような色はなかった。



「いいだろう。ならば私は、再びこの国に地獄をもたらすまでだ。今度こそ、お前たちのせいで誰もが苦しむのだと思い知るがいい。」



「じゃあ僕は、僕の周りにいるみんなと共に証明してみせよう。この世には、どんな悪意にも負けない絆と強さがあるんだってことを。あの時の二の舞になんてさせない。今度こそちゃんと、決着をつけよう。」



「…………ふん。」



 レクトは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、きびすを返してその場を立ち去った。



「……いいんですか? 捕まえなくて。」



 彼の姿が見えなくなってしばらく。

 それまでずっと空気のように存在感をひそめていたジョーが、控えめに口を開いた。



「いいんだ。どうせあの子を捕まえたところで、おそらくレクトには他の捨て駒がいる。」



「そうですか。では次に、差し出がましい上に、僕が問うのは変かもしれない質問を一つ。先ほどまでのお話では、ガラになく動揺が過ぎていたようですが……―――あなたに、これ以上汚れ役なんてできるんですか?」



 これはこれは、随分と痛いところを直球についてくる。

 しかも、嫌味かと思えるくらいにふてぶてしい言い方をしてくれるものだ。



 だが正直なところ、この質問はありがたい。



「大丈夫だよ。かなり見苦しいところを見せたけど、今日彼と話ができてよかったと思ってる。ある意味、すっきりしたよ。」



 こうやって、自分に言い聞かせることができるから。



 胸のどこかでは、とっくの昔に悟っていたように思う。



 自分たちの望みと、彼の望み。

 それは決して、両立などしえないと。



 それでも彼に一縷いちるの望みを託していたのは、彼を救える可能性がないのかと模索する自分がいたから。



 でももう、その現実逃避もやめなければなるまい。



 よくも悪くも、レクトのことを一番理解しているのは自分とリュドルフリアだ。

 そんな自分たちが揃って下した決断が正しいのだ。



 たとえそれが、今は亡き彼女の想いを拒絶することになったとしても。





「もう、迷わないよ。」





 その一言は、雨の中にひっそりと溶けていった。


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