悪夢の先触れ

 すっかり遅くなってしまった。

 自室に戻り、キリハは大きく溜め息をつく。



 今日は、長い一日だった。



 せっかくシアノとの向き合い方を自分なりに見つけたと思ったら、それを実行する間もなく、別れてしまうことになるなんて。



「………」



 キリハはしゅんと、眉を下げる。



 やっぱり、立ち直るには少し時間がかかりそうだ。



 ルカも、それを見抜いていたのだろう。

 部屋に戻るまでの間に、変なことはするなと何度釘を刺されたことか。



「………」



 大丈夫。

 そう、自分に言い聞かせる。



 自分にはできることもできないこともあって、出会った人の全てを、自分の手で救えるわけじゃない。

 きっと、こんな風に悔しい思いをすることは、これから何度もあるだろう。



 今回のことを乗り越えなければ、自分も皆もつらいだけだ。

 だから、少しでも前を向ける道を探さなくては。



 そのためにも、今日はもう眠ってしまった方がいいだろう。



 少なくともシアノには、笑って自分の居場所だと言える場所がある。

 せめてそこでの幸せを祈るくらい、許されてもいいはずだ。



 逆に言えば、自分にはもう、そんなことくらいしかできないのだから……



「よし。」



 キリハは腹に力を入れ、もたれかかっていたドアが背を離した。

 するとその拍子に、足がずるりと滑ったような感覚がした。



「……ん?」



 何かと思って床を見下ろすと、手のひらほどの紙片がそこに落ちていた。



「なんだろ?」



 暗くてよく見えないので、電気のスイッチを入れてからそれを取り上げる。



 柔らかなオレンジ色の光の下で目をらすと、それは街を歩く自分を写した写真だった。



 別に、今さら驚くほどのことでもない。



 《焔乱舞》の使い手として、夏の大会の覇者として、そしてレティシアたちのパートナーとして。

 自分は今、至るところから注目を集めている。



 隠し撮りをされることなんて日常茶飯事だし、一部ではその写真が高く取引されているのだとか。



 しかし、こんなものが何故こんなところに?



 特に意味もなく、写真を裏返す。

 すると、裏側の白い面に短い文が書いてあることに気付いた。





 ―――ひとまずは、ご挨拶まで。





 流麗な細い筆跡で、その一言だけ。



「………?」



 キリハは首をひねる。



 当然ながら、この時は知るよしもなかったのだ。



 立ち直る隙など与えないと言わんばかりに、次なる悪夢が忍び寄っていることに。

 そしてその悪夢が、これまでの人生観の全てを破壊する嵐となることに。





 今はまだ―――……




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