初めて見る笑顔

「よかった…。本当によかった……」



 シアノの前に膝をつき、キリハは必死にその小さな体を抱き締めた。



 こちらの体ごとシアノを抱き締めるエリクの腕から、微かな震えが伝わってくる。

 震えているのは自分も同じで、彼も自分と同じくらい、シアノの身を案じていたのだと知る。



 シアノを捜し始めてから、かれこれ二時間。

 さすがに警察に届け出ようかと思うくらいに、心配で追い込まれていた頃だった。



 そんな時にちゃんと自分の足で立っているシアノを見つけられたのだから、震えてしまうくらいに安心するというものだ。



「大丈夫? 痛いところない?」



 シアノの首から手を離し、体のあちこちをあらためる。

 多少のかすり傷はあるものの、今すぐ病院に駆け込まなければならないほどの重傷はなさそうだ。



「……大丈夫。」



 シアノも小さく、そう答えてくれた。

 それでどっと気力が抜けて、キリハとエリクは大袈裟に思えるくらいの仕草で息を吐いた。



「もう…。心配したんだからね。」



 キリハは優しくシアノの頭をなでて、次にその両手を自分のそれで包む。



「あのね。こういう時は自分でなんとかしようとしないで、素直に助けてって言って頼っていいの。少なくとも、俺たちはシアノの味方だよ。シアノに助けてって言われたら、喜んで助けに行く。お願い。信じて。」



 切に訴える。



 自分たちはシアノの味方だと。

 少しでもこの想いが伝わればいい。

 そう願った。



「………」



 シアノの唇が微かに動く。



 告げられたのは―――





「―――頼って、なんの意味があるの?」





 胸を冷たく突き刺すような、そんな一言だった。



「助けてって言えば誰かが助けてくれるなんて、そんな優しい世界はどこにもないよ。自分の身は、自分で守らないといけないんだ。弱い生き物は、いらないんだよ。」



「シアノ…。人間の世界は、そんなに冷たくなんか―――」



「いいの。」



 たった一言。

 そこに込められたすさまじい拒絶に、キリハは思わず口をつぐんでしまう。



「もういいの。」



 シアノはゆるゆると首を振る。





「やっぱり、人間は嫌い。」





 あまりにもまっすぐな目で、あまりにも純粋に、シアノはそう断言した。



「ぼくは、人間に期待しない。人間を信じない。」



 重ねて突きつけられる、拒絶の言葉。



「―――……」



 もはやかける言葉を失ったキリハの両手が、シアノの手から落ちる。



 シアノはそれをうつろな目で見つめていたが、しばらくすると静かに目を閉じ、自らエリクの腕をほどいた。



「もう、行かなきゃ。」



 まるで独り言のように小さく呟き、シアノはゆっくりとキリハたちから離れた。



「……帰るのかい?」



 シアノを引き留めるのは不可能だと悟ったのだろう。



 声をかけたエリクも、彼の後ろからシアノの様子をうかがうルカも、シアノに対して無理に言葉を連ねることはしなかった。



「うん。ぼくの居場所は、ここじゃないから。」



 それはどちらかというと、キリハたちにというよりは、自分自身に向けているような呟きだった。



 シアノはくるりと振り向いてキリハたちと向き直り、一人一人の顔を見つめる。

 そうすることで何を確かめたのか、彼はまたゆっくりと目を閉じて一つ頷いた。



 そして、再び目を開くと……



「やっぱり……僕が安心できるのは、父さんのところだけみたい。」





 そう言って―――初めて、穏やかな笑顔を見せた。





「今までありがとう。色んなものが見れて、ちょっと面白かった。人間は嫌いだけど……キリハとエリクとルカのことは好きだよ。バイバイ。」



 最後に手を振ったシアノはキリハたちに背を向けると、今度こそ振り返らずに地を蹴った。

 雨の中に小さく消えていくその後ろ姿を、キリハたちはただ見送ることしかできなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る