嫌いでいさせて―――……

(キリハたちと、おんなじ……)



 その共通点が、シアノの警戒心をほんの少しだけやわらげた。



「あの……なんか、ただならぬ様子で走っていくのが見えたから、思わず追いかけて捜しちゃったんだけど……」



 黙ったままのシアノに、彼はおろおろと戸惑っている。



「人違いだったらごめんね。もしかして君って、エリク先生が預かってるって言ってた子じゃないかなって思って……」



「!!」



 シアノはピクリと肩を震わせた。



「………………エリク、知ってるの?」



 エリクの名前を自ら口にしたシアノに対し、少年はほっと肩をなで下ろした。



「まあね。僕は体が弱いから、よくエリク先生にてもらってるんだ。昨日、エリク先生が話してたよ。真っ白な可愛い子を預かってるって。」



 彼は優しげに目をなごませると、物腰柔らかな動作でしゃがんだ。

 そして、シアノと目線を合わせたまま、ゆっくりと手を伸ばしてくる。



 人間なんて危険で厄介な生き物には、利用する時でもない限り触れない方がいいと教わった。

 でも目の前の人間からは、敵意も何も感じない。



 とっさに彼の手を振り払えなかったシアノは、目をぎゅっと閉じて未知の恐怖を押し殺した。





 彼の両手は自分の首を通り過ぎて―――頭に、柔らかい何かが被せられる。





 何があったのだろう。

 目をパチパチとしばたたかせるシアノに、彼は優しく微笑みかけた。



「フード、脱げちゃってるよ。お互い苦労するよね、ほんと。」



 最後にフード越しに頭をなでて、彼はシアノから手を離した。



 何もされなかった。

 驚くと同時に、目の前にいる彼がキリハたちと同じような人間なんだと知る。



 だからこそ、どうしようもなく胸が痛かった。



 嫌だ。

 優しくされたくない。



 自分は、父の〝いい子〟でありたいのだ。

 なのにこのままでは、自分の何かが壊れてしまう。

 そんな恐怖が、全身を震わせた。



「ど、どうしたの? 何か、怖い目に遭った?」



 突然震え始めたシアノに驚き、彼は狼狽ろうばいしてその肩に手を置く。

 その手つきは、壊れ物でも扱うかのようだ。



「………っ」



 シアノは勢いよく頭を横に振った。



 心配されているのだと分かる。

 分かることがつらい。

 つらいから、これ以上心配されたくない。



 だが、心配されまいと必死に強がったシアノの態度は、彼の心配を余計に増長させることにしかならなかった。



「訊いちゃいけないことだったかな…。ごめんね? 話したくなかったら、話さなくてもいいから。とりあえず、エリク先生のところに行こう。僕が送ってってあげるから。」



「―――っ!!」



 シアノはさらに大きく首を振る。



「……やだ。」

「やだって……何かあったの? もしかして、なんか怒られることでもしちゃった? それで怖くて、エリク先生に会えないとか?」



「違う……違う…っ」

「ええっと……じゃあ……」



「なんでもないの! ぼくのことはほっといて!!」



 彼の胸を押し、シアノはまた一歩路地裏の奥へと下がる。



 ああ……

 後ろが袋小路じゃなければ、すぐにでも彼に背を向けて逃げ出せたのに。



 遠くから、ふと聞こえてくる雷の音。

 それがまるで、今の自分の心模様を表しているようだった。





「…………ごめんね。それはできないかな。」





 そんな心に響いた声は、残酷なほどに優しかった。



「そんなに泣きそうな顔をしてる君のこと、僕は放っておけないよ。」



 言われて気付く。

 彼の黒い片目に映る自分が、泣き出しそうな顔をしていることに。



「あのね。人は、一人じゃ生きていけないんだよ。」



 彼は穏やかに語る。



「僕は体が弱い分、たくさんの人に助けてもらいながら生きてきた。だからよく分かるよ。どんなに他人が嫌いでも、どんなに他人が怖くても、僕たちは他人と関わらずには生きていけないんだ。僕は自分が助けられた分、誰かを助けたいと思う。だからね、僕は君を放っておかない。だって君、誰かに助けてもらいたそうだもん。」



 微笑み、彼はそっとシアノの手を握る。



 それは、ちょっとでも力を入れれば、簡単に振り払えるほどのささやさな力。

 なのに、体が一ミリも動かなかった。



 目頭が熱くなる。

 下手に話そうとしたらだめだ。



 なんで自分にこんなに優しくしてくれるの、と。

 人間は醜い生き物なんじゃないの、と。



 口を開けば、必死に押し込めているこの疑問を彼にぶつけてしまう。



「とりあえず、ここを離れよう? 雨が降ってきそうだし、この辺はあまり土地柄がよくないから。ひとまず、僕の家にでもおいで。エリク先生には、僕からメールしとくから。」



 緩やかに腕を引かれ、体が勝手に一歩を踏み出す。



 逆らいたいのに、逆らえない。

 人間に気を許している自分が怖い。



(父さんは正しいんだ。……父さんは、人間が嫌いで。ぼくも、人間が嫌いで。人間なんて―――)



 嫌い。

 嫌いだ、と。



 何度も何度も、頭の中で反芻はんすうする。



 嫌い。

 嫌い。





 嫌いでいさせて―――……




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る