同情が正しいとは限らない

 無理に打たれた点滴のおかげで、熱は一日で平熱まで下がった。



 しかし、念のためにもう一日は安静にするように言われ、その一日を乗り切った今日には、ドラゴン出現ときた。



 おかげであの日以来、シアノには会えないまま。

 くすぶった気持ちは、もやもやと不快感を煽るばかり。



 今は仕事中だ。

 ちゃんと、切り替えなければ。



 そうは思うのだが、耳につけたイヤホンから流れてくる喧騒がいやに遠く感じる。

 どうしても、心の一部はシアノの方へと向いてしまうのだ。



「……ったく。見てらんねぇな。」



 ふとそう声をかけられて隣を見れば、顔をしかめたルカが溜め息をついていた。



 いつもなら一人で別場所待機をするのだが、今日はルカが一緒についてきてくれている。



 あのルカが、文句の一つも言わずについてきてくれるのだ。

 これは、よほど周囲に心配をかけたと見える。



「ごめんね。合図がきたら、ちゃんと切り替えるから。」



「分かってるよ。この程度で落ちぶれるような剣の腕じゃねえってことくらい。オレが見てらんねぇって言ってんのは、そういう意味じゃない。」



 ルカは静かに、首を横に振る。



「前々から思ってたけど、お前は他人に感情移入しすぎなとこがあるよな。自分は自分、他人は他人でいいじゃねぇか。」



 簡単にそう言うけど……



 口をつぐんだキリハに、ルカはまた溜め息を吐き出す。



「言っとくけど、オレは別に、他人に冷たくなれって言ってるわけじゃないからな。お前の場合、他人への同情がいきすぎてるから、少しは気楽に考えろってことだから。」



 ルカはそこで一度、イヤホンの向こうに意識を向けた。



 戦況はまだまだ穏やか。

 呼び出しの合図がかかるまでには、まだ余裕がありそうだ。



 そう判断したルカは、また口を開く。



「お前の理想が高いのは知ってるよ。だけどな、出会う奴にいちいち同情なんてしてたら、さすがのお前も疲れるだろうが。自分と他人を分けて考えることは、自分の心を守るためにも必要なことなんだよ。」



「………」

「納得できねぇって顔だな。じゃあ、言い方を変えてやる。」



 難しげに眉を寄せて地面を見つめるキリハに対し、ルカは特に悩まずに次の言葉を投げかけた。



「同情することが、必ずしも他人のためになるわけじゃない。特に、シアノの場合はそうなんじゃねぇかと、オレは思うぞ。」



「……え?」



 それを聞いたキリハは、顔を跳ね上げる。



 それは、一体どういうことなのだろう。

 キリハの表情からそんな疑問を感じ取ったらしく、ルカはよどみなく語る。



「お前は、あいつのことを可哀想だと思ったんだろう。だけど、あいつは自分のことを可哀想だなんて思ってないんだ。他人に嫌な目を向けられることも、親に愛されなかったことも、あいつにとっては普通のことなんだ。」



「そんなの…っ」



「とりあえず、話は最後まで聞け。大事なのはここからだ。」



 口を挟みかけたキリハを一蹴し、ルカは淡々と続けた。



「世間一般の普通とは違っても、それがあいつにとっての普通なんだ。どんなに理不尽な境遇にいたとしても、それが普通で日常なら、多少不愉快でもつらくはないもんだ。だからあいつは、割とケロッとしてただろ。」



「あ…」



「そんなあいつに、オレらが下手に同情したせいで、〝自分が可哀想なんだ〟って自覚させちまったらどうする? なんとも思ってなかった普通をつらいと思わせたら、その時になって泣きを見るのはオレらじゃないんだぞ。せっかく、今の普通をすんなりと受け入れられてるんだ。わざわざ、それを否定させなくてもいいだろう。」



「そっ…か……」



 目を見開いて、茫然と呟くキリハ。

 ルカの指摘で、今まで見えていなかったものがあらわになる。



 確かに、シアノは言っていた。

 嫌われているのは知っていたから、捨てられたと知っても悲しくはなかったと。



 自分が普通じゃないことは知っている、と。



 なんとも思っていないような口調でシアノがそう告げたのは、別につらいことを我慢しているからじゃない。



 単純に、それが普通と比べたら悲しくてつらいことだと知らないからなのだ。



 三日前は色んなことを知らないシアノに対して胸が痛くなったが、知らないことはシアノの心を守ることに一役買っていたわけだ。



 でも、だったら……



「俺、どうすればいいんだろう。」



 途端に、心は不安で覆い尽くされる。



「ああ?」



 怪訝けげんそうな声をあげるルカに、キリハは青い顔で続ける。



「だって俺、本当にどうすればいいか分からないんだもん。同情してシアノの代わりに泣いたり怒ったりしても、あまり意味がないことは分かったけど…。だからといって、シアノのために何をすればいいのかは、分からないまんまで……」



 この三日、切ないくらいに悩んだ。



 自分は、シアノのために何をしてやれる?

 シアノは何を求めているのだろう。

 どうすれば、シアノのこれからを変えていけるのだろう。



 考えても考えても分からなくて、時間はただ過ぎていくばかりで。

 こうしている間にも、現在進行形でエリクに迷惑をかけていると思うと、気が焦って思考が空回りして。



「……なあ。一つ、訊いていいか?」



 眉を下げるキリハに、ルカが問う。



「お前さ、熱でぶっ倒れた日から、やたらとシアノに会いに行きたがってたよな? 会って、何がしたかったんだ? 何をすりゃいいか、分からないんだろ?」



「それは……その……」



 単刀直入に訊ねられ、キリハは思いきり狼狽うろたえた。

 当然ながら、即答できるほどの答えなど持っていなかったからだ。



「よく、分からない……」



 十数秒考えても答えを引き出せず、キリハはしょんぼりと肩を落とした。



「でも、ただ傍にいてあげたい……って、そう思ったんだ。シアノは変じゃないって。シアノが悪いんじゃないって。それに、俺は絶対に味方だって。それだけは、どうしても伝えたくて……」



 何がシアノのためなのかは分からない。

 でも、シアノが自分自身のことを変だと思っているのだとしたら、それだけは違うと伝えたかった。



 言葉じゃ伝えきれなくても、傍にいることで何かしら伝わればいい。

 自分はシアノのことを受け入れているんだと、少しでもこの気持ちが伝わればいい。



 そう思ったのだ。



「なら、それが答えでいいんじゃねぇか。」



 じっとこちらの言葉に耳を傾けていたルカが告げたのは、そんな一言だった。


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