第4章 分かり合えない
幼い葛藤
夜中とはいえ、この周辺から音が消えることはない。
上や隣からは微かな生活音。
遠くでは車が走る音。
本当にここは、うるさい世界だ。
「………」
シアノはゆっくりを目を開くと、息を殺して身を起こした。
柔らかいベッドの上から下を見ると、床に敷いたマットレスで眠っているエリクの姿が見える。
エリクを見つめ、シアノはふと目を伏せる。
本当は、キリハが泣いたあの日にここを出るつもりだった。
なんとなく、ここにいちゃいけない気がしたから。
だけど、エリクがそれを止めたのだ。
せめて、キリハにもう一度会うまではここにいてほしいと。
そう語ったエリクの悲しげな顔が、今も脳裏にこびりついている。
なんで?
どうして?
キリハやエリクと会ってから、分からないことだらけだ。
どうしてキリハもエリクも、自分を見て泣きそうな顔をするのだろう。
泣きたくなる時は、どこかが痛い時だ。
じゃあ、キリハたちもどこかが痛かったのだろうか。
でも、キリハたちはどこにも怪我なんかしていなかったのに。
……分からない。
分からないことが多すぎて、ここにいるのが怖くて、だからここから出ていこうとした。
でもエリクに止められて、嫌だと言うことができなかった。
分かったと答えたら、エリクは笑って頭をなでてくれた。
だから、これでいいんだと思った。
大丈夫。
自分は、ここにいなきゃいけないんだ。
―――だって、父さんがここにいろと言ったんだから。
シアノは静かにベッドから足を下ろし、エリクの枕元に膝をついた。
今日のエリクは、疲れているからよく眠っている。
仕事が大変だったらしく、帰ってきた時間もかなり遅かった。
それなのに、明日も朝早くから仕事に行かなければならないそうだ。
こんなに近くに寄っているのに、エリクは目覚めない。
やるなら今だ。
だけど……
シアノは胸の上に手を伸ばし、ぎゅっと服を掴んだ。
なんだろう。
なんだか、胸が苦しい。
どうしてか、今からやろうとしていることを、やっちゃいけないような気がするのだ。
そんなわけないのに……
「………っ」
シアノはきつく目を閉じる。
大丈夫。
だってこれは、今までに何度もやってきたことじゃないか。
今までなんとも思わなかったのに、なんで今は、こんなにも胸がざわざわするのだろう。
「大丈夫。大丈夫…。父さんは正しい。父さんは正しいんだ。」
自分を襲う不安の正体も分からないまま、シアノは念仏のように何度もそう唱えた。
大丈夫。
自分は、父の言うことに反していない。
エリクを選んだのは父だ。
父の言うことに、間違いなどない。
全ては、父と自分の望みを叶えるために必要なこと。
やらなきゃいけないことなのだ。
こんな気持ち悪いのなんか、すぐにどこかへ飛んでいく。
こんな気持ち、別の痛みで忘れてしまえ。
よく分からない衝動に突き動かされ、シアノは自分の腕に、鋭く伸びた爪をあてがった。
「―――っ」
その勢いのままに爪を引き下ろせば、腕に未だ慣れることができない痛みが走る。
それが脳裏までを白く焼いて、ざわついた心が少し落ち着いた。
「……大丈夫。」
深呼吸をしたシアノは腕を見つめた。
傷口から、あっという間に血があふれる。
それが床に滴る前に傷に口をつけ、口の中に十分な血を含む。
口腔に広がる鉄の味。
それが、胸のざわめきをさらに落ち着かせてくれる。
これが自分の仕事。
父の役に立つために、自分ができるたった一つのこと。
だから―――
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