影に揺れる瑠璃色
「やっぱ、若い子はからかいがいがあるなぁ。愉快愉快。あっはっは……―――はぁ……」
空笑いのむなしさったらない。
フールは思わず、その場でふと止まる。
(危なかったな……)
胸中に、苦い気持ちが広がる。
(今まで意識しないようにしてたけど、顔だけなら割と似てるんだよなぁ……)
サーシャが洞察力の鋭いタイプじゃなくて助かった。
おかげで、キリハの話題を使って気を逸らすことができた。
すっかり油断していた。
あれが、時の
一瞬、サーシャの姿が全然違う人物の姿に見えてしまった。
あまりにもタイミングが悪い。
あんなことを思い出していなければ、あんな幻覚など見なかったはずなのに。
「もし、お願いを聞いてくれるなら……か。懐かしいな……」
もう思い出すことはしないと決めていたはずの声。
それが今、こんなにも胸に
「そんなお願い、さすがに聞けないよ。―――シアノ……」
だから思い出したくなかったのだ。
あのお願いを叶えることはできない。
―――いや、叶えない。
あの事件の後、眠りにつく前のリュドルフリアとそう決めた。
だから、忘れようとした。
心苦しかったけど、そうすることしかできなかった。
そうしないと、自分は自分に許せなかった。
ああやって、彼女と同じように心優しい誰かを泣かせることを。
だから……
「シアノ・ルクレイア。」
冷静な声が響いたのは、その時のことだった。
「ルクレイア家は、約二百五十年前に存在していたアエリアル家の分家。つまりは、もう一つのユアンの直系ですね。シアノ・ルクレイアは、その最後の血族の名前。記録上では、ドラゴン大戦最後の戦死者だとか。」
声の方に頭を巡らせると、廊下の陰に潜んでいたらしいジョーと目が合った。
「彼女の死をきっかけに、ドラゴン大戦は終息に向かったようですね。その時系列から察するに、彼女が生きている間に残した功績とその死は、歴史に刻まれてもおかしくないほどのものであったと思われますが……彼女に関する記録は、名前以上のものは残っていませんでした。あなたなら、何か知っているのではありませんか? フール様?」
暗い影に隠れた上半身の中で、その瑠璃色の瞳だけが
「……なんのことかな。」
「ふふ。ついさっき、大事そうに名前を呼んだばかりではないですか。」
しまった。
やはり聞かれていたか。
返答に窮するフール。
廊下の陰から姿を現してそんなフールの前に立ったジョーは、後ろで腕を組んで柔らかく微笑むだけ。
しかし、その瞳に宿った光と身にまとう雰囲気は、触れれば切れてしまいそうなほどに鋭い。
捕らえた獲物は逃がさない。
言外に、そう告げられているようだった。
「サーシャちゃんをそれとなく誘導してみて、正解でしたね。今日のうちにキリハ君に接触させれば、上手い感じに尻尾を出してくれると思ってましたよ?」
「………」
したり顔でそう言われ、フールは黙るしかない。
どうやら、完璧にはめられたらしい。
それを察するフールに構わず、ジョーは話を続けた。
「いい事を教えて差し上げましょう。」
ジョーは一歩、前へと進み出る。
「キリハ君たちに接触している、シアノという子なんですけどね。……フルネームが、完全に一緒なんですよ。念のため、ルカ君にもう一度確認してみましたけど、その子は確かに、自分のことをシアノ・ルクレイアと名乗ったそうです。」
「―――っ!?」
その言葉を聞いた瞬間、世界中の音がざっと遠のいたような気がした。
彼女と同姓同名の子供?
そんなこと、ありえるわけがない。
金縛りにあったかのように動けなくなるフールに、ジョーがまた一歩近づく。
「さて、そんな家なんてあったかなと疑問に思ったんで、ちょっと手間はかかりますけど、セレニア中の全戸籍を調べてもらいました。やはり竜使いが
また一歩。
ジョーとフールの距離が縮まる。
「その子の父親だというレクトという男性は、彼の本当の親ではないそうです。」
「なっ…!?」
これには、声をあげずにはいられなかった。
ジョーの言葉は、なおも止まらない。
「ここからは僕の推測ですが、おそらくその子には別の名前があった。もしくは、名前が与えられていなかったのではないでしょうか。そしてなんの因果か、レクトという男性は捨てられた彼を拾い、彼にシアノ・ルクレイアという名前を与えた。さすがに、その名前にどんな意味を込めたのかは、僕では察しきれない部分ですけど…。でも、分かる相手には分かる。そんな名前であることは、あなたを見ていれば分かりますよ?」
意味ありげにフールを見つめ、ジョーは最後の一歩を踏み出す。
そしてそっと、フールの
「ああ、誤解なさらないでくださいね? 僕は別に、あなたを脅したいわけじゃないんですよ。ただ、今を生きる人間として、過去の操り人形にはなりたくないだけです。」
フールの顎のラインに沿って指を滑らせ、ジョーは間近から彼と対峙する。
「前々から、あなたのことはいつか捕まえたいと思ってたんですよね。あなたも、僕のことは敵に回したくはないはずです。お互い、賢くいきましょう?」
夕焼けを受けて、海のようにゆらめく瑠璃色。
その瑠璃色は、まるで津波のようにこちらを飲み込まんとする。
「……弱ったね。君には、一生捕まる気なんてなかったのに。」
しばらくの沈黙の末にフールの口から零れたのは、いつものおどけた少年風の声ではなかった。
フールの口調が変わったことに、ジョーが満足そうにほくそ笑む。
「ええ。この四年、苦労しましたよ? フール様ったら、全然尻尾を掴ませてくれないものですから。まあ、あなたを捕まえるに足る手札を揃えられたのは、幸運としか言いようがないですけどね。キリハ君の味方についていて、損はないようです。」
「複雑なもんだね。キリハは僕にとって手放せない逸材なんだけど、そのせいで君に足元をすくわれることになるなんて。君とはあんまり関わり合いにならないように、細心の注意を払ってきたんだけどな。」
「まあまあ、そんなにふてくされないでくださいよ。僕から四年も逃げ続けたあなたには、これでも敬意を払っているつもりなんです。そうじゃなきゃ、僕から先に情報を零したりなんかしません。あなたとは対等に渡り合いたい。さっきあえてシアノ君についての情報を渡したのには、そういうメッセージを込めたつもりですよ。」
一言一言を重ねるにつれて、ジョーの声に含まれた、他人を絡め取るような甘さが強くなっていく。
「損はさせないと断言できますよ。誰にも何も明かさないままで宮殿の全員を操るなんて、いくらフール様といえど、骨が折れるでしょう。いっそ僕を仲間に入れておけば、今後厄介な敵が増えなくて、ある意味安心なんじゃないですか? 自分で言うのもあれですけど、いい手駒だと思うんですけどね、僕。ランドルフ上官と頻繁に連絡を取り合うのはリスクが高いし、ディアとは最初から、そこまで反りが合ってないんでしょう? キリハ君が
「元々、あの二人は僕の目的のために用意した駒じゃないからね。別に、僕との相性なんて関係ないさ。」
「なら余計に、僕がいた方が都合がいいんじゃないですか? 僕は必要とあらば、ディアやキリハ君だって利用してみせますよ?」
よくもまあぬけぬけと。
フールは胸の内側で、苦い気持ちを押し殺す。
本当に、余計な人物に引っかかってしまった。
ちょっとでも隙を見せればこうなると分かっていたから、ジョーとは徹底的に距離を置くよう意識していたというのに。
(まあ、もう今さらか……)
運が悪かったと、そう言い訳をすることは容易い。
だがそれで、この状況がなかったことになるわけじゃないのだ。
ならば、切り替えは早いに限る。
そして考えを切り替えるなら、ジョーの提案を飲むことが一番の得策であろう。
ここで彼を突っぱねたとしても、彼は独自に調査を進めて、こちらの正体と目的に辿り着こうとするだろう。
真相に至る情報は念入りに消したとはいえ、頭の回転が速いジョーだ。
断片的な情報から推測を組み合わせて、真実を暴かれないとも限らない。
そして彼の性格上、一度交渉に失敗した相手を顧みることは絶対にすまい。
仮に真相を掴まれたとして、その時になって慌てて彼を味方にしようとしても、もう遅いのだ。
それならば彼の言うとおり、向こうから対等な立場を提示してきている今のうちに彼をこちら側に引き込んでおけば、リスクは最小限に抑えられる。
まったくもって、不本意ではあるが。
「―――分かった。交渉に応じよう。」
フールは思い切り息を吐き出し、次に両腕を組んで胸を反らした。
「ただし、僕も僕で、ここまで一人で踏ん張ってきた意地があるんだよね。悪いけど、君の思うように全部を吐いてあげるつもりはないよ。君が提示する情報の価値によって君に渡す情報の内容を決めるし、僕にそれなりの情報をしゃべらせるなら、それ相応の働きをしてもらう。場合によっては、君に今後の人生や命でさえ賭けてもらうかもしれないけど?」
「ふふふ。今さら愚問ですよ。」
ジョーは間髪入れずに、そう返してきた。
「僕、今の時点で常に棺桶に片足を突っ込んでるようなもんなんで。命を賭けるなんて、可愛い対価ですよ。むしろ、そのくらいのスケールじゃないとやりがいもないし、つまらないんですよね。」
ジョーの瞳に、深い闇を抱えた暗い色がほんの一瞬だけよぎる。
本当に、色んなことに対して
知らない方が幸せな情報を大量に持っておきながら、それでも殺されることなく、情報の頂点で笑っていられるだけのことはある。
まあ、そんな彼だからこその使い道があるというもの。
「君って子は……まあ、仕方ないね。ここは潔く、負けを認めようじゃないの。」
やれやれと肩を落とし、フールは再度ジョーを真正面から見据える。
「じゃあ、第一の交渉といこうか。さっき教えてくれたことの対価として、君は僕にどんな条件を提示するつもりかな?」
フールの口からそれを聞いた瞬間、ジョーがにっこりと笑みを深めた。
「そうこなくっちゃ♪」
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