暴れ出す記憶

 キリハが一向に物を口にしてくれない、と。

 涙目になったサーシャに助けを乞われたのは、何時頃のことだったか。



 自室で休んでいたキリハを強制的に医務室へと連行して、医者に点滴を打たせてからしばらく。

 目の前には、ようやく呼吸が楽そうになったキリハがすやすやと眠っている。



 きっと、点滴にこっそりと入れさせた睡眠薬が効いているのだろう。

 目覚める様子がないキリハを見つめ、フールは肩を落とす。



 医務室に行こうと言った時、キリハはなかなかそれを受け入れてくれなかった。

 それまで傍で看病してくれていたサーシャに対しても、風邪を移したら大変だからと言って、やたらと自分から彼女を遠ざけたがっていたらしい。



 おそらく、一人になれるタイミングを見計らって、脱走を試みるつもりだったのだろう。

 とはいえそこは、キリハのことをよく知るディアラントが手を回してあったので、仮に一人になれたとしても、脱走は無理だったと思うけど。



 キリハが倒れた理由には、昨日話に聞いたシアノという少年が関係しているらしい。

 キリハが無理に動こうとしているのは、シアノに会いに行きたいからなのだろう。



 嫌がるキリハを無理やりベッドに押し込んだ後、ルカがサーシャやカレンにそう話しているのが漏れ聞こえてきた。



 その後、ルカに詳しく話を聞こうと思ったのだが、ふらりとキリハの部屋から出ていったルカは、そのまま宮殿からも出ていってしまったようだ。



 ターニャに確認したところ、兄にシアノの世話を頼まれてしまったから、今日は休むと連絡があったらしい。



「関わっちゃだめだって、言ったのに……」



 思わず、その一言が漏れた。



 ……いや、キリハたちは悪くない。



 どうせ、自分の考えすぎだって。

 思わずキリハたちに叫んでしまったあの時、他でもない自分がそう言って、発言を取り消したではないか。



 きっと気のせい。



 シアノという名前も。

 レクトという名前も。



 世界は広いのだから、その名前を持つ人間がいるのは当然。



 偶然だ。

 偶然に決まっている。





 ―――――本当に?





 思考を振り払おうとする度、頭は猜疑さいぎ心で埋め尽くされてしまう。



 本当に、これが偶然だと?



 シアノとレクトだなんて。



 自分の最大のトラウマに繋がるこの名前。

 そんな二つの名前を同時に聞くことなんて、本当に偶然で起こりえるのか?

 しかもその名を持つ人間が、都合よく自分に近しい人間に接触できるものなのか?



 キリハは確実に、シアノという少年に心を囚われている。

 レクトという名の父親を持つという、シアノという存在に。

 これが本当に、偶然の産物であるというのか。





 ―――ありえない。





 これが偶然なんて、絶対にありえない。

 だって、彼からの宣戦布告はもうされているんだぞ?



 これが彼の手引きではないと、この状況を見てどうやったらそう言い切れる。

 考えすぎで片付ける方がおかしいではないか。





『……ごめんなさい。』





「!!」



 脳裏に、柔らかい声が木霊こだまする。



『このままじゃ、私は大好きなあなたたちを傷つけてしまう。だから……お別れしよう。』



 フールは自分の肩を抱いた。

 自分には人間としての体などないのに、全身が寒くて仕方ない。



『大丈夫。あなたたちは悪くない。私が……ちょっと、夢を見すぎちゃっただけなの。だから、泣かないで。』



 ああ、やめてくれ。

 お願いだから、暴れ出さないでくれ。



 どれだけの時間をかけて、記憶の底に押し込めたと思っているんだ。

 今さら、もう―――



『でもね……もし、お願いを聞いてくれるなら―――』





「……フールちゃん?」

「―――っ!?」





 突然声をかけられ、フールは大きく体を震わせた。

 振り向いた先に見えたのは、さらさらと流れる淡い栗毛色。



「し、あ……」



 言葉は、尻すぼみに消えていく。



 ふと気付いた。

 栗毛色に見えたその髪は、窓から射し込む夕日を受けてきらめく亜麻色だった。



「あ、ああ……サーシャ、か……」



 動揺を抑えながら苦し紛れにそう言うと、サーシャは不思議そうに首を傾げた。



「ずっと黙り込んでたけど、何か考え事? ごめんね? 私が買い物に行ってる間、キリハのことを見ててもらっちゃって。」



「ううん、全然平気。サーシャこそお疲れ様。今日はずっと、キリハの看病をしてたんでしょ?」



 完全に自分から意識を逸らせるための言葉だったが、サーシャは特にこちらを不審がる素振りは見せなかった。



「あはは、いいの。私は、やりたくてやってるだけだもの。」

「なになにー? これこそ、愛の力ってやつー?」



 ちょっとした意地悪でそう問いかけてやると、サーシャは途端に顔を真っ赤にした。



「そ、それは…っ」



 言葉が続かなかったのか、サーシャは口をぱくぱくとさせ、しばらくすると自分の両手で頬を挟んだ。



「……そんなに、分かりやすいかな?」

「うん。なんでキリハが気付かないんだろうってレベルで。多分、みんな知ってるよ?」

「あうぅ……」



 自分でも、少しは分かっていたらしい。

 指摘を受けたサーシャは、顔を伏せて縮こまってしまった。



「むふふ。サーシャがやりたくてやってるなら、仕方ないねぇー。お邪魔虫は、退散しよーっと。」

「えっ!?」



 すいっと医務室のドアへと向かったフールに、サーシャが狼狽うろたえてそちらを振り仰ぐ。

 自分用に据えられた自動ドアのボタンを押しながら、フールは顔だけをサーシャの方へと向けた。



「今ならキリハも薬のおかげで起きないから、チャンスなんじゃない? あーんなことやこーんなことでも、やっちゃったらぁ?」



「~~~っ!?」



 サーシャの頬の朱色が、鮮やかな紅へと変わる。



「フールちゃん!!」

「はっはっは~♪」



 後ろにサーシャの叫び声を聞きながら、フールはそそくさと医務室を離れるのだった。


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