混乱する二人

 とにかく、今すぐにキリハを迎えに来い。



 エリクからそんな電話を受けたのが、三十分ほど前。



 何故自分が、そんな面倒なことをしなくてはいけないのだ。



 露骨に嫌がった自分に、エリクはいつになく険しい口調で「つまらない言い訳をする暇があるなら、早く来て。」と言って、一方的に電話を切ってしまった。



 どうして自分はいつも、あんなに能天気な兄に勝てないのだろう。



 馬鹿正直にエリクの家への道を歩きながら、普通に彼の言葉に従ってしまっている自分に気付いてそう思った。



 まあ、あれだけ温厚な兄があそこまで豹変するのだ。

 おそらく、あの兄が冷静さを保てなくなるような何かが、キリハの身に起こったのだろう。



 それなりに、覚悟はしていたつもりだった。

 だか、さすがにこれは予想外。



 勝手に鍵を開けてエリクの部屋に上がったルカは、そこにいたキリハの様子に絶句してしまった。



 かなり泣いたのか、真っ赤になった目元が痛々しい。

 潤んだ両目は焦点が合っておらず、意識が半分どこかに飛んでしまっていることがすぐに分かった。



 朝に会った時とは雲泥の差だ。



「おい……これ、どうなってんだよ…?」



 さすがに戸惑いを隠しきれず、キリハの隣に寄り添うエリクに訊ねる。

 すると、エリクはどこかつらそうな表情で唇を噛んだ。



「ごめん。僕の口からは、とても……」



 彼の視線が、一瞬だけキリハから外れる。

 その視線の先を追い、ルカは眉をひそめた。



 ベッドの上では、頭から毛布を被ったシアノがじっとこちらをうかがっている。

 シアノの様子から読み取れるのは、大きな戸惑いとほんの少しの怯え。



 どうしてこうなったのか分からない、と。

 そう言いたげな目をしていた。



「あいつのことで、何かあったんだな。」



 周りの状況から事情を把握したルカが訊ねると、エリクは声を出さないまま頷いてそれを肯定した。



「本当は、もう少し一緒にいさせてあげたいんだけどね…。今は二人とも混乱してるから、あえて距離を置かせた方がいいと思う。」



「……そうみたいだな。」



 エリクが何を思っているのかは、すぐに察することができた。



 一見して茫然としているように見えたキリハだが、妙にゆっくりと大きく上下する肩から、極度の興奮状態に陥っているようだと思われる。



 下手に刺激すれば、それがきっかけで感情を暴走させてしまう可能性は十分にあり得る。



 キリハの本気の怒りは、一歩間違えば《焔乱舞》に作用してしまうのだ。

 過去にその現場を目撃した身としては、それは絶対にけたい事態だった。



 一方のシアノは、この状況にひどく狼狽ろうばいしている様子。



 元々人間というよりは、野生動物に近い雰囲気をかもし出していたシアノだ。



 キリハが見せる人間くさい反応の数々を受け止めきれず、未知のものに対する恐怖から、ああやって毛布の中に閉じこもってしまっているのだろう。



 確かにこんな二人を同じ空間に置いておけば、互いに悪影響を与えかねない。



「悪いね。僕はシアノ君のフォローをするから、キリハ君のことを頼むね。」

「仕方ねぇな……」



 ここまで来て、断ることもできまい。

 それに、こんなキリハを一人で帰すわけにはいかないと判断したエリクの気持ちも理解できる。



 ルカは息をつき、その瞳を険しく細めた。


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