普通じゃないことは―――

 どうして。

 どうして…?



 頭の中は、それでいっぱいだった。



 ぼんやりと聞こえてくる声。

 それでなんとなく、ルカが来てくれたことは分かった。



 ルカに肩を支えられ、すっかり暗くなった外へと出る。



 湿気を含んだ冷たい空気がしんみりと体を包んで、外気を吸い込んだ喉と肺に、氷でも投げ込まれたような感覚がする。



 それなのに脳内はちっとも冷たくならなくて、外気の刺激を受けたせいで、むしろ熱を増していくよう。



 どうして自分は、こんなにもやるせない気持ちになっているのだろう。



 パンクした理性では、今の自分がどんな感情に飲み込まれているのかさえ、認識することができなかった。



 ただ、肩を押されるまま歩く。

 見慣れたはずの道が、今は全く知らない景色のように見えた。



「キリハ君!!」



 そんな風に自分を呼ぶ声が聞こえたのは、どれくらいの時間が過ぎた頃だっただろう。



 重たい頭を上げてみると、自分はいつの間にか宮殿本部の建物の中にいて、自分の帰りを待っていたらしいジョーが慌てて駆け寄ってくるところだった。



「よかった。もし戻ってこなかったらどうしようって、心配したよ。」



 ジョーが気遣わしげに肩に手を置くが、キリハはそれに何も応えない。



「おい。これ、何があったんだよ。」



 ルカがジョーに訊ねる。



「一通り調査が終わったから、その報告をしたの。ショックを受けるだろうことは分かってたから、本当はディアとかがいる所で話したかったんだけどね……」



「こいつがここまで荒れてるってことは、やっぱりとんでもねえ親だったのか。」

「いや。それだったら、まだマシだったよ。」



 顔をしかめるジョー。



「この国に、あの子の戸籍情報がなかった。察しのいい君なら、この意味が分かるでしょ?」

「なっ…!?」



 ルカは瞠目して言葉を失い、すぐに表情を冷静に戻す。



「……セレニア在住の外国人って可能性はないのか?」

「僕もそれを加味して調べてるけど、今のところ希望的な情報は返ってきてないね。」



「なるほどな。……本当に、人間ってやつは際限なく腐る生き物だな。」

「それには同意せざるを得ないね。こんな現実を見ると、何も言えないよ。」



「………」



 キリハはしゃがかかったような頭で、ジョーとルカの会話を聞く。



 自分の前後で交わされる会話。

 その要所要所の言葉が、ぽつり、ぽつりと胸に落ちていく。



 ―――戸籍情報がなかった。

 ―――希望的情報は……

 ―――人間ってやつは際限なく……





『そうだよ。』





「―――っ!!」



 幼さの残る、高めの声が脳裏に響く。



『あの人たちは、ぼくのことを捨てた。』



 ああ、だめだ。

 今シアノの言葉を思い返したら、もう耐えられない。



 ぼんやりとかすみがかかっていた世界が途端に色を取り戻して、その色彩の全てが一気に赤く染まる感覚がする。



 くすぶっていた感情が胸の奥から喉をせりあがってきて、自分ではどうにもできない何かへと成長していく。



「―――して…」



 気付けば、目の前にあるものに手を伸ばしていた。



「どうして……どうして!?」



 ジョーの二の腕を掴み、キリハはかすれるほどに切ない声で叫んだ。



「普通じゃないってことは、そんなに悪いことなの!? 捨てられなきゃいけないくらい、生きてることをなかったことにされるくらい……それだけのことをされなきゃいけないくらい、悪いことなの!?」



 潰れそうな心が大きくきしむ。



 シアノの何がいけなかったというのだ。



 髪と目の色が珍しかったから?

 たったそれだけ?



 そんな自分ではどうにもできないことで捨てられて、存在の全てを否定されなくてはいけなかったというのか。



 自分の子供だと認められなくて育てられないと悟ったなら、せめて別の誰かに愛されるような可能性を繋いで、それから手離せばよかったではないか。



 本当の親じゃなくたって、心の底から愛してくれる人はいるんだ。



 何も、生まれたことから否定しなくたって……



 レイミヤで温かな人たちに愛されてきた自分には、シアノの境遇を冷静に受け止めることができなかった。



 天地がひっくり返ってしまいそうで吐き気がする。



「キリハ君……」

「分かんないよ。普通って、なんなの…?」



 頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 目の前にある現実を受け入れるしかないのに、それを受け入れたくない心が暴れる。



 自分たち竜使いだって、親には愛されていた。

 共に理不尽に立ち向かう仲間もいた。



 それなのに、シアノにはそんな仲間も、親の愛情すらもないのだ。



 こんなにむごいことなんて……



「ううっ……なんで……どうして…っ」



 散々流したはずの涙が、またぽろぽろと零れてくる。

 自分が泣くようなことじゃないと分かっているのに、どうしても胸が痛くてたまらない。



「………」

「………」



 何も言えないジョーが優しく背中をなでてくれて、ルカがこちらの気持ちに共感するように不快感を噛み殺している。



 二人から当然のように向けられる優しさ。

 それらを強く感じるほどに、それを知らないシアノのことがつらく突き刺さる。



 悲鳴をあげる気持ちを持て余したまま、ジョーとルカに礼を言うこともできず、ジョーの胸を借りて泣き続けるしかなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る