知らぬ間に第2ラウンド

 頭から、フールの叫びが離れない。

 結局あの後、フールはふらりと行方をくらましてしまい、改めて話を聞くことはできなかった。



 普段飄々ひょうひょうとしている彼が、あれだけ動揺するのだ。

 きっとそこには、気のせいではすぐに片付けられない何かがあるのだろう。



 そう思うと、シアノのことだけではなく、フールのことも心配になってきてしまう。



 彼はただでさえ、自分のことを語らない。

 そんな彼が心の内側に隠している傷があるなら、できることなら話だけでも聞いてあげたいけれど……



 そんなことを考えながら、エリクの家のインターホンを押す。



「やあ、キリハ君。いらっしゃい。」



 ドアを開けたエリクは、キリハを見ると好意的な笑みを浮かべた。

 そんな彼に部屋の中に通されたキリハは、思わず目を丸くする。



「あれ? なんか、また部屋が荒れてない?」



 昨日シアノを落ち着かせた後、三人で部屋を掃除したはず。

 それなのに、今目の前に広がっているのは、掃除をする前のような惨状である。



「いやぁ…。参ったね。」



 エリクは救急箱から取り出した脱脂綿で、血が滲む引っ掻き傷を消毒している。

 よくよく見れば、彼の腕には昨日以上の傷と噛み跡があった。



「爪が危ないから切ろうと思ったんだけど、そしたらこの有り様で。シアノ君はあの通り。」



 エリクが指し示す方を見やれば、ベッドの上で毛布にくるまり、威嚇するようにエリクを睨んでいるシアノが。



「あらら、厳戒体制だ……」

「ね? というわけで、諦めたよ。」

「それがよさそうだね。」



 肩をすくめるエリクに、キリハは曖昧あいまいに笑うしかない。



 エリクの災難は可哀想だと思ったが、それよりもこの騒ぎでシアノが部屋を出ていかなかったことに、ほっとしている自分がいた。



「シアノ、こんにちは。」



 ベッドの前にひざまずき、シアノと目を合わせる。



「大丈夫だよ。エリクさん、もう爪切らないって。」

「………」



 シアノは、なかなか毛布の中から出てきてくれない。



「本当に大丈夫だって。怖いなら、俺が味方についててあげるから。ね? 約束。」



 小指を立てて笑いかけるキリハ。

 すると、たっぷりの時間をかけた後、シアノが毛布から頭だけを出した。



「さすがはキリハ君。」

「いや…。俺もまだ、そこまで信用されてない感じだけどね。」



 頭だけは出してくれたとはいえ、シアノは口を開こうとはしないし、こちらを見る目にはまだ、並々ならぬ警戒心が見て取れる。



 さてさて。

 シアノと打ち解けるまでに、どれだけの時間がかかることやら。



「キリハ君が来てくれたなら、ちょうどいいや。せっかくだし、三人で出かけようか。」



 救急箱を片付けたエリクが、ふとそう提案してきた。



「さすがに少しくらい、靴とか服を買ってあげなきゃね。ついでに、ご飯も外で済ませよう。」

「でも……」



 キリハは言葉を濁してシアノを見る。



「大丈夫だと思うよ。」



 キリハの思うところをすぐに察し、エリクは表情をやわらげた。



「逃げるつもりなら、僕が寝てる間に出ていっちゃえばよかったんだもん。いてくれてるってことは、多少なりとも僕らに気を許してくれてるってことでしょ。」



 それはそうかもしれないけど……



 やはり、躊躇ためらいぎみのキリハ。



「不安なら、手を繋いであげて。」



 エリクはキリハの手を握り、力強くその肩を叩く。



 そして、さくさくと外出の準備を整えたエリクに背中を押され、キリハはシアノと一緒に街の中へと繰り出すことになった。


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