少年への違和感

 それから十五分後。



「や、やっと捕まえた……」



 後ろから抱き締める形で少年の身動きを封じ、キリハは疲労困憊こんぱいの息を吐いた。

 捕まった少年はキリハの腕を両手で掴み、そこにがじがじと歯を立てている。



 ものすごく痛いのだが、ここで手を離そうものなら、今までの努力が水の泡だ。

 気合いで耐えるしかあるまい。



「いやー、元気元気。これなら、体調の心配はなさそうだね。」

「なんで、オレまでこんな目に……」



 エリクが乾いた笑みを浮かべ、その後ろでルカが辟易として肩を落とす。



 本当に参った。

 猪突猛進に暴れまくってくれましたとも。

 おかげで部屋の中はめちゃくちゃだし、少年に噛まれたり引っかかれたりで、全員傷だらけだ。



「ああもう。本当に大丈夫だから。」



 キリハは力強く少年を抱き締めてやり、その頭を優しくなでた。

 すると。



「………っ」



 何故か、驚いた表情でこちらを見上げてくる少年。



 これは、高ぶった感情をなだめる絶好のチャンスだ。

 孤児院で得てきた今までの経験から確信したキリハは、優しく微笑んで少年を抱く腕に力を込めた。



「大丈夫。何もしないよ。」

「………」



 少年はまだ、半信半疑といった様子。



「大丈夫。ね?」



 重ねて語りかける。



「………」



 数秒の沈黙の後、少年がようやく体の力を抜いてくれた。



 おそらく、これ以上部屋が荒らされることはあるまい。

 そう感じて、キリハだけではなく、エリクやルカもほっとして肩を落とした。



「……くしゅんっ」



 落ち着いたことで体が寒さを思い出したのか、少年が可愛らしいくしゃみをして微かに震え出す。



「ほらほら、そんな格好で暴れるから……」



 焦りも緊張感も忘れさせてくれるそのくしゃみに、キリハは困ったように笑ってタオルをかけてやった。



「起きたんならちょうどいいね。キリハ君も一緒に、お風呂に入っちゃいな。」

「はーい。」



 エリクに言われ、キリハは少年の手を引いて風呂場へと直行した。

 少年は、特に抵抗せずについてきてくれた。



 風呂に入りながら色々と話を聞いてみようと思ったのだが、少年は何を訊いても無言のままだった。

 最初の方は少し粘ってみようとしたキリハだったが、途中から諦めた。



 それよりも気になることができてしまったという表現の方が、正しいかもしれない。



 シャワーを浴びる短い時間。

 その間に少年が見せる反応の一つ一つが、どうも違和感を与えてくるものばかりだったのだ。



 シャワーヘッドから出てくるお湯に驚き、シャンプーやリンスがどんなものなのかも、いまいちよく分かっていない様子。



 仕方なく体を洗ってやると、泡だらけになった自身の体を見下ろして、感動したように目を輝かせる。



 まるで、今まで風呂に入るという経験をしたことがないかのような反応。



(まさか、ね…?)



 にわかには信じられなくて、キリハはその違和感を胸の中にしまいこんだ。



「―――はい、もういいよ。」



 ドライヤーの電源を落とし、キリハは少年の頭をぽんぽんと叩いた。

 それまでじっとしていた少年は、猫や犬がそうするように、首を勢いよく振って伸びをする。



「わあ…。洗ったら、もっと綺麗になったね。」



 エリクが少年の髪の毛を一房手に取り、感心したように呟いた。



 汚れを落としたことで純白になった少年の髪の毛は、照明の光を反射してきらめいて見える。

 それは確かに、思わず溜め息が漏れそうなほどに綺麗な白だった。



「さてと。次はこっちね。」



 エリクは一度台所に引っ込むと、サンドイッチが乗った皿と、ホットミルクが入ったマグカップを少年の前に置いた。



「お腹空いてない? 急だったからこのくらいしか買ってこれなかったけど、よかったら食べて。」



 エリクが優しく言うと、少年はおそるおそるマグカップに手をかけた。

 何度かマグカップの中身のにおいをぎ、これまた慎重な仕草で、ゆっくりとマグカップの縁に口をつける。



「!」



 目を見開いた少年はマグカップの中を見つめ、もう一口ミルクを飲む。



 どうやら、気に入ってくれたらしい。

 続けてサンドイッチを食べ始めた少年に、キリハとエリクは揃ってなごやかな笑みを浮かべた。



「おい。」



 その時、ずっとベランダで電話をしていたルカが室内に戻ってきた。



「宮殿に連絡入れといた。午後の訓練は免除でいいらしいぞ。」

「あ! そういえば、休みじゃなかったんだったんだった……」



 宮殿のことなんて、すっかり忘れていた。

 キリハの反応に、ルカは半目で呆れた顔をする。



「本当に、お前って馬鹿だな。」

「返す言葉もありません……」



 にべもなく言われ、キリハはしゅんとする。



「まあまあ。お休みにしてもらえたんだからいいじゃない。今は、この子のことを考えようよ。」



 エリクがそうフォローしてくれる。



「そうだね。」



 キリハは落ち込みモードを早々に切り替え、改めて少年と向き合うのだった。


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