去り際のサプライズ★

「えっ…? なんで!?」



 まさかそんなことを言われるとは思っていかなったキリハは、ぎょっとして周囲の皆を見回す。



「………」



 そこから向けられるのは、妙に生ぬるい視線だった。



 自分は、そんなに変なことを言っただろうか。

 狼狽うろたえるキリハの肩に、ふとノアが手を置く。



「ノア…?」

「…………いっそ……」



 ノアがぽつりと呟く。



「いっそ、本気で本気になってしまおうか…。かわゆい奴め。」

「ほーら、言わんこっちゃない!! こうなるだろうが! お前のせいだぞ!?」

「ええぇぇー?」



 強引にノアから自分を引き剥がしたルカに怒鳴られ、頭はますます混乱してしまう。



 いくら考えても、さっきまでの発言に問題があったとは思わないのだが……



 キリハとルカのやり取りを見ていたノアが、そこでおおらかな笑い声をあげる。



「ははは。さすがに、その辺りは急には自覚できまい。私は、今のままの純朴なキリハが好きだぞ。」



「こいつの場合は、紙一重でただのアホです。」



「ええー。そこまで言うなら、今の何がだめなのかちゃんと教えてよー。俺、全然分かんないんだけど。」



 投げやりになってルカに訊ねると、途端にルカが息を飲む。



「そ、それは……」

「何?」



「………」

「おいおい。自分で突っ込んでおいて、そこを濁すな。」



 黙り込んだルカに、すぐさまノアが突っ込む。

 すると、ルカはさらに顔をしかめて頭を悩ませ始めた。



「……仕方ない。助け船を出してやろう。」



 にやりと口の端を吊り上げるノア。



「キリハ。今の話はな、お前がよく分からんと言っていた、男女のあれこれに関することなのだ。」

「え? そうなの?」



「そうなのだ。まあ、今のお前には難しいだろうから、そういうことなんだと思ってくれるだけで構わない。」

「そんなもんでいいの?」



「ああ。私も、もう時間がないからな。今はこれで我慢してくれ。どうしても知りたいなら、師匠のディアラントに聞くといい。きっと、誰よりも的確なアドバイスをくれるはずだ。」



「ディア兄ちゃんに?」

「うむ。」



 こてんと首を傾けたキリハに、ノアは大きく頷いてみせた。

 そして、満面の笑顔を浮かべた彼女は―――





「だって、あいつは―――ああ見えて、ちゃっかり恋人がいるからな。」





 と。

 ある意味この一週間で、一番の衝撃発言をかました。



「ええっ!?」



 その場にいた全員の視線が、ディアラントに集中する。



「あっ……えっと……」



 唐突すぎる展開に、ディアラントが不自然な笑顔のまま固まる。

 それが、彼女の言葉が正しいかどうかを物語っていた。



「ぶふっ…」



 ディアラントの隣で、とうとうジョーが盛大に噴き出す。

 そのまま腹を抱えて肩を震わせ始めた彼の反応は、ノアの言葉を余計に肯定しているように見えた。



「ディア兄ちゃん、ほんとに…?」

「まあ、いてもおかしくはないだろ。誰に報告する義務があるわけでもあるまいし。」



 驚いて茫然とするキリハに対し、すぐに驚愕から立ち直ったルカは、特にそれ以上取り乱す様子もなくそう述べる。



「え、お前……今までそんな雰囲気全然なかったくせに、いつの間に…? ってか、ジョー!! てめぇ、知ってやがったな!?」



「い、いや…? ぼ、僕は何も、知らない……けど…っ」



 ミゲルの言葉を否定するジョーだが、それが嘘だということは、誰の目からも明らかである。



「隠せてねぇんだよ! なんでこんな面白いことを、おれに教えてくれないかな?」



「だって、ディアったら必死になって隠してるから……ばれそうになったら、どんな風に立ち回るのかなぁーって。……こ、こんなカミングアウトになるとは、さすがに予測してなかったけど………あは……あははははっ!!」



「ジョー先輩! さらっと、とどめ刺さないでくれます!?」



「む、無理…。面白すぎ……あははははっ!!」



 大笑いするジョーの隣で、ディアラントはさっきとは真逆の赤い顔で撃沈している。



「ディア、今夜は飲みに行くぞ。覚悟しとけ。」

「いやああぁぁ……」



 ミゲルにがっしりと肩を掴まれ、ディアラントは情けない声で首を振る。

 その時。



「いつまで油を売ってるんですか? 遅いから、迎えに来ましたよ。」



 背後で待機している飛行機から降りてきたウルドが、ノアの後ろからひょっこりと顔を出した。



「おお、ウルド。すまんな。今ディアラントに、最後の仕返しをしていたところだ。」

「どうやら、そのようですね。」



 ディアラントの顔を見て大方の事情は察したらしく、ウルドは納得したように頷くだけだった。



「ウルドさん! あんた、いつの間にかふらっと消えて、今の今までどこに雲隠れしてたんですか!? おかげで、ひどいとばっちりですよ!?」



 ディアラントは、真っ赤な顔のままウルドに噛みつく。



「今回は、私もノア様も休暇という名目でセレニアに来たんだ。別に、ノア様と別れて休みを謳歌しても問題はないと思うのだが。」



「それでこの方をオレに押しつけて、ご自分は高みの見物を楽しんでたんですか!?」



「いけないかね?」



 ウルドは一切悪びれる様子もなく、あっさりとそう訊き返した。



「せっかく君に会いに来たんだから、きっちり仕返しはしとかないとね。おかげで、いい土産みやげ話ができたよ。」



「鬼みたいな人ですね! オレ、そんなに恨まれることしました!?」



「心外だな。君の件に関しては、ちゃんとノア様にブレーキをかけてやったじゃないか。」



「その後盛大にアクセルを踏み抜いたくせに、何をおっしゃいます!? 今だから分かるけど、あんたがノア様に〝そういう相手を見つければいい〟って言ったのって、つまりはでしょうが!!」



「私もさすがに、言ったその場であそこまで状況がぶっ飛ぶとは思ってなかったんだよ。だがそれは、私やノア様に見抜かれる君にも非があるのでは?」



「うぐっ…」



「そうだぞ、ディアラント。まだまだお前も、詰めが甘いな!」



 言葉に窮したディアラントに、ノアが無邪気な口調で追い打ちをかけた。



「こちらに愛する者を残しているということなら、私の誘いに一切乗らなかったのも納得だ。お前のことは惜しいが、想い合う二人の仲を引き裂くことはできまい。馬に蹴られて死にたくはないしな。」



 冗談めかして笑い、ノアはくるりと体を飛行機の方へと向けた。



「さて、ディアラントの秘密も暴露したことだし、帰るとするか。」

「どーぞ、どーぞ! さっさとお帰りください! そんで、もう二度と来ないでくださいよ!!」



「何を言う。私はこの国が気に入った。いつかまた、絶対に来る。」



 顔だけをこちらに向けたノアは、半泣きで喚くディアラントにそう言い返すと、その表情に今までで一番穏やかな笑顔を浮かべた。



「本当にありがとう。名残惜しいが、今はしばしお別れだ。次に会う時、互いにとっていい報告ができるように精進しよう。」



 一瞬で他者の意識を絡め取るような、とてつもなく強烈な引力。

 それでこの場の人間の言葉を奪い去ったノアは、満足そうにウルドとジョーを引き連れて離れていく。



 そんな彼女たちを、なかば茫然と見送っていたキリハだったが……



「あっ!」



 ふとあることを思い出し、慌ててその場を駆け出した。



「ノア、ちょっと待って!」

「ん?」



 呼びかけられたノアが、足を止める。



「どうした?」

「ごめんね。最後にちょっと、訊きたいことがあって。」



「訊きたいこと?」

「うん。あのね……」



 キリハはそっと、ノアの耳元に口を寄せる。



 キリハの言葉を聞くこと数秒。

 瞬く間に、ノアの表情が喜色満面といったように輝いた。



 興奮したノアを若干困惑した顔でなだめながら、キリハは言葉を重ねる。

 それを聞いたノアは余計に機嫌をよくして、とうとうキリハに勢いよく抱きついてしまった。



 その様子に溜め息をついたウルドとジョーが、二人がかりで彼女をキリハから引き剥がす。



「あの数秒で何があった…?」

「知らねぇよ。」



 会話が聞こえないミゲルとルカは、それぞれの表情に不可解そうな色を示す。



「また、ド天然発言でもやらかしてないといいんだけどな……」



 ディアラントもまた、複雑そうな顔でそう言うしかなかった。



 ウルドに引きずられながら、ノアがキリハに向かって大きく手を振る。



 そんな彼女に控えめに手を振り返すキリハは、ノアたちが飛行機の中へと消えていく最後の瞬間まで、その場から動かなかった。



「……おい。お前、あの人に何言ったんだ?」



 戻ってきたキリハに、ルカがおそるおそる訊ねる。



「ちょっと頼み事。」



 キリハは簡潔にそう答え、次ににっこりと笑った。



「だって、ルカが言ったんじゃん。ゼロか百の二択にするか、ゼロから百の何通りもにするかは、俺の交渉次第だって。だから、ね?」



 具体的に何を頼んだのか、詳しくは語らないキリハ。



 しかし、そんな説明をされなくとも、キリハが内側に秘めた末恐ろしさだけは、しっかりとルカたちに伝わっていた。



 一体、どんな魔法の言葉を使えば、ノアをあんなに舞い上がらせることができるのか。



「ほんと、三年後が怖い。」



 冷や汗を浮かべるディアラントに、ミゲルとルカは同意して頷くしかなかった。


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